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ラパスが教えてくれた「無知の知」

世界で一番標高の高い位置場所に首都として旅人に知られているラパス。

世界一〇〇と言うのは、所詮人間のこじ付けであって、何かと常に比較をしなければ気が気では無い人間の愚かな一面だと考えてしまいます。旅を長くしていると世界一〇〇というのは頻繁に遭遇するもので、その感覚は「10年に1度の逸材」が毎年現れるような矛盾と似ている。そんなことを思っていてもやはり「世界一」という言葉に身構えてしまって、どこか期待している自分もいた。

ところが南米の街並みは正直言って退屈になる。どれもコロニアルな街並みで、大抵同じような装飾をした建物が並ぶからだ。詳しくなれば国や地域ごとの違いに気がつくのかもしれないが、残念ながら少なくとも当時の僕にそんなことはできやしなかった。だからせっかく国境を超えても似た景観と同じ言語に囲まれる。

母国日本にはうんざりしてしまう点もいくつかあるが、独自の言葉や建築様式を明確に保有する点は素直に興味深いと思う。僕が日本人以外であっても、きっと日本を訪れたいと切望し、そして実際に訪れていたに違いない。

せっかく日本の反対側まで来ているのに「退屈」な時間を過ごすことが怖かった僕は逃げるように植民地時代からあるであろう建物が並んだ都会を離れた。街とより親密になるにはやはり郊外に出なければならないというのが、これまでの経験値から僕が見出した答えである。

すり鉢になっているラパスは一面が岩山に囲まれており、盆地に富裕層が住み、山の斜面になるにつれ貧困層が住んでいると、適当に寄ったカフェのおじちゃんが熱心に教えてくれた。

旧な勾配に人が住むこの特性を活かしてロープウェイが主要な交通手段となっており、通勤や通学でも用いられる。コロンビアで滞在したメデジンと言う街も似たようなインフラだったと思い出す。なだらかな山脈が続く日本とは違い、アンデス山脈はそこに順応していく人間が面白いと思った。

時間もあったので、僕はロープウェイは使わずに歩いてみることにした。急な勾配は至る所に階段があって、僕は重い荷物を背負いながら階段を登っていく。京都伏見稲荷ほどの数は無いけれど、住宅地の角度は歪で新鮮だった。これもロープウェイではなく自分の足で歩いたからこそそこで暮らす人々の生活を垣間見ることができる。

勾配を上がるほど民族衣装を着た女性達が増えた。彼女達は「チョリータ」と呼ばれる先住民だ。小さな帽子をちょこんと頭の先に載せており、その様子はとんがりコーンを連想させる。帽子からは三つ編み縛りの髪の毛が垂れており、大きなスカートが印象的である。民族衣装を着ているチョリータは年配の女性が多く、彼女達の顔に刻まれた無数の皺はこの過酷な環境で生きた証みたいだと通りすがりのチョリータの顔を眺めていると鋭い目で一瞥されてしまった。何だか彼女達はムスッとした表情をしていることが多く逆に愛おしくなってくる。

ちょうどこの日「泥棒市場」と呼ばれるフリーマーケットが開催されており、せっかくだから足を運ぶと、その独特な名付けの理由がすぐに分かった。売られているのは衣類から生活用品まで様々だが、金属の破片やガラクタも多数売られていた。泥棒に盗まれた物もここに来れば見つけることができるという逸話もあるらしいが、さすがにそれは至難の技だろうと思わざるを得ないくらいの品目が売られていた。

泥棒市場を散策していると、日が傾いている事に気がついた。

泥棒市場が開催されている場所はラパスでもかなり標高の高い場所で、そこから街全体を一望できた。夕陽はラパスの街に広がる褐色の家々を優しく照らしたその景色は予期せぬ絶景だった。僕はその光景に言葉を失い、背後の喧騒とはまるで別世界にいるような静寂を心の中に感じた。

その日僕はDavidという男の家に泊まらせてもらった。メガネにスーツ姿で待ち合わせ場所にやってきた彼は仕事終わりということで多少の疲れが見えたが一緒に食事を摂るとみるみるうちに元気になった。彼は政府の経理担当の仕事をする公務員だった。

Davidは人の話をよく聞くタチで、自分からたくさん話すというよりは僕に質問を投げかけてくれた。

「今日の散策はどうだった?ラパスは何も無いだろう?」

そう自虐的に笑うDavid。愛知県出身の僕は名古屋が観光資源に乏しいことをよくメディアや友人に揶揄われてきたから、彼の気持ちが痛いようにわかった。

「夕陽が綺麗だった」

「夕陽?」

「うん。ラパスが明るく照らされていて」

「...そうか。ラパスの意味を知っているかい?」

Davidは微笑みながら、また僕に質問を投げかけた。街の名前の意味など調べたこともなかった。ましてや自分が生まれ育った愛知県の名前の由来さえ僕は知らない。いや知らないなぁ...と僕が大袈裟なリアクションを取ると

「平和って意味さ」

と彼は教えてくれた。

会計時、彼は僕が財布を出そうとしたのを制止した。ペルーでは泊めてもらった男に3食分を奢らされていたので、涙が出そうなくらい嬉しかった。さすが国家公務員である。次の日僕が目を覚ますと彼はもう仕事に出ており、メッセージに「起こしたくなかったから、挨拶をしなかったのは許しておくれ」とメッセージが入っていた。

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ボリビアを去ってから、民族衣装を纏ったチョリータが今でも先住民に対する差別と女性差別に懸命に立ち向かっていることを知った。「ボリビア多民族国」というボリビアの正式名称も数年前に前大統領が先住民を守る為に改名したばかりだった。

ラパスの名物「おばちゃんプロレス」を今回見ることができなかったけど、ただの興行ではなく、彼女達が権利を主張する側面もあることを知った。どれも後から得た知識ばかりで当時の自分が嫌になる。

つくづく自分の無知さには失望する一方で旅が僕に教えてくれることはこれなんじゃないかと、ふと思う。

自分が何も知らないということ。

本で読んだ、哲学者ソクラテスが提唱した無知の知とはこれだ、と直感的に僕は捉えた。自分が知らないことを知って自分がまだ何も知らないことを知る為には、やはり居心地が良さから抜け出してみないと分からない。

「平和」の意味を持つラパスは全員にとっての平和へ向かっている最中だ。先住民を優遇することに反対する国民も多いようだから前途多難ではあるだろう。でも僕がこの町で見た夕日と街並みは美しかった。彼らもまたあの景色を美しいと思うのであればすぐに平和が訪れると考えるのはさすがに単純か。

とにかく、こうして世界の至る所で学ぶ体験をしていると、その点が線となりいつか僕に荒野を生き抜く力を与えてくれると思う。むしろ、そう信じることでしかこんな自分を慰めることができないんだ。

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