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「ズレズレなるままに」うなぎジュニア

 先日、サンケイスポーツの後輩から連絡がきました。「名前見つけので」というのは、高校ラグビーが開幕した紙面の写真。
静岡の聖光学院が1回戦突破した原稿、主役はFBの小野澤謙真クンなんだけど、彼の父は元日本代表の小野澤宏時さんです。
 後輩がなぜ連絡してきたかというと、そこに20年前の記事が載っているから。スポーツ紙がよくやる手法で、私が小野澤さんを書いた原稿です。
スルスルとディフェンスを抜けていく彼のプレースタイルを「うなぎステップ」と名付けたのは、不肖、私。ウィキペディアにも出てきます。

彼とはなんかウマが合って、よく原稿にさせてもらったし、結婚式にも呼んでいただいたりもしました。
 ラグビー選手にも色々いまして、ガバガバ酒飲むのはたいていFW(特に1列目ね)。国内外問わず合宿とか試合に行くと「飲みに行こう!」となります。ところが、小野澤さん…ん〜なんか言いづらいから「ザワ」にじますが、ザワは「センパ〜イ、スタバいきましょうよ」って感じ。まだ代表では若い方だったし、物腰も柔らかく、おっとりして、ちょっと拍子抜けするくらい。ところがプレーは超強気で、試合に勝っても「僕にボール回ってこなかった」と膨れっ面になります。

ラグビー担当は2003年W杯をもって離れたけど、その後もなんとなくつながっています。実はクルマ好きで、かなりレーシーなランエボだったり、「あえて角目2灯のジャガーいいっすよね」なんて言ったかと思えば、あるとき「クルマ見せたい」って何かと思ったら、ちょっと古めのカクカクしたフィアット・パンダに乗ったり。かなり面白い人です。

そのうち、彼にも後輩ができて「ザワさん」なんて呼ばれるうち、「なんか、すっかり頼もしい人になったなぁ…」なんて“名付け親”は見てました。

 そのジュニアの謙真クン、ザワが大のドラゴンズファンで、川上憲伸から名前を取ったのは知られた話。ザワもFBに入ることはありましたが、「背番号11じゃないとなんかイヤなんすよ」という筋金入りのケンシンファンです。
そういや2003年W杯、あのときジャパン最終はアメリカ戦でした。前後半でジャージを着替えるとか異例な事態もあったけど、試合後にザワが来て「これあげます」ってジャージ手渡してくれたのも思い出かな。背番号はこだわりの番号じゃなく「22」だったけど…。

 トップリーグ最初の100試合出場とか、大野均さんに抜かれるまでジャパンの最多キャップとか、W杯3大会トライとか…。キャリアは凄いのに大学院で学び直したり、福井国体あるからと臨時職員として選手兼コーチで出場もしてるのが、ザワらしいんですよ。

 謙真クンも一時は某Jクラブのユースでサッカーやっていたのが、父の背中を追ったようです。父の出た中大ではなく、慶應に行くとサンスポさんには書いてありました。花園を沸かせ、いずれはサクラを着るのかな。
 あの原稿から20年、歳取るわけです。

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