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きっと、学生のいう「ワクワク」と、働いて感じる「ワクワク」は、質感が違う

先日、学生時代に所属していたアイセックの海外インターンシッププログラムの一つである「Japan Women’s Initiatives」Alumni会に参加した。僭越ながら、そこでパネルディスカッションのパネリストとして登壇させていただいた。

一通りモデレーターからの質問と会話が終わり、会場に質問を募ったとき。一人の学生からこんな質問が挙がった。

「社会人になっても、学生のように常にワクワクしていられるようにするには、どうしたらいいですか?」

正直、回答に困った。求められている回答も、想定している“ワクワク”もつかめなかった。“学生のように”ワクワクとは、彼女は普段どんなことにどんなワクワクを抱いているのだろう?

「何をもって“ワクワク”と言うかにもよると思うのですが……」

そう話し出した私に、同期の仲間から「定義から入るの、いいね~」という声も上がったけれど、この一言は「今の私が思っているワクワクと、彼女の言っているワクワクは全く別物ではないか」という疑問が漏れたものだった。


彼女の言葉に感じた「ワクワク」と、私の思う「ワクワク」の違い

あくまで感覚なのだけれども、「学生のように“常に”ワクワク」は、全体的な質感として軽くて薄くて広がっている。明るくて楽しくてハッピーなのだけど、フワッとしているような気がした。

働きだしてからの「ワクワク」は、きっともっとズシリと重い。腹に力の入るような、戦闘モードのような質感だ。人によってはこのワクワクが「企み」の場合もあるだろうし、ワクワクとは少し違うけれども「産みの苦しみを超えた達成感」かもしれない。どちらにせよ、握りこぶしを引き寄せるような、重みとはっきりした色合いがある気がするのだ。

恐らく質問の前提には、働くようになって仕事になると、責任、やらなければならないこと、忙しさで“ワクワクできなくなる”というイメージがある。

働くようになったって、24時間365日ずっと考えていてもやっていても飽きないようなことを仕事にできれば、きっと一番幸せで常にワクワクできるのだろう。けれど、それにしたってやらなければならない細かい事務作業は発生するし、仕事はクライアントや仲間がいて進むものだから思い通りにいかないことだってある。

私自身、グチを言うことも多い。ひとりひとり、その人だけのワクワクする人生を手に入れられる環境を広めようとしている活動だって、ワクワクとは違う事務作業や、考え込まなければいけないこともある。

だから、「常にワクワク ハッピーでいれていますか?」と言われたらNoだし、それはすごく難しい。

では、ワクワクしていないかというと、それもまた違う。

社会人になったら学生のようにはワクワクできない、その前提からひっくり返したかった。

社会人になったら、きっとワクワクの質感が学生と変わる。そしてそれは、きっともっと面白く、もっと強くてインパクトが大きい。そう、伝えたかった。


この1年半、私がワクワクした瞬間

今までで一番爆発的にワクワクしたのは、昨年担当させていただいた36ページ冊子資料作製の業務だ。

専門家の先生にご協力いただいて調査から行い、委員会を開いて内容を検討する。その事務局業務に始まり、実際に先生を訪問しての取材、取材をもとにした構成作成、執筆、デザイン配置、編集のほとんどを担当した。

最初は事務局業務のみを担当し、大枠構成が委員会で決まればライターを入れて取材・執筆するつもりだった。しかし、その大枠構成を作るまでの間に私が取材していた内容が大きく「廣瀬さんが書くのが一番早いですよ。廣瀬さんが書いたらどうですか」と先生がおっしゃった。

それで「おっしゃ、それなら敲き台は廣瀬が書いて、細かい表現部分は後から校正でプロを入れよう!」となったのだ。今振り返っても恐ろしい……。

これが私にとってはものすごく大きな成長機会だった。

なんで一人で書き続けているのだろうと不満もあった。同時並行で進めていたアレルギー対応旅行もあり、しんどいと感じることが多かった。

これまでやったこともない分野の説明をせねばならず、生理学や人体に関する本など、いくつかの本を購入し読み漁った。大まかなデザイン配置と、色覚障害の方も見られる配色にするための知識が必要で、デザイン基礎の本も読んだ。

取り扱った題材は、もともと興味のある分野というわけではなかった。けれど、やっているうちに気になるようになり、知れば知るほど面白かった。当時は不機嫌で荒れていることの方が多かったように思うけれど、今振り返るとものすごく面白かったと感じるから不思議だ。

出来上がった冊子を手にした瞬間。その冊子に目を通しながら「いいものが出来ましたね」と協力くださった先生が優しくおっしゃった瞬間。クライアント担当者が「いいですねー。部署内でも評判ですよ。ありがとうございます」とおっしゃった瞬間。とろけるような、溢れ出るようなトキメキがあった。



ワクワクとは違っても、辞められない瞬間や感触がある

主要業務のアレルギー対応旅行はどうかというと、実はこちらは「ワクワク」の質感はさほど大きくない。どちらかというと、キリキリしていることの方が多い。

顧客対応に広報にお金の管理。資料の作成と発送。ここ数回のツアーはこの資料作成がメニューの原材料という、アレルギー対応の旅行においてお金よりも何よりも間違えがあってはいけないところだったこともあって、ピリピリしていた。

ツアーの随行だって、ワクワクよりもソワソワの方が大きい。子どもたちの写真を楽しげに撮りながら、常に万一のことがないか緊張している。

正直、ほとんどの時間、ワクワクなんてできていない。

よく、こんな様子を見て「早く辞めなよ」「転職しないの」と心配してくれる友達がいる。私自身、そう思わないことはない。

でも、それを超える使命感と、ほっとした瞬間のトキメキがあるのも、またアレルギー対応旅行の顧客対応窓口なのだ。

ツアー終了時のお母さん方の晴れ晴れした笑顔。「また来年も来たいです」という声。感謝の手紙やメール。参加したお子さんがお土産とお手紙を送ってくださったこともある。

このくすぐったい感情は、喜びとも嬉しさとも安堵とも感謝とも名付けきれない、キラキラ光ってフワリと広がるトキメキだ。そこから生まれるエネルギーと使命感。これがあると、99%が辛くても、無責任には放り出せなくなってしまう。お客様の声は、魔法だ。


2つのトキメキに共通すること

この2つのワクワクとトキメキに共通することが、2つある。

1つは、一番しんどい時期に潰れずに通り超えていること。

そしてもう1つが、やり切った後に肩の力を抜き、自分を「よくやった」と言ってあげる瞬間、あるいは周囲がそう言ってくれる瞬間があることだ。

一番しんどい時期に潰れずに通り超えられているのは、グチを聞いたり一緒になって手伝ってくれたりするバイトの子たちや、仕事外でも頼って話せる友人がいるからだ。それもわかっていて、意識して友人と話せる時間を取るようにしている。

やり切ったあとの肩の力を抜く時間は、私の仕事の特性上作りやすいのかもしれない。けれど、きっとどの仕事であっても、ふと立ち止まって振り返り、随分遠くまで歩いてきたなぁと自分を褒める機会は重要なのだと思う。

きっと、この2つができていれば、学生の頃のワクワクとは違ったもっと大きなワクワクやトキメキを抱きながら、働くという手段で社会と関わって歩んでいくことができるのだと、最近はやっと思える。

そんなシンプルな答えにたどり着くまで、1年半。迷いながらだし、まだまだ迷子だ。もしかしたら、この答えだって来年には変わっているかもしれない。

だから、ひとりひとりが見つけたらいい。自分らしいワクワクと、自分がワクワクできる秘訣を。その都度、人生のステージに合わせて変えていけばいい。ワクワクの形も、感じ方も。

そうやって自分で見つけて変化を楽しむこと自体が、仕事の枠を超えて生きていく上でのワクワクではないだろうか。

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