息子の教育は、自分が通ってきた道を参考にできるか

 いま4歳になった息子の教育について考えるにあたり、自分のことを思い出す。

 私はド田舎で育ったこともあり、塾や習い事をさせられた記憶は一切なし。保育所に預けられたくらいで、毎日近所の藪の中を走り回っていた。

 小さいころから好奇心旺盛で、保育所の年長の頃には、近所の子が行くという習字についていって、なぜかそのまま1年以上続けたり、小学校に上がるとやっぱり近所の子が行くという少林寺拳法を始めて10年ほど続けたり(今思えばどっちもすごい)。

 それ以前に、文字や数字を勉強したという記憶はないのにひらがなカタカタABCの読み書きができていたり、足し算引き算くらいは就学前にできていたので、実は親がうまく家庭内教育をほどこしていたのだろうなと思ったりも。確かに九九も学校で習う前の1年生のうちに覚えさせられたし。

 そんな下地が興味に結び付いたこともある。就学前から宇宙への興味がものすごく強く、小学校に入学するやいなや図書館にあった宇宙関連の本を全て読んだ。1年生の4月の誕生日プレゼントには、天体望遠鏡をねだって買ってもらった。以降も宇宙への興味は尽きず、そこから科学への興味が広がっていった。自分にとって自然な事だったので最近まで何とも思ってはいなかったが、最近になって自分の子供に当てはめて想像してみたら、そいつはかなり異常な子だった。

 そういう他人とかけ離れた強烈な興味のきっかけが何であったか、年若すぎて記憶にないので、なぜそうなったのかがわからない。息子も何かそういう強い興味を持ってくれるといいなとは思うけれど、何がきっかけなのかわからないので、そのきっかけをどう見つけさせてやれるのか、あるいはきっかけをつぶさないでやれるのか、意外とわからない。

 とりあえずいま気をつけていることは、息子の趣向を否定しないこと。例えば息子は赤やピンクが大好きで、服や靴を選ばせるとそういう色になる。私としては、本人に似合っているので全然構わない。もし友達に何か言われても、堂々とピンクが好きだと言って、人と違うことを恐れないようにはなって欲しい。何かに興味を持った時に自分から踏み出すには、他人はどうだと振り返らない方がいいはずなので。

 しかし、こんなことは過去に無数の親という存在が散々悩んできたことのはずなのに、明確な答えがそろっていないという点に人類の英知の欠損を感じる。いやまあ価値観の多様性があってこその人類の進化でもあるし、画一的な答えなんてのは私が一番嫌いなものなので、そんな答えが提示されたら「じゃあそれ以外の案で行こう」って言うのだけど。親がこのスタンスであれば、子にも伝わるだろうか。良いか悪いかは知らんけど。

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