見出し画像

おしゃべりモロッコ人との共同生活

Khalidはおしゃべりが大好きだ。初めて駅で出会った日から3日経っても彼の言葉のマシンガンは常に銃口を露わにしていて、ネガティブに表現すれば心を休める暇も無かったが、総じて賑やかで楽しかったし、何よりも彼に教わったフランスパンとオリーブを一緒に食べる朝食は味とコストパフォーマンスの両方で傑出しており旅の財産をも得たとも言える。

彼はエンジニアの仕事をしており、昼間は会社に出勤し家を空ける。そして僕は一人の時間を使って自由にカサブランカの街を散策する。

メディナと呼ばれるカサブランカの旧市街地は文字通りの迷宮で、Google Map上に現れるGPSはもはや意味を成さないほど道は細くて多くて入り込んでいる。民家と民家の間にのびる小道は現地の人間にとっては欠かせない生活インフラになっており多くの人が行き交う。また家のベランダに掛かっている色鮮やかなモロッコ絨毯はどれも美しくてまさに異国の情景が僕の冒険心を燻った。

メディナの中にある市場ではモロッコ商人達が大きな声で客を集めていて、実際に品揃いも豊富だった。この頃の僕はモロッコの男性達が身にまとっている民族衣装・ジェラバに対して強い興味を抱いていた。モロッコの男性が長くて特徴的な衣服をまとっている姿は、堂々と立派に見えたからだ。ジェラバを売っている店に入り、試着をさせてもらった。もし気に入れば買っても良いかもしれないと思ったが、鏡に映った自分の姿は少なくとも立派には見えなかった。顔の彫りが足らないのか、体の形が合わないのか理由は分からないが、やはりジェラバはモロッコの男達が着るからこそ意味をなす物なのだ、と勝手に納得して店を出ようとすると、試着までさせたのに何も買わないアジア人に痺れを切らした店主が何やら怒っていた。さっきまであんなに楽しそうに試着を手伝ってくれていたのに。店主の気持ちも分からなくはなかったが、僕にも旅人のプライドがあったし、何より気に入ってもいない民族衣装を買うのは納得できないと、店を出ると店主が後から追っかけてきた。

そして僕は走り出した。迷宮と呼ばれるメディナを駆け抜けた。

まるで映画のワンシーンのような体験に思わず走りながら笑みが溢れる。野良猫たちも珍しい物でも見るように走る僕を見つめる。迷路のような家と家の間にワイヤーが張ってあり器用に洗濯物が干してある。たまに地面に落ちているシャツなどを踏まないように気をつけながら、僕はその細い道を駆けぬけた。

画像3

逃亡に成功した僕は息を切らしながらタクシーに乗ってカサブランカの一大観光地と言われるハッサン2世モスクへ向かった。そのモスクはイスラム教=アフリカ=砂漠、の固定概念を覆すような大西洋が一望できる場所に位置していた。何とも、モスクの建築を指示したハッサン2世が「神の座は大水の上にある」というコーランの一節を実現したいと願い、本当に海上の上にモスクを造り上げたという逸話があるのだから、これがいかに壮大な計画だったかがよく分かる。

スクリーンショット 2021-02-24 20.11.21

真っ白な大理石に反射する日光を全身に受けながらモスクの敷地内を歩く。また観光地化をしているわけでもなく地元民の憩いの場にもなっていた。イスラム教のモスクは厳格に管理されていて思っていた自由に見ることなんでできない僕は肩透かしをくらったような気分になった。一方でムスリムへのハードルが良い意味で下がった瞬間でもあった。

そして日が沈み、マグリブ(日没時)の礼拝が至る所で行われる頃、僕は帰路につく。Khalidの家は日本でいう団地のようなところにあって、家の近くの飲食店はたくさんの人で賑わっていった。大抵、僕とKhalidは近くの飲食店で外食をとった後にまた部屋に戻り、そこから夜中まで喋り通す暮らしを送っていた。

彼と話す内容は大抵が国際関係についての堅苦しい話なのだが、彼が話すと愛らしく聞こえて、楽しい時間になる。

「俺は知っているんだ、日本が戦争しないとか言ってるくせに軍事費に多額のお金を使っていることを!!」

「そのくせに日本はいつまでもアメリカの側にいるじゃないか。いいかい? 日本は素晴らしい国だ。だから自分たちで戦うんだ!」

「 ほら、中国だってあいつらは日本を征服するつもりだし、何より日本の近くにはイカれた北朝鮮っていう国もあるだろう? 」

異国から受ける次々のお節介に思わず笑みがこぼれた。

ムスリムである彼はお酒を飲まない。お酒の代わりにチャイを嗜んで夜中にこのテンションで話し続けるものだから感服する。そして賑やかなKhalidと過ごす時間で多様性を学ぶきっかけとなったのはやはりこの「宗教観」だった。

Khalidが静かになるタイミングは1日に2回遭遇する。寝ている時と日没後の礼拝時だ。彼は人一人が座れる大きさの絨毯を持ってきて、徐に地面に広げ、靴を脱ぎ、絨毯の上に座る。そこから、ぶつぶつと話しながら、手を上げたり下げたりの動作を繰り返す。

一度礼拝が終わるタイミングを見計らって彼に尋ねた。

「これを毎日やるのかい?」

「そうだよ。」

「忘れることはないの?」

「基本的に毎日やるよ、でも寝過ごしたこともあるさ。」

「礼拝を怠るとどうなるの?」

Khalidは今まで考えたこともなかったと言わんばかりのきょとんとした顔つきで僕の質問に対しての答えを頭の中で考えている。

「なんか落ち着かないね。」

「歯磨きと同じような?」

僕は的確な比喩表現だと自信があったがKhalidはその例にはしっくりこなかったようだった。

「分からないけど、神に感謝を伝えるんだから幸せな時間だよ。」

と彼は穏やかな顔で言った。

初めて、ムスリムがお酒を飲めないことを知った時「生きづらそう」という感想を覚えたことを今でも覚えている。確か中学生の歴史か地理かの授業だったと思う。教科書に記された「五行六信」という言葉はムスリム(スンニ派)が守らなければならない信仰と義務が記されており、中学校の校則にですら嫌気がさしていた僕にはそれらを進んで守る人がこの地球上にいることが信じられなかった。それからも何かと大袈裟にムスリムの生活を伝えるメディアなどに影響されて、イスラム教徒であるムスリムは大変そうだと、固定概念に刷り込まれていた。

でも実際に彼らと生活をして「ムスリムが生きづらそう」という遠いアジア人の価値観の押し付けは間違っていたことを痛感した。ムスリムは生活の中で「神」という概念がとても近く、色々と複雑そうな規則や信仰というのは複雑に見えるだけであって、むしろ彼らの生活こそが実はシンプルでありのままで暮らすことができるのではないかと考えさせてくれたのがカサブランカでのKhalidと過ごした共同生活だった。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?