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誕生

 母からLINEで、うれしいニュースが届いた。

「女の子が生まれたって」

 「生まれる」
 なんていい響きだろう。世界が明るくなる。暗いニュースが多い昨今、生誕の知らせは希望だ。

 母方の従姉の、第一子。昨年秋に春出産予定と聞き、楽しみにしていた。思っていたよりも早い出産で驚いたけれど、母子ともに元気なようだ。
 祖母とも電話をした。祖母からしたら、ひ孫の誕生。さぞかし喜んでいるだろうと思った。

「女の子なのにね、向こうのお父さんにそっくりなのよ!」

 あかちゃんの写真を見たそうで、元気に文句を言う祖母。ものすごく喜んでいる証拠だ。クスクスと笑いながら「よかったね」と話していると、祖母から攻撃が飛んできた。

「あんたも早く結婚して、産みなさいよ。そういうのはね、早いほうがいいのよ。早いほうったって、もういい年なんだから」

 そんなこと、言われなくたって知ってる。この話題で電話をすれば、そう言われるだろうことも、わかっていた。
 「あはは」と笑って、聞こえなかったかのように受け流す。「でも、本当にふたりとも元気でよかったね」と強引に話を戻し、よかったよかったと言いながら電話を切った。

 子どもは、どちらかろいえば好きだ。キッズモデル撮影のアシスタントや、食物アレルギー対応旅行の仕事をしてきたのだから、嫌いなはずがない。
 だけど私は——少なくとも大人になってからは——これまで、親になりたいと思えたことがなかった。

・・・

 「将来的に子どもを産みたいか」

 何度も目の前に置かれてきた命題。

 最初にこの命題を“世間話”ではなく、現実味を帯びた話として考えるようになったのは、22歳。大学4年から5年にかけて、就職活動の中で、否応なしに向き合うことになった。
 正直、想像できなかった。想像したいとも思えなかった。反射的に、そして直感的に、「こんな苦行、子どもに背負わせられない」と思ったのだ。

 親になったところで、先のことなんて保証もできなければ責任も持てない。だけど一度生まれてしまったら「やっぱしんどいんで、やめま〜す」なんて、子どもはできない。それなのに、その歩むべき世界は、展望が見えない。
 いじめに自死問題にパワハラ、少子高齢化に環境破壊。子どもは少なくなっているはずなのに、なぜかなくならない待機児童問題。不況に年金問題。さらに当時(2014-15年)は、ISの活動が活発化し世界中でテロが多発、アメリカではトランプが次期大統領候補として台頭してきた時期でもあった。世間は暗いニュースと課題ばかり、どんなに頑張ったって、今よりいい世界になるような期待が持てない。

 世界に向かって、どこの誰かわからないお偉いさんに向かって、叫びたかった。「子どもは大切だというのなら、出産育児を考えろというのなら、頼むから“子どもを産みたい”と思える社会にしてくれ」と。

・・・

 だけど、私が出産も育児も考えられなかったのは、社会のせいだけではなかったなと、今は思う。
 それよりも、ただただ自信がなかったのではないか。自分という人間が、一つの命を預かって、一人の人間を幸せにすることに。

 あの頃の私は、社会の流れの中で生きることに疲れていた——なんていうと「まだ学生だったくせに、何を」と言われてしまうかもしれない。けれど、学生だからこそ感じる周囲からの期待に、そしてその期待に応えねばと感じる自分に、疲れていた。
 大人に聞かれる「何を目指しているの?」「どんな想いで今、活動しているの?」。後輩に聞かれる「どうして、それに取り組んでいるんですか?」「先輩はこれについてどんな考えですか?」。
 ……そんなの、知らない。わからない。なんとなく興味があるからではダメなのか。何かしっかりした考えを抱かないとダメなのか。やりたいこともキャリアも、その時々の成り行き任せで、流れるように変えていくのではダメなのか。
 モヤモヤとイライラを抱えながら、だけど相手の期待を裏切るのが怖くて、一生懸命に何かを絞り出す。期待に沿えそうな、それでいて自分にとっても“まったくの嘘”ではないような何かを、絞り出す。それを繰り返していくうちに、小さく小さく自分を消耗していた。何が“自分”なのか、何が求められた周囲に映る自分“像”なのか、わからなくなっていた。

 そんな状態で「親になれ」と言われたら——。両親が思う“いい親”、そして周囲が思う“私らしい親”の姿を熟そうとしてしまう自分のイメージしか持てなかった。その姿勢はどんなにいい親に見えたとしても、底のところでは子どもと正面から向き合っているとは言えないだろう。気にしているのは周囲。自分のことだってちゃんと見てあげられていない。それって、子どもにとっても、自分にとっても不幸じゃないか。
 そして子どもができれば、周りは子どもにばかり目を向けるに違いない、と当時の私は思っていた。誰も、私自身のことは見てくれなくなるだろう、と。私のことは誰が見てくれるのか、私の人生はどうなるのか、と。

 「自分」しか見えていなかった私には、自分が自身も人も幸せにできる人間だとは思えなかった。誰かを真正面から愛せる気がしないでいた。

・・・

 とはいっても、当時は「まだまだ先のことだから、今は答えを出さなくてもいいだろう」と思っていた。ところが、あっという間に20代後半になり、母が私を産んだ年齢を過ぎてしまった。

 大学卒業後のしばらくは新社会人、そして転職と駆け抜けて、その忙しさに将来的な出産育児について、その手前の結婚についてすら、考えることはほとんどなかった。
 けれど27を越えたあたりから、親になる友人がちらほらと出てきはじめた。その様子を見ていると、やはり少し考えることはある。そして、少し自分の考えが変わってくるところもある。

 友人に「おめでとう」と言っているうちに——不思議なことに、自分ではなく友人の話だと、素直に「おめでたい!」と喜べるのだけれど——ネガティブな印象だった“出産・育児”が、素敵な出来事なんだと感じられるようになってきた。

 友人が子育ての様子を話してくれたり、SNSで更新していたりするのを見ていると、少しだけ、その道を歩んでこなかった自分に対する後悔のような、友人への羨望のような気持ちが生まれる。同時に、てんやわんやで大変そうだなと思いながらも、ほっこりして笑い、胸が温かくなる。
 そして友人に子どもができたとしても、私自身がその子どものことばかりを見るようになったことはなかった。私は今でも、友人の姿を見て、友人と関わろうとしている。そう気づいた時、反対も然りで、周囲もきっと私のことを見てくれていて、私がそれを受け取れていなかっただけなのだと思えた。

 「じゃあ、今は子どもが欲しいのか」と言われると、やっぱり少し迷うし、成り行きとご縁としか言いようがない。「そんなこと言っていたら、いつまでたっても結婚できないよ! 縁は求めて動いている人のところに来るんだよ!」と言われたこともあるけれど、そんなに頑張らないといけないくらいなら、ずっと一人でもいいかなと思っている。
 だけど、「私は親にはなれない。子どもなんて持てないし、幸せにできない」と強く否定的に見ていた私は、今はいない。自分が生きることへも、世の中へも、少し上向きになれたのだろうか。

・・・

 そして今月。従姉にあかちゃんが生まれたと聞き、彼女の写真を見せてもらって、私の中で一つ想いが芽生えた。

「この世界はしんどいことも多いけど、捨てたもんじゃない。いいことばかりじゃないけれど、それでも世界は美しく、生きるに値する」

 そう言える、大人でありたい。そう伝えられる、大人になりたい。

 今日もSNSやニュースサイトを開くと、暗いニュースだらけ。だけど、先日、大学時代お世話になった先生の最終講義を受けたとき、その先生は「危機的状況のときこそ、見える希望がある」とお話しされた。その希望である一点の光を見つけ、そこに向かってどう世代やジェンダー、属性を超えて一緒に進んでいけるかが大切であると。
 私も、暗い暗いと嘆き落ち込むばかりでなく、光を見つけようとする人でありたい。そしてその光が大きくなるように、わずかであっても、力不足であっても、何か進んでいく人でありたい。そうして、胸を張って子どもたちを迎え入れられる社会でありたい。

あかちゃん、生まれてきてくれてありがとう。
ようこそ、この世界へ。

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