見出し画像

この日を境に僕は星が好きになった。

星がそんなに好きではなかった。正確に言うとあまり興味がなかった。もちろん星が綺麗なら清らかな気持ちになるのだけど、裏切られ過ぎた。僕の生まれ育った地域は田畑に囲まれて、街で一番高い建物といえば小学校の隣に在るマンションくらいで、山川にも恵まれた地域だった。かつてはお米の生産が有名で昭和天皇の大嘗祭で献上されたこともある。けれど星は綺麗ではなかった。街の真ん中に大きな産業道路が走っており、昼夜問わず無数の大型トラックがそれぞれの責務を果たしている。

子供の時、意識的に天体観測をするのは七夕と初めて理科の授業で星空を習った後くらいだったが、教科書に書いてあるような天の川や星座を見ることなんんてできずに残念な気持ちになるのが嫌で夜空を見上げなくなった。

************************************

世界で一番星空が綺麗に見える砂漠と称されたアタカマ砂漠は標高2,400m地帯に広がる海岸砂漠というものに分類される。寒流で発生した乾いた空気がアンデス山脈に閉じ込められ、10年に1回しか雨が降らないとも言われている。

僕はボリビアからバスでチリに入国した。アタカマ砂漠に訪れる旅人達を迎え入れてくれるのが旅人は昼間はサンペドロ・デ・アタカマというオアシスだで旅人は昼から砂漠地帯ならではの灼熱の太陽の下でキンキンに冷えたビールを嗜み、日が暮れるのを今か今かと待ち望んでいる。

街は街頭やホテルの明かりが灯っているから綺麗な星空を見るためには車で15分ほど離れた場所あたりまで行く必要がある。サンペドロ・デ・アタカマには星空観賞ツアーを観光者向けに提供している旅行会社が多数存在しており、僕もそのうちの一つに申し込んだ。夜11時、眠気覚ましのコーヒーを片手に宿泊していたホテルの前で迎えを待っていると、灰色のバンが細い道を窮屈そうに入ってきた。バンの中には同じ時間帯のツアーに申し込んだ10人弱の観光客が乗っており、夜の舗装が中途半端になされた砂漠道をガタンガタンと揺らしながら暗闇を走り抜ける。無論、街灯などと言ったものは一切なく、文明から抜け出しているような、まるでSF映画のワンシーンの中にいるようだ。

バンの中は中南米の乗り物には珍しくBGMがかかっておらず、英語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語だろうか、皆がそれぞれの言語で好き好きに会話を繰り広げる。

しばらく走ると運転手が「Here」と発して車を停める。15分ほどしか車は走らせていないがなんだかとても遠いところに来たような気がした。乗客は順番にぞろぞろとバンから降り、降りると今度は顔を上に向ける。「Wow」に似たような発音は世界共通語で"感嘆"が伝わるのではないか。僕も前の乗客に続いてバンを降りて、夜空を見上げる。

「わぁ...」

そこには無数の星が漆黒の空に散りばめられていた。乗客が全員降車し、バンのライトが消灯するとさらに星屑達は一層キラキラと輝く。流星は文字通り降り注ぎ、星雲は普遍的なものと化していた。まるで意志を持ったかのように輝く星の数々。暫くの間すると、自分が息をするのも忘れていたことに気がつき慌てて深呼吸をする。

ツアーガイドを務めるペルー人はペンライトを夜空に向け星座の説明をゲストに向けてする。「これがケンタウロス座で、これはさそり座...」ペンライトの光線は確実にそして明確に一つ一つの星へと届き、自然の星空で上映されるプラネタリウムを目の当たりにする。ひやりと感じる風がより星を照らしているような気がして心地がいい。澄んだ空気の匂いと眠気覚ましに飲んだコーヒーの残った香りが混じって、僕に星空の匂いと記憶させた。

文明が発達するとともに人類と宇宙との距離は物理的には近く、だが心理的には遠い存在になってしまうのは致し方ないことか。しかし、少なくとも僕はこの星空を眺めている間は宇宙の只中にいる錯覚さえおぼえた。

世界中の有名な天体観測チームがこの砂漠に拠点を置き、まだまだ星の数ほどある宇宙の謎を解明しようと試みている。此処アタカマ砂漠は人類のロマンが詰まった場所だ。この日を境に星が好きになった。好きになったところで肉眼で星空が見えるようになる訳ではないけれど、無数の星達がしっかりと僕たちの頭上で輝いていることが分かったから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?