「他人に迷惑をかけるな」と教えられた結果、他人と自由に話せなくなった

子供の頃、親に厳しく言われたことは、勉強しろでも何かを頑張れでもなく、他人に迷惑をかけるな、だった。

そのせいか、今では他人が不快に感じることが、自分にとってたまらなく不快。自分が極限まで我慢するのは構わず、他人が快適であればよく、その状態が何より自分の幸せに感じる。客観的に見て病的だなと思うし、何かしらの疾患名が付くのかもしれない。もしあるなら知りたい。

それはさておき。そういうアイデンティティを持つ自分であっても、別に困ったこともない……と思っていたら、最近ようやく気付いた。このせいで人と積極的にコミュニケーションできない。

人と関わるのは大好きだし、友達とならむしろ喋り過ぎるくらい。でも仕事の知り合いなど友達とは言えないくらいの関係だと、「自分から相手を呼び止めて時間を使わせるのは、相手が不快に感じるかもしれない」という思いが先に立ってしまう。

例えば、私はジャーナリストの仕事をしているので、いろいろな方と出会ったり話をしたりする。仕事上で必要なことならいくらでも饒舌に話ができる。

ただその後、街中なりイベント会場なりで顔を合わせたとしても、こちらから声をかけられない。今は私と仕事をしているわけではないから、相手は私に時間を使うべきタイミングではない。ということは、迷惑だ。

もし声をかけたとして、私のことを覚えていなかったりしたら、相手にしたら「誰だか覚えていない人に声をかけられた」ことになり、思い出すにせよ忘れたままにするにせよ、相手に不快感を抱かせてしまう。

だから話しかけられるのは「絶対に自分のことを覚えていてくれる相手」だけ。過去にインタビューでとても話が盛り上がった方がいらっしゃったとして、私のことを覚えていてくれたとしても、それは仕事上の付き合いであって、私自身に興味はないかもしれない。そんな人に話しかけられたら不快な感情があるのではないか、と想像する。

逆の立場になると、話しかけられることはとても嬉しい。私のことを覚えていてくれて、仕事などの利害関係を抜きにしても、私に時間を費やしてもいいと思ってくれたわけだから、とても光栄だ。

こんな私の性格を直したいかと問われると、直したくはない。他人に迷惑をかけず、気遣いができることは、素晴らしいことだと思う。ただ、この性格を持ったままで、他人に気軽に話しかけるための理由付けは必要になるだろうな、と思った。

あと、5歳の息子にもやはり「他人に迷惑をかけるな」と教えてしまうが、私のようになって欲しいとは思わない。幸いなことに、息子は全く人見知りをせず、誰とでもすぐ打ち解けるいい性格をしている。もしかしたら、息子が私の欲しい答えを持っているのかもしれない。

もっとも、今はまだ他人の迷惑を考えられないわがままボーイなのだけど。自分の生き方を豊かにしてくれないかな、と期待をしながら育てていきたい。もちろん冴えた答えが今すぐ見つかってくれるのも大歓迎だけれど。

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