ブログライフ(2022/6/12)
【よく読むエッセイや日記は?】
それは皆さんのブログではないでしょうか。
もともと、そこに文字があれば延々追い続ける習性があるのです。
子供の頃は、朝食時、テーブルに置かれる牛乳パックに印刷されていた
『生産者、山田さんの声』
を、毎朝毎朝、
文言が変わるわけでもないのに毎朝毎朝、
そらで言えるようになっても毎朝毎朝、
食事の間中繰り返し読み続けていました。
文字があると目で追わずにはいられないのです(T▽T)
そして自ら文字を探し求めてしまうのです(T▽T)
みずみずしい感性を伴って、毎日新鮮な文字が届けられるブログという文化。
それぞれに違う日常、その人だけの世界。
それがこの同じ地球上で、人の数だけ展開されていること。
僕が生きている24時間を、同じ時に、だけどまったく別の目線で生きているみんながいること。
文字欲求を満たしつつ、それをふっと感じるとき、時空の広がりと人との繋がりに、なんだかドキドキしてしまいます。
いいねを付けさせていただいた記事は、必ず読んでいます。
その人の世界で、その人が感じていること、考えていること、喜怒哀楽に、「(勝手に)受け取ったよー」の印として。
(話題やジャンルによっては共感とは限らないんですけど、そこは何も共感じゃなくていいと思うので)
(もちろんよほど悪質な内容だったり、悪質な人だったり、強烈に違和感を感じたりした場合は、黙って帰っていますが…)
ちなみにギブアンドテイクは求めていないので、相手からのいいねがアクセス数稼ぎのばらまきいいねであっても、相手は僕のブログを読んでないんだろうなーと分かっても(何となく分かるよね)、そこはあまり重要じゃない。
伺った経緯がどうであれ、最終的にはこちらがお邪魔したくてしているだけなのだから、気にならない(笑)。
しかしさて、書く側としても、ブログは僕にとって程よいツールなようです。
昔、紙に個人的に日記を付けていた頃は、自身の精神の内側に深く深く入りすぎて、もはや黒いもやが漂い出ているかのごとき闇ノートが積み上がってしまいました。
これを続けていることも精神的に良くない一因になっているんじゃなかろうかと気付き、ある夜一念発起して、川原で大笑いしながら自らの手で全部燃やしたんですけど。
↑ちょっとしたギリギリ感が
その点ブログは人目があるので、書いて大丈夫なことだけを選んで発信しますしね。
日記というほど深掘りした内容は書けなくても、むしろこれくらいがちょうど良いのでしょう。
で、結局何が言いたいのかというと。
ここでお付き合いしてくださる皆さん、いつもありがとう。
ブログちゃんと読んでるよ~。
皆さんのおかげで楽しいブログライフを送れているよ~(T▽T)ノシ
ってこと、だな。
感謝!
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