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我が生涯に一片の悔いなし(2022/10/3)

【いま人生の何合目にいると思う?】

昨日の夜、ふと、

「ああ、俺たちの人生はいい人生なんだな」

と思った。


愛方は他人の人生を優先することを強要されてきた。

まずは母親の人生を。
母親から逃げた先では、彼女を15年間ほぼ軟禁状態に置いてきたストーカーの人生を。

僕と出会い、物理的な脱出を果たしてからも、生まれてからずっと「そうあれ」と打ち込まれ続けてきた心の楔は、簡単には抜けなかった。

もう自由なのに、
もう彼女の時間は彼女だけのものなのに、

それを許してはならないと愛方自身の無意識が科し続けていた。

その楔を抜くのにもまた、多くの時間と過程が必要だった。


愛方は今、毎晩絵を描いている。
それから毎日のようにシフォンケーキを焼き、人に提供するための研究を重ねている。
真剣な顔で、話しかけても僕の声なんか耳に入らないかのように、一直線に自分のやりたいことに集中している。

絵が描きたい。
自分の作ったシフォンケーキを人に食べてもらいたい。

ずっとずっと心の片隅に在り続けていて、でも、それをしてもいいんだと自分に許すことができるようになったのは、実についここ数ヵ月のことなのだ。


昨日の夜、熱心に絵を描いている愛方をちょっと離れたところから眺めていて、ふと、

「ああ、俺たちの人生はいい人生なんだな」

と思った。


自分を生きること。

それから、こうして誰かが幸せであることを自分の幸せだと心の底から感じられることも。



僕も、愛方も、受け入れるより戦う人生を選んだ。

自分たちの生まれの境遇を受け入れることは、泥の凪に居続けることだった。
泥の中は苦しい。
けれども、少なくとも波風の立たない凪、でもあった。

誰かのせい。何かのせい。
そのせいで戦えないんだから仕方ないよね。

苦しいけれども、理由という名の言い訳と諦めが自分を守ってくれていた。


泥から出てみれば、そこはそこで嵐だった。
戦う相手(具体的な人間に限らず)は信じられないくらい増えたよ。
はっきり言って、泥の中にいた頃よりズタボロの傷だらけだ(笑)。

(まあそれは僕の事情のほうだけかな)


それでも僕たちは今、人生のてっぺんにいると断言する。

人から見ればただただ平凡な。
でもそれは僕たちが喉から手が出て窒息死するほど欲しくて欲しくてたまらなかった平凡だ。


マイナスの山をひたすら登り、やっと到達したゼロという頂で、僕たちは嵐の中で仰ぎ見る一点の蒼空の美しさを知った。


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