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僕って「先生」?

 ふと考えたことが思いのほか大切な気がしたので、備忘録としてここに記しておきたくなった。

 要はするに、僕はどんな「先生」になりたいのか、という話だ。正直に言ってちっともわからないし、考えれば考えるほど自分は「先生」なんて大それた職業は向いていないのではと思えてくる。向いていないは言い過ぎでも、誰が見ても「先生」というような姿がちっとも将来の自分として描けないのだ。そもそもがあまり深く考えずにその時の気持ちのベクトルだけでなってしまったわけで、明確なビジョンはなかった。教育実習では指導担当の先生や生徒達に「先生にしてもらった」感も強かった。

 そして、この一か月非常勤ながらも「先生」をやってみてもちっとも「先生」になれない事実に、不安と絶望感がやってきた。おてんば・フリーダムな生徒たちは僕の授業と言葉に関心を持たず、生徒としての薄い義務感と新人教師へのお情けでなんとか席についている有様で、一度は授業を続行できない状況にまでいってしまった。叱っても諭しても、魂のない言葉は虚しく響くだけで、教室はきまずい騒がしさのままだった。唯一の救いは、上司が優しいということだろうか。

 仮に授業のテクニックを覚え、そして今後正規の教諭職を得たところで、「先生」としての魂を持たない人間が教壇に立つことでどれだけの意味があるのか。

 そういう自問自答を繰り返した。僕自身の人格に背く表面的な「先生」の演技は、やったところで虚しい。例えば厳しい生徒・生活指導を僕はおそらくできないし、根拠のない精神論を唱えても生徒に不快なノイズ以外のなんの印象も残さないだろう。僕自身もそう感じていたように、子どもというのは言葉の真贋に対して非常に聡い耳を持っている。「先生」へのなりきりは棒読みで、即座に見破られる。芝居とまったく同じだ。

 そこでふと、教育実習のときのことを思い出した。僕が教員になろうと感覚的に思ったのは、実習が楽しかったからだ。「これなら先生になってもきっと大丈夫だ」と思えたからだ。つまりその時、僕は「先生」になれていた。では教育実習のとき僕はどうして「先生」になれたのだろうか。それはさっきも書いたように、周囲の人に「先生」にさせてもらったからだ。では何故、僕は「先生」にさせてもらえたのだろう。特に、受け持っていたクラスの生徒から。

 実習期間の始めのころ、クラスの生徒たちは僕のことをちらちら見てはいても、あまり積極的に話しかけてはこなかった。奇異の目で見られていたと言ってもいいかもしれない。学校には基本的に生徒と先生しかいないと考えれば、僕はそのときそのどちらでもなかった。生徒との会話の糸口も思ったより見つけられなかった。

 学校に馴染んだのは、おそらく実習に週めの文化祭以降だろう。実習一週目の放課後、僕は指導担当の担任教諭に文化祭準備に参加するよう言われて、時間の空く限り彼らの作る『ピ〇ゴラ〇イッチ』の制作を手伝った。生徒たちは僕よりよほど手先が器用だったしそれなりに賢かったけれど、高校生らしい詰めの甘さや視野の狭さがあって作業は遅れていた。僕は最初、生徒たちに作業についての聞き取りをし、それで雑談のきっかけを時々得ながら、仕掛けの中の細かなひび割れを地味に修正していた。おそらく生徒たちともっとコミュニケーションを取れというのが指導教諭の意図だったのだろうが、むしろ僕は作業に没頭していた。時間的な比率はおよそ7:3くらいにのぼったはずだ。またそれはたぶん、僕の悩みや迷いと「先生」としての能力の比率でもあったのだと思う。そしてその悩みや迷いの比率も生徒にはぼんやりと見えていたに違いない。

 ただ、作業を続けていくうちに生徒の反応が変わっていった。作業を通して、僕は徐々にクラスに馴染んで行ったのだ。僕は結構その『ピ〇ゴラ〇イッチ』作りに没頭していた。それはつまりこのクラスに迷いながらもコミットしようという意識の表れでもあったのだと思う。それが生徒たちに伝わり、彼ら彼女らは僕をクラスの構成員として認めてくれはじめた。それは同時に、僕をいちおうの「先生」として認めてくれたということでもあった(なぜなら僕は明らかに「生徒」ではないのだから)。文化祭を終えるころには、生徒の方から積極的に声をかけてくれるようになっていた。そうして僕は「先生」にしてもらった。

 実習最後の授業のおわりの五分ほどをもらって、僕は生徒たちに書いた手紙を読んで送った。僕の話を聞いてくれる生徒たちの顔は神妙なもので、僕はなんだか誇らしい気持ちになった。たぶん真剣に教員になると決めたのはこの瞬間ではなかったかと思う。

 やっと話が最初にもどる。どうして僕はこの時しっかりと話をきいてもらえる「先生」にしてもらえたのだろうか。それは実習最終日、指導担当の教諭が教えてくれた。


「自分の失敗も喋ったでしょ。あれがいちばん生徒に伝わったんとちゃいますか」


 たぶんこれが、実習中いちばん嬉しかった言葉だろう。自分の失敗、つまり悩みや迷いも含めて、僕は正直に言葉を綴った。それは手紙にも書いた通り、まだ僕自身が「先生」として語るには未熟すぎることを自覚していたからだ。僕は現時点で僕自身の言葉でしか語りえない。「先生」としては沈黙せねばならない。その、「先生」になれていないことをも含め、正直に語った。たぶんそこには、「先生」になろうとする未だ「先生」でない自分が、賭けられていたのだと思う。最後の授業での語りには、僕という人間の真実が確かに込められていたはずだ。僕は「先生」でないなりに、魂から言葉を発し、それが生徒に響いた。担当教諭が言ってくれたのはつまりそういうことだ。


 現在の僕に立ち戻ろう。

 僕は今、ビジョンがないままに「先生」をやっている、やらねばならない。新人でも非常勤で週数回しか会わなくても僕は生徒にとって他と変わらず「先生」だ。何かしら響く言葉でもって生徒に相対しなければならない。根拠のない薄い嘘は見抜かれる。嘘を厚く塗り固めるだけの能力はまだない。ただ、それでも「先生」にならなければいけない状態、その迷いや苦悩、あるいは努力を、卑屈にならず生徒に垣間見せることで、誠実に教壇に立つことぐらいはできまいか。弱い自分を肯定するのではなく、かと言って否定しきれないアンバランスな状態。そこから(例え反面教師であろうとも)生徒に伝えられることがあるのではないか。有り体で身もふたもない言い方をすれば「未熟だが若いパワーを見せる」こともまた、僕に教えられることではないだろうか。

 自分のメンタルの弱さをあえて示し、自分の様子を見せることが、誰かしらの生徒の何かしらの印象に残ることがあれば、それも無意味ではあるまいと、自身の他者から学んだ経験から、僕はそう思う。

 教育者として未熟、教育論としては賛否両論むしろ底辺。ただ、僕自身の心構えとしては、これで幾分無理なく教壇から生徒に語ることができる気がする。失敗談はいつだって笑いを誘い、けれど心に残る。

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