「ズレズレなるままに」 ジャパンって大変なんです

 井端監督率いる野球日本代表は16日からのアジアチャンピオンシップで船出ですね。
井端さんは気が張ってるだろうと思いますよ。

 記者時代いわゆる「JAPAN」は、ラグビーの「向井ジャパン」(2003W杯)、サッカーは「ジーコジャパン」(2006年W杯)、野球の「小久保ジャパン」(2007年WBC)と色々と担当しました。

 今回は野球の話に限定しますが、監督って本当に背負うものが大きいんですよ。
小久保ジャパンは2015年のプレミア12で韓国に負けて3位。17年のWBCは準決勝で米国に1-2で敗れて終わりました。
あのとき、属していたサンスポもそうですがスポーツ各紙は批判的な連載を準備していたんです。もちろん負けた場合だけど、伏線もありました。
小久保さんはメディアとのコミュニケーションがあまり得意でなかった…というか、距離を置くタイプ(当時の印象ね)だったのかも。だから、「負けたら背景は全部書く」と息巻いていた担当記者もいたのは確か。

それまでWBCは王さん、原さんで優勝、北京五輪の星野さんと第3回WBC乃山本浩二さんは敗れたけど、すでに大御所だから先に未練もなかったでしょう。でも、小久保さんは若かったし「負けたら2度とユニホームは着られない」という雰囲気もあったから、今にして思えば大変なプレッシャーですよ。だからジャパンの監督、皆さん二の足を踏むわけです。
 その小久保ジャパン、空気を一変させたのは米国戦の内容でした。「采配というより、力負け」のイメージで幕が引かれ、あまり批判的な総括連載にならなかった。そんな経験をされた小久保さんですから、来季のソフトバンクは楽しみですね。

さて後を引き継いだ稲葉監督。「メディアと上手くやりたい」と相談されたのは、一番年長の担当記者だったからだと思います。初招集の宮崎合宿では、稲葉監督から「食事会をやりましょう」と声がけがあり、「これから宜しくお願いします」と。稲葉さん、実は酒が飲めません。それでも、メディアとは一体で闘いたいって意思だったのでしょう。

その後サンスポを早期退職、NPB入りし広報スタッフとして稲葉さんに関わるわけですが、プレミア前に韓国野球を視察した際のこと。
帯同するスポーツ紙の担当記者は、何もなくても海外出張している以上は記事を出さないとデスクに怒られます。そこで稲葉監督はホテルのカフェに記者を集めてネタになるような話をしてくれたりと、気を遣っていたのを思い出します。
東京五輪前に退職しちゃったので最後まで支えられなかったのは残念だけど、金メダルは嬉しかったなぁ…。

そんな稲葉ジャパンにいた井端さん、歓喜も苦労も見ていたはずだから、ぜひ頑張ってほしい。

あ、これは「メディアを懐柔して批判させない」ってのとは違います。稲葉さん、そんな人ではないし。そのあたりは今度、ジーコの話でも…。

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