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2025年の崖を転がる、競馬好きサラリーマンとDX

DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉、一般的にはどの程度浸透しているのでしょうか。

会計システムのコンサルティングの仕事をしている、しがないサラリーマンの界隈は、DXで大盛り上がりです。


経済産業省が、DXレポートなるものを作成し、後押ししていることもあってか、この頃、DX関連の仕事が盛りだくさんで、日々忙しく過ごしています。


さて、経済産業省の書いているDXレポート、読んでみると、なるほどなという内容です。

確かに、いろいろデジタルを活用して改革を進めないと、日本企業ダメだろうなと思います。


でも、実際に現場で携わるDXは、なんだか違うなと思うことが多かったり。


そんなことは思いつつ、自分の仕事をこなしていく、サラリーマンの愚痴みたいなお話を書かせていただきます。


この不満を、良い方向に昇華させていければいいな。


WHY JAPANESE PEOPLE!?

DXの目指す姿のイメージは何か。

というと、いろいろあると思いますが、GAFAとか、アメリカの先進企業の例みたいなのが良く出てくるような気がします。


それを見るたび、いやいや、ここ日本じゃん、とか思ってしまいます。

これからの企業はグローバルで仕事しないとだし、アメリカの先進企業をモデルにしないとダメじゃん、とか、経営層の目線的には、そういうことなのかもしれないです。

でも、そこで働く人は、だいたい日本文化の中で生活を営む人々です。


最近、イーロンマスクさんが、日本を憂う(?)ツイートをしているのが、話題になっているのを見かけました。

ここで心配されている日本とは何か、ということを考えてみると、日本という国で、日本文化の中で生活を営む人々なんじゃないのかなと思ったりします。


そう思うと、日本文化を捨てて、アメリカの先進企業を追いかける、みたいなことを進めて行くのであれば、出生率うんぬん関係無く、日本はやがて存在しないものになるんじゃないかなとか、自分は憂いでしまいます。


いまの世界における成功者は、たぶんGAFAとか、アメリカの先進企業なんだと思います。

でも、それはあくまで今の世界において、であって、未来の世界はわからないんじゃないかなと思ったり。


企業も競馬も、環境や条件次第で優劣なんて簡単に変わるはず。

多様性の社会なんだし、もっと多様性を重視してもいいんじゃないかと思います。

別にそんなに頑張って、アメリカナイズしようとせずに、もっと日本らしさのある新しいDXみたいなのを目指したら良いのになとか、そんな感じなことを時々思ったりします。


そうは思いつつも、日本文化の中で生活を営む、しがないサラリーマンです。

上司の言うことに従いつつ、時々ささやかな抵抗も見せつつ、日々、自分の仕事をこなしております。


大事なことって、たいてい面倒くさい

宮崎駿監督の言葉ですが、自分が思うDXもこんな感じです。


なぜ、DXしましょうとなったとき、アメリカの先進企業を追いかけようとするのか。

それは、目に見える成功事例がそこにあるので、楽だから。みたいなのも、大きな一因なのかなと思ったりします。


実際にDXを進めようとなったときも、デジタルを使えば勝手に仕事が楽になるよね、みたいな、大体そんなノリでスタートしたりな気がします。


そんな雰囲気を感じて、いやいや、そんな簡単に楽になるなら、もうDX終わってるから、とか思ってしまいます。


デジタルはあくまで道具です。

DXにおいて大事なのは、その道具をどう使うのか、全ての関係者が使いこなせるようにするための仕組み作りじゃないかなと思います。

トランスフォーメーションをどう実現するかを考えないと、デジタルに振り回されるだけで終わってしまうんじゃなかろうか。


少し前、NHKスペシャルでABC予想を解決するIUT理論というものを知りました。

数学の細かい話はわかりませんが、これまでの概念とは全く違う、パラダイムシフトを起こしうる理論ということで、とても興味がわかりました。


IUT理論(宇宙際タイヒミュラー理論)という、その中二病めいた名前も素敵です。


しかし、そのような、これまでの概念とは全く違う理論のため、数学関係者に受け入れてもらうのに、大変な苦労をされているそうです。


IUT理論も、デジタルも、そのパラダイムシフトが全ての関係者に受け入れてもらえれば、新しい世界が広がる、素晴らしいものだと思います。


でも、全ての人に受け入れてもらえるまでが大変です。

単に、こんな物が出来ました、使ってね、じゃ、だれも受け入れてくれません。


IUT理論のような数学の複雑な話を全ての関係者に受け入れてもらうための苦労は、大変なものだと思います。

でも、デジタルの話であれば、やり方次第で結構上手くいったりしないものかな、と思ったりします。


しかし、関係者に受け入れてもらうための折衝事とかって、たいてい面倒くさいです。


面倒くさいことからは逃げたい、しがないサラリーマン。

でも、面倒くさいことこそ大事だよな、と、自分の気持ちにも、ささやかな抵抗を見せつつ、日々、自分の仕事をこなしております。


競馬予想式DXなんてどうでしょう

実際に現場で携わるDXで違うよな、と思うこと。

それは、実際にデジタルを使ってトランスフォーメーションしなければならない、現場の関係者が置き去り気味なことです。


元来、現場レベルでの「カイゼン」は日本のお家芸です。

なんなら、Amazonの経営の本を読んでいると出てくるくらい、海外の企業も注目していたりします。

このとき読んでいた本に、日本の「カイゼン」についての記載がありました。あれからもうすぐ2ヵ月、競馬は相変わらずなかなか当たらない。。。


それなのに、そんな現場を無視して、アメリカナイズされたDXをトップダウンで進めるのは、何かとても勿体無いことをしているのではなかろうかと思ったりします。


じゃあ、どうするのが良いのだろう。と思ったときに、競馬場のパドックで見かけるアレが思い浮かんできました。

競馬場のパドックで見かけるこれです

これまでの日本企業の「カイゼン」では、なぜ2025年の崖を越えられないのかというと、現場レベルでの「カイゼン」が、複雑なデジタルの世界を作り上げてきたことが要因だというのが、経済産業省の書いているDXレポートを読んでの、自分の理解だったりします。

複雑なものを簡単にする、見える化、も、デジタルの得意分野です。


レースはとある課題、出走馬は「カイゼン」案、オッズはそれらに対する各現場ごとの人気、そして、レース(ある一定期間での評価)が終わると実際に「カイゼン」案の優劣がわかる。

みたいな、こんなサイクルを回して、これまでは現場レベルで閉じてしまっていた「カイゼン」を企業全体で行っていくのが、日本文化に根ざしたDXとして、個人的にはいいんじゃないかと思ったりします。


ちなみに、勝手にそれっぽいなと感じただけですが、ブロックチェーンを利用した分散型自律組織(DAO)なるものも、注目されつつあるようです。面白そう。


さて、仕事のことを考えるのはこのくらいにして、しがないサラリーマンは、休日の競馬予想を楽しむことにします。

今週末もがんばるぞ。

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