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記録の整理は、結局は時系列で並べるしかないんじゃない?

「個人のデータベース」に興味があります。本来の意味でのデータベースではなく、個人の知見の記録の集積、ぐらいの意味です。

「手帳システム」とも関わってくるでしょうか。

古くは、システム手帳で私個人のデータベース作りに腐心していました。

Windows95の登場で、PCに。クラウドの登場で、Evernoteに。

どの媒体で作ろうと「個人のデータベース」にはシーズンがあるようです。

作り始めは、データそのものが少ないので、データベースとしては役に立ちません。

作り続けて、データが増えてくると、役に立つようになります。作るのが楽しくなってきます。

さらに作り続けると、データベースは破綻し、メンテナンスは放棄され、終焉します。

何度も、これを繰り返してきました。その後、破綻したデータベースからすくいあげたデータの欠片を、Day Oneに丹念に移しています。

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Evernoteは確かに革命的でしたが、今も使いこなしているユーザーはそれほど多くはないでしょう。

自由すぎるのです。「分類」をはじめると、カテゴリやタグは限りなく増え、意味が変化し、データの増加とともにメンテができなくなるのです。

Evernoteをあきらめた私が、Day Oneを続けられるのは「時系列」という強固なルールが1本、そこに通っているからです。データにはひとつひとつ、分単位でタイプスタンプが押され、カレンダー上に整列されます。

今また、紙で記録しています。システム手帳はリフィルを取り外せますから、どうしても分類したくなります。それでも時系列にこだわるのは、あらゆる分類に失敗してきて、唯一時系列だけは破綻しなかった経験があるからです。



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