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あとどのくらい走れるか。サッカーライターという仕事を長らく続けてこれた理由

あけましておめでとうございます。

noteに「#この仕事を選んだわけ」という新年にふさわしいお題があったので、なんとなく食指が動きました。

わたしの現在の仕事の9割は、サッカー関連の記事を書くこと。主に大分トリニータの番記者として、クラブオフィシャル媒体とサッカー専門新聞エルゴラッソに執筆させていただいています。その他ときどき自著。いま、将来的にこういう仕事に就いてみたいと思う若者ってどのくらいいるんだろう。

本当はもっとそういう「立身出世編」みたいなのを読んでみたい華やかな同業の方々がたくさんいるのですが、なかなか機会がありません。なので、地味ながらあくまでも自分の場合はということで、ご挨拶代わりにつらつらと書いてみます。

振り返ってみると意外に文学少女だったことに気づく

もの書きになる道は物心つく頃から、なんとなく母に整えられた記憶があります。父は絵描きで、おそらくわたしが絵を描くようになることを望んでいたのではないかと思うのですが、母の「父さんが絵を描くからあなたは文章を書きなさい」という至って根拠の希薄な刷り込みを受けて、自分でもそう思い込んでいました。とはいえ小中学時代の作文や読書感想文などは求められるままに「模範的なそういうもの」を書かされていた感満載で、思い出すだけで少々吐き気がします。そこで鍛えられたものもあったはずですが。

自ら書くことを強く志向するようになったのは高校時代で、それまでにたくさん読書した影響の中から、自分なりの文体が定まってきたっぽい。王道の日本文学では太宰治、芥川龍之介、夏目漱石を好んで読み、当時敬愛していた家庭教師の先生が「文豪の中でもいちばん無駄がなく文章が上手い」と評していた志賀直哉の文体も研究しました。世界観が好きだったのは萩原朔太郎。翻訳ものでよく読んだのはドストエフスキー。サリンジャーは野崎孝さんの訳で読みました。

大学時代は島田雅彦、村上春樹、村上龍、山田詠美といった「J文学」方面に大きく傾倒。その影響で浅田彰や吉本隆明、ドゥルーズなどの思想も齧りました。書店でバイトしていたので新刊に触れる機会も多かったです。でもいちばん繰り返し読んだのは井上靖の『四角な船』と大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』だったと思う。

こうして振り返ると自分が意外に文学少女だったことに気づくのですが、最も濃く影響を受けた作家をひとり挙げるなら、一縷の迷いもなく佐藤愛子さんだと答えます。どちらかというと痛快な抱腹絶倒エッセイで知られる彼女ですが、処女小説『愛子』は、わたしが人生で最も影響を受けた一冊に間違いありません。すでに絶版で古本でしか入手できないのが残念。彼女の体当たりな生きかたと清冽な感性が剥き出しになる小説と、『娘と私』シリーズなどのエッセイで見せるユーモアやペーソスとの綯い交ぜが、おそらくもの書きであるわたしそのものを形づくってきたと感じています。笑いのセンスの根底は絶対に彼女のエッセイだと思う。

広告制作で世の仕組みを学び短歌で世界を取り戻す

大学中退後は福岡と東京で二つの広告代理店に勤務してコピーライティングに従事しました。それまで触れてきた文学とは異なり、言葉を使って社会経済に関わる仕事で、語彙力や文章力は大前提として、それ以上に企画力や発想力、プレゼンテーション能力といったものが問われることになります。初めて社会人として組織に属し、そこで得たものは大きかったです。

コピーライターとして求められる「ものを売るための仕事」がとにかく忙しかった中で、やはり経済活動から離れた自分だけの世界も保っていたくて文学講座に通った時期もありましたが、仕事の多忙さに流されて集中できず。

ものを書くことにまつわる「自分の顔」を取り戻したのは大分に転居後、現代短歌の世界と出会ってから。当時「ニューウェーブ」と呼ばれた潮流の中でその最前線を牽引した荻原裕幸さんに師事し、五七五七七の三十一音で世界を詠むにあたって、方法論をより意識するようにもなりました。

広告から雑誌の世界、そしてサッカーライターへ

転居した当時の大分では広告の仕事が少なく、またそこに求められるクオリティーも高くはなかったので、コピーライターとしては路頭に迷うことになりました。その中でタウン誌の仕事をいただき、雑誌へと方向転換。観光案内や飲食店の紹介などを続けていた中で、最初は地元発サブカル誌にて大分トリニータにまつわるコラムの連載をいただいたのが、サッカー関連の初めての仕事になります。その後、トリニータのクラブオフィシャル媒体も任せていただき、その御縁から国見高校サッカー部後援会誌や町クラブの入会案内パンフレットの制作など、サッカー関係の仕事が広がっていきました。

本格的にサッカー関連の仕事が増えたのは2012年、サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の大分担当になってから。前任のライターさんから評価して引き継いでいただいたこと、またエルゴラッソの編集方針がのびやかにわたしの特長を引き出してくださったことに感謝するばかりです。

ひとつの対象を継続して追う「番記者」という仕事

もともと「広く浅く」には喜びを感じにくいタイプ。ぐっとひとつの存在に踏み込んで書くほうが好きだったわたしにとって、チームの番記者という仕事はとても親和性が高かったのだと思います。もちろん、わたしを使ってくださるクラブ、編集部、媒体の運営会社あっての話です。

番記者にはいろいろな要素が求められます。特にクラブオフィシャルの仕事にあたっては、広告同様の戦略的視点も必要になる。現在クラブやチームが取り組んでいることを伝えることでファンやサポーターを増やし、クラブの収入につなげていかなくてはなりません。

現代サッカーに関する知識は、日々勉強するのみ。書籍や専門誌の記事を読み、各国リーグの試合を見て、その上で現場取材の中から監督やコーチ、選手たちに教えていただくことも多いです。この理解への努力を怠ると、チームが目指していることを正確に伝えることは出来ないし、本来は隠さなくてはならない情報を不用意に記事にしてしまうというミスも起こり得る。試合や練習で見るべきポイントを外さないためにも、ここは大事なところです。

スクープを求められないことも、わたしにとってはありがたい。いち早く情報を嗅ぎ当てて記事にしなくてはならない報道記者さんたちのプレッシャーは半端ないだろうと思います。とはいえ、それのない自分は楽なのかと言われたら、そのぶん、より深いレベルにまで踏み込んだ仕事を求められるのですが。でも、チームというひとつの「生きもの」が変化し成長していく様子をつぶさに見ることが出来るのは、しあわせなことだと思っています。

その成果をいま最も注ぎ込めているのはクラブオフィシャルの情報コンテンツ「トリテン」。月額税込330円ですが無料記事もありますので是非。

日々のルーティンからの副産物を一冊の書籍に

番記者の仕事はほぼルーティンです。ひとつの試合をめぐってトレーニング取材、プレビュー、マッチレポートがワンセット。それにインタビューやコラムが適宜絡んでくる感じ。トリテンとエルゴラ以外の他媒体からも、ときどきイレギュラーな原稿依頼があります。あとはそれに付随する写真提供とか資料作成とかイベント出演とかいろいろです。

その地道な日々の積み重ねの中からエッセンスを凝縮したものを、わたしは書籍へとまとめています。これまでに出したのは5作。

日々の取材の中で、監督が打ち立てる戦術はそれぞれの人生観そのものであり、システムは世界の見えかたとフラクタルだと感じたことから、自ずと監督をクローズアップしたテーマが多くなりました。現在書き進めている新刊も、やっぱり監督ものです。2016年刊の大分高校サッカー部元監督・朴英雄先生との共著『サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと』は、サッカーの原理原則を言語化した本になります。

で、何故この仕事を続けているのか

正直、割りのいい仕事だとはとても言えません。やるべきことは多いし、アウェイへの取材経費は基本的に自分持ちで純利益も少ない。なのに、かれこれ10年以上もこの仕事を続けさせてもらっている。

それはおそらく、定まった取材対象がつねに変化し進化しようとしているからだろうと思うのです。それはいいときもよくないときも含めて。それとともに自分もどんどん新しい地平を見ることが出来るのです。だから決してマンネリ化しない。

そして取材対象たちが総じてポジティブなこと。勝てない時期やスランプや怪我などのアクシデント、いろんな苦境の中でも、体を張っている彼らはつねに前を向いて進むことを考えています。それに引っ張ってもらうように自分も前を向ける気がする。わたしは斜に構えることがあまり好きではありません。全力で突き進みたい人には斜に構えている余裕はないと思っているからです。そういうところでの相性もいいのかもしれません。

勝ちたい、活躍したい、これが最高だと信じるサッカーをしたい。そういうまっすぐな思いに触れ続けるにしたがって、わたし自身にも、彼らの仕事を伝えることで日本のサッカー文化をより奥深いものにしたいという純粋なモチベーションが立ち上がってきました。いわゆる「意気に感じる」というヤツですね。それだけ彼らのサッカーに注ぐ熱量はすごいのです。

なにをするにも裾野は広いほうがいい

サッカーライターだからといってサッカーのことだけ知っていればいいというわけでもありません。ライターであれば、やっぱり語彙力や文章力は大前提です。では語彙力や文章力を磨くにはどうすればいいのか。単純に「本をたくさん読む」とか「たくさん文章を書く」といったことでもないような気がします。もちろんそれも必要ですが、いろんなものを見聞きして、感覚の裾野を広げることが大事なのかも。感性を刺激するだけでなく、ちゃんと制作の方法を考えることも。

わたしは画家だった父に教わったデッサンを通じて、対象の姿を歪みなく見る・捉えることを学んだような気がしています。文章の韻律には、幼少期に習ったピアノに端を発する音楽活動も役立っているのかもしれません。それが短歌で磨かれた感じ。確かな構文の技術力に、敢えてそれを崩す遊びごころとバランス感覚は、お笑いの世界からも学べる。映画や演劇、CM、その他もろもろに触れるときにも、つねに批評的視点を忘れずに方法論を考えることで、実に多彩な刺激を得ることが出来るんですね。

原稿を書くにあたって読者への配慮が大事であると同時に、取材における取材対象への配慮も然りです。それぞれ相手の立場になって考えること。心理学の勉強も役に立ちます。自分自身が魅力的な人になれればそれが最高ですが、その境地にはなかなか辿り着けるものではないですからね…。

結局は収まりのいいところにいさせてもらっている

…と、いろいろ書いてきましたが、これまで学生時代のアルバイトも含めていろんな業種を経験した中で、結局いちばんハマったところに長くいさせてもらっているだけ、というのが正解なのかもしれません。

フリーランスという立場はいわば根無し草で、明日にも失業する可能性がつねにつきまといます。ずっと死神が隣に座っている状態というのも決して大袈裟ではありません。

でも、その危機感があるからこそ「一記事入魂」になるのかも。ひとつコケたら二度と依頼をもらえないかもしれないわけですから。

これだけ長くやらせてもらっていても、要領の悪い自分にはまだまだやるべきことがたくさんあります。あとどのくらい走れるだろう、と思いながら今年も、行けるところまで行ってみます。

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