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裁判員制度は、機能していないに等しい

「あれ?裁判所から封書が届いてる?」

「もしや、俺訴えられた?開けて確認しないと!」

「ん?俺が裁判員に選ばれただと?俺が犯人を裁くこと何てできるのかな~?」

裁判員制度が始まった当初は、こんな戸惑いを経験した方もいるのでは?裁判員制度がスタートしてから、今年5月21日でちょうど10年。導入当初はニュースでも裁判員制度の仕組みや一般市民にもたらす影響など、時間を割いて報道していた記憶がある。

導入されて間もないころは、一般市民から選ばれた裁判員の判決によって、死刑判決となった事案も多かった。ところが最近になって、裁判員制度に疑問点を感じることが多くなったと感じる。本当に一般市民の声を反映しているのだろうかと、制度そのもののあり方に疑念を抱くようになった。


裁判員制度の仕組み

ここで、日本の裁判制度と裁判員制度を簡単に説明を。

日本の裁判では三審制をとっており、まず第一審は地方裁判所・簡易裁判所・家庭裁判所で行われる。これらの裁判所からでた判決に被告もしくは原告が不服だと思った場合は、高等裁判所(第二審)に控訴することができる。もしまた第二審の判決が不服の場合は、最高裁判所(第三審)に上告できるが、最高裁判所から出た判決が不服であっても、ひっくり返すことができない。

そして、一般市民が参加する裁判員裁判は、第一審のみであるのが現状。控訴・上告されたときに高等裁判所(二審)、最高裁判所(三審)で行われる裁判は原則、裁判官の判決によって被告の量刑が決まる。つまり、一審で死刑判決が出たにも関わらず、二審・三審の判決によって一審の判決がひっくり返されるのだ。

もし一審の判決が却下されたら、実際に参加した一般市民の裁判員は、何のための裁判員裁判なのか?と疑問を抱くのは当たり前のこと。それでは一般市民が参加できる裁判員制度の本質が薄れるのは言うまでもない。


裁判員の心理的負担が大きい

これまで裁判員裁判を行った事案は、のべ1万2千件にもなる(令和元年5月時点)。そして、裁判員裁判の対象となる事案は、殺人や放火・傷害致死・危険運転致死など、人の死に大いに関わる事件が多い。

その際裁判員に、実際の犯行の様子が映った映像や、殺人事件の場合は犯行に使ったとされる凶器などを見せられることがある。実際に、最高裁判所のホームページにも、こうした記載がされている。

○ 死体の写真なども見なければいけないのですか。
審理においてどのような証拠が取り調べられるかはケースバイケースですが,判断のために必要がある場合には,死体の写真のような証拠を見てもらうこともあります。このような証拠も,どのような事実があったのか(なかったのか)を判断する上で,必要と認められて取り調べられるものですが,取調べの仕方については,できる限り裁判員の負担の少ない方法になるよう配慮したいと考えています。

もちろん証拠となっている映像や写真を見せることは、裁判員側にとって自分の意見をまとめる大きな判断材料であるのは確か。ところが、いわゆる刺激が強いものを見ることで、のちに裁判員を務めた方から、体調を崩したという報告もあがっている。

自分の意志で選ばれたわけではない裁判員が、犯行の瞬間映像や遺体や傷口の写真を見せられ、いろいろな感情が交錯した中で死刑判決が妥当だろうと意志表明したのに、控訴審や上告審で判決がひっくり返されるのは納得いかないだろうと推察する。だとすれば、法律や裁判の知識・経験が浅い一般市民に、殺人や放火といった重犯罪事案を裁判員として招くのはいかがなものかと。まだ軽微な犯罪事案を裁判員として招き判決を出した方が、裁判員の心理的負担も軽くなり、もし次回裁判員に選ばれても、また参加したいと意欲も多少あがるのではないかと思う。制度そのものも含めて、一般市民が参加できる裁判を見直す時期に入ったのではないかと。


早急な基準の見直し

12月2日に、一審の裁判員裁判では死刑判決だったのに、その後の二審では、犯行の計画性が低いことなどを理由で1審の死刑判決を破棄し無期懲役の判決が下った裁判があった。

その裁判は、2012年(平成24)に大阪の繁華街、心斎橋で通行人の男女2人が包丁で刺された通り魔事件である。最高裁判所によると「場当たり的な犯行であることも否定できない」「無期懲役が甚だ不当だとは認められない」と判断し、検察側・被告側の上告を棄却。無期懲役の判決を下し確定することに。これで、死刑判決が破棄された裁判は、5件目になる。

ここまで死刑判決が撤回されると、なぜ?という感情が湧き上がってくる方も多いと思う。調べてみると、死刑判決の判断は、1983年(昭和58)の最高裁判決が示した、いわゆる「永山基準」を参考にしているとのこと。要するに死刑判決は、無期懲役や懲役刑とは異なる材料で判決が下るとも読み取れる。

そうだとすれば、裁判員制度は本来、民意に近い量刑を出すという目的で始まったのに、その「永山基準」を採用しているのなら、裁判員の意見はまったく反映されないのに等しいだろう。

裁判員制度も、10年を経てば課題や見直す点が浮き彫りになってきた。最近では、裁判が長期化していることも起きている。ただでさえ機能できていない部分もあるこの制度が、崩れることも大いにあり得る。本当にこの制度を存続させたいのなら、思い切った制度変更もしなくてはならないだろうと思う。これ以上、一般市民が翻弄されないためにも。

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