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飛ばないチキン

 断ることが、苦手だ。

 なぜ苦手なのか、いまいち自分でもわからない。
 相手が気分を害するのではないか。陰口を言われるのでは、自分が損をするのでは、自分の評価が下がるのではないか。後から後悔するのではないか……。明確ではないけれど、何かを恐れているような気がする。

 どんなに足を踏み込むのが怖いことであっても、周囲に押されると、そこに進まない選択をとるほうが怖くなる。自分の意思とは反対に、突き進んでしまう。「やらない」という選択ほど、勇気がいる。

* * *

 高校1年生の夏休み。学校が主催する、希望者生の海外英語研修に参加した。約3週間、ニュージーランドの北島にある街・ヘイスティングスでホームステイをする。平日は協力校に通い、そこで英語の授業を受けた。
 ニュージーランドはアウトドアの活発な国だ。研修期間中には、ジェットボートやホースライディングなどの体験プログラムも用意されていた。その中の一つに、バンジージャンプの見学があった。

 ニュージーランド到着初日。首都・オークランドからヘイスティングスへバスで向かう途中、タウポへ寄った。ホテルで一泊するのだが、その前にワイカト川へ。有名なバンジージャンプスポットがある。バンジージャンプは南島・クイーンズタウンのカワラウ川が発祥だと言われているが、ここワイカト川でも同じように川に向かって飛び降りるバンジーを体験できる。

「ここのバンジーは、3段階あります。川にザッバーンといくのか、水面に頭がちょっと触れるくらいか、水面に触れる前に止めるか」

 約30名、観光大型バスに乗り込んだ私たちに、添乗員さんが説明する。

「今から、ジャンプ台が見える少し離れた場所から、20分くらい見学します」

 私たち生徒はチャレンジさせてもらえず、ただ観光客が挑戦するのを遠くから見学するという。幾人かは「え〜」と声を上げ残念がったが、参加希望制とはいえ、学校行事。安全面や保険を考えると、当たり前といえば当たり前だろう。


 見学スポットへ行くと、少し離れたところに陸地からせり出した鉄の橋があった。先端に人が3人ほど見える。

「あ、降りるよー! あの一番前の人が挑戦する人で、後ろの2人はインストラクターさんだね」

 添乗員さんが解説する。橋の下には、ゴムボートが見えた。飛び降りた後にはそのボートが近づき、挑戦者をピックアップするという。上も、下も、準備は万端だ。
 しかし、なかなかバンジージャンプは始まらない。橋の上に小さく見える人影は、一歩進んでは一歩引き、一歩進もうとしては後ろのインストラクターと話し、としている様子だった。
 ジリジリと時間が経っていく。体感にして5分程度した頃。ついにその挑戦者が思い切って飛んだ。

「飛んだ〜! 飛んだで!!」

 ゴム紐がヒュルヒュルとたわんで伸びていき、人は弧を描くようにしながら下へ下へと落ちていく。そうしてピンっとゴムが張り、川の水面でわずかに水飛沫が上がるのが見えた。レベル2「水面にちょっと触れる」を選択していたのだろう。
 ゴムが緩く伸び縮みし、人影もそれに合わせて上下する。その間に、待ち構えてたゴムボートがスーッと寄っていった。
 救出されたその人は上を向いて、先ほどまで立っていた橋の上のスタッフや見学者たちに向かって手を振った。はっきりとは見えない距離だったが、どう見ても笑顔だった。30名の高校生たちは、「おおおぉ〜!!」と声に出して拍手をした。

 その後も何人かが飛んだ。こんな車でしか来られない大自然の中なのに、飛ぶ人があとを立たない。驚いた。
 迷うことなく即座に飛び込む人もいれば、最初の人のように少しまごつく人もいた。どの人も、飛んだ後は肩の力が抜けたように見えた。


 見学しはじめて、何人目だったろうか。なかなか飛べない人が出た。
 インストラクターが何度か押そうとするも、腰を引いてしまってすぐ後ろに戻る。そのまま座り込んでしまった。その後も2・3度前へ出ようとするが、結果は同じ。少しして、インストラクターにサポートされながら、橋の根元に戻って行った。
 お金を払ってそこまで行ったのに。見学者だっているし、家族や友人と来ているだろうに。戻ってきたら、どんな視線を向けられるんだろう。戻るほうが怖いのではないだろうか。そもそも、怖がりなのになんで飛んでみようと思ったんだろう。そんなことを考えていると、添乗員さんの声が聞こえた。

「あー、リタイアですね。ここでは、チャレンジしようとしたけれどリタイアした人には、“CHICKEN”と胸に書かれたTシャツをプレゼントしているんですよ」

 バンジージャンプ代は返金されず、「CHICKEN=臆病者」と書かれたシャツをもらうなんて。なんという意地悪ジョークだ。そう思った直後、一言説明を加えられた。

「そのTシャツ、お土産コーナーでも売られていて、人気なんですよ」

 え、なにそれ。急に自分の細い目が、クリンと見開かれるのを感じた。そう聞いたら、途端に自分も「CHICKEN」のTシャツが欲しいような気がしてきた。言葉では「臆病」と言っているはずなのに、見下しているのとは違う、ある種の勇気の称えのようにも感じた。

 時間はあっという間に過ぎ、5人ほどの挑戦を見届けたバンジージャンプの見学は終了した。

 見学場所からバスに戻る途中、「CHICKEN」と胸元に書かれた白いTシャツを着ている人を見かけた。さっき、添乗員さんが説明していたやつ! その人は、笑っていた。輝かしいほどの笑顔だった。清々しかった。
 そこでTシャツを着ていた人が、見学中にリタイアした人なのかどうかは、わからない。けれど、その清々しさにどこか眩しさを覚え、うらやましいとすら思った記憶がある。

* * *

 あの光景から、15年。

「やりたくないなー」「これ、しんどいやつだな」。そう思っても断ることがなぜかできなくて、断らずになんとかしようとしてきたことが、幾度となくある。そうしてそれは、なんとかはなったとしても、あまりハッピーな結果を生み出してはこなかった。少なくとも、私自身も、関わる人も、楽しげな顔はせず愚痴ばかりが増えていく。
 その度、思うのだ。あそこで断る勇気が持てていたら、と。
 あの、飛ばない選択をして「CHICKEN」のTシャツを着る人のような勇気が持てていたら、と。

 勇気ある〝飛ばないチキン〟を、時には目指そう。


本当は1月3日までに公開するはずでしたが、年始の震災を受けてもやもうやが大きく、参加を遅らせるとしていたnoteです。長く下書きで熟成されてしまっておりました……。当初宣言からだいぶ遅れてですが、せっかくなので公開します。

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