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本当は好きだったもの。

一旦、noteで必ず発信したかった言葉たちや、共感してもらいたかった思想について触れていくことができたので、今後は気ままに日記程度にしようかと。

ただ、日々クエスチョンマークの浮かびやすい人間の私だから書きたいテーマは尽きそうにないです。
(そんな私の幼少期の口癖は『これ何?』でした、今と性格変わらんな…)

それはさておき、今日のお話ししたいテーマは、
『本当は大好きだったもの・コト・トキ』についてです。

あの頃大好きだったもの、

・小学校の帰り道石ころを蹴って家まで帰る習慣。
・家まで最短何歩で帰宅できるか友達と勝負して、明日絶対勝ったと自慢するぞと喜んだとき。
・中学校の登下校の急に降ってきた大雨。
・あまり授業が行われていない家庭科室の後ろに選抜で張り出された作品たち。


・それらを大人になった今思い返しながら通学路を何時間もかけてみんなのことを思い返しながら散歩する時間。


例をあげるとキリがないけど、誰かの歌詞にもありました。

『思い出が増えて、住みにくい街になったな。』

きっと嫌いになったとか、窮屈に感じたとか、そんなものじゃないと思うんです。ずっと住んでたら、
「あの時のあの子どんな気持ちだったかな。」とか、
「あの子もう私のこと覚えてないだろうなあ。」
だとかいろんな場所にあの時の私たちが見えて、苦しいんですよね。

最近、若者の田舎離れが深刻化しているというニュースをもう何年も耳にします。
都会の憧れや、職業選択の幅が広がるという理由で。

ただ、ぼんやりとした感覚で思い出が多すぎて離れる人も多いと思います。
(これに関してはソースはありません。私の感情調べです。笑)

前に進む仲間が多くって、いつまでも思い出と対面してしまう(いい思い出もそうでないものも)それから逃げたくって出る方もいるんじゃないかな。

今日はうまく言語化ができそうにない日ですね。
難しい、でも私もその一人で。

私にはありがたいことに沢山の友達と過ごした綺麗な思い出があの場所には多すぎるんですよね。
日々振り返るにはすこし心がもたなくって、綺麗な思い出こそいつか自分を励ますために元気づけるために取っておきたいので、今はあえて距離を置きたい自分がいます。

そんな思い出や感情が色で見えるような私に今の都会という環境はどうも、みんな意図的に感情が小さいです。
それが正解のように見え、結果感情がキューブ状に見えます。
大人でお手本のような社会人さんたちが密度で言うと沢山存在しています。(田舎よりも)

だからこそ感情の形が小さくて、自己防衛心が故にキューブ。角っこがおおいつくりなんでしょうね。(感覚的で、どこかスピリチュアルなお話でごめんなさい。)

いつか壊れてしまうんじゃないかと心配だけど、
「大人は壊れながら当たり前に一人乗り越えて仕事、生活を送っているよ。」
そう身内に言われ悲しくなったり、ハッとしました。

日本丸ごと暖かくなったらいいのにね。

2023/12/03 Wio Yamasaki




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