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今の私にできること

 昨年の11月にnoteで記事を書き始め、丸一年が経過している。
 でも、最近、noteをやめたくなっていた。

 noteというか、ネット上で文章を書き続けることに、疑問を感じ始めていた。
 私のような無名の、何の影響力もない一般人が、ネットという誰でも見れるような場所で、つらつらと散文を書き続けることに、なんの意味があるのかと。

 頑張って記事を書き続ければ書き続けるほど、むなしさを感じ始めていた。
 たまに、自分の書いた記事に「スキ」をもらえて嬉しくなっても、それは本当に一瞬のことだ。
 私はnoteの中にいてもいなくても、どうでもいい存在かもしれない。
 そう思ったら、noteという場所から一旦、離れたほうがいいんじゃないかと考えるようになっていた。

 そんな時だった。
 以前にnoteがきっかけで繋がらせていただいた、はるさんのnote記事を読んで、強い衝撃を受けた。

 はるさんとは、皮肉なことかもしれないが、cakesにおける騒動の一件がきっかけで知り合った。私がまとまらない気持ちを整理するため、それ関連のnote記事を立て続けに書いていた際、はるさんのnote記事を拝読し、その感想を述べる記事を書いた。
 その記事を、はるさんはツイッター上で紹介してくださった上にありがたいお返事をくださった。そのときの感動は、noteの記事として書き残している。

 なのに、はるさんのnoteアカウントを私はフォローしていない。
 上記の記事でも書いたが、はるさんの文章の中には、読み進めていくのがあまりにも辛く、苦しくなってしまうものもある。本当に申し訳ないのだけど、すべてを受け止める自信がない。
 だから、ツイッターではフォローさせていただいたうえで、noteの更新報告を見て、気になったものがあれば読む、という感じにしていた。

 この記事の最初で紹介したはるさんの記事も、軽い気持ちで開き、何気なく読み始めたものだ。
 でも、内容はあまりにも辛く、残酷なものだった。
 こんな状況、フィクションの世界でしか知らないよ。
 だけど、現実でもあることなんだな。
 悲しい、そしてやりきれない気持ちでいっぱいになった。
 もうどんな言葉も、はるさんにかけるには薄っぺらいと思った。

 でも、noteにはサポート機能があった。
 せめて彼女を物理的に助けるためのお金を用意してあげたい。といってもこれからどれだけお金がかかるか分からないし、私だってそんなにたいそうなお金を用意できない。
 でも、どんなにささやかでも、自分のできることをさせてもらいたい。

 考えたうえ、はるさんとお子さんたちがまた一緒に過ごせるときに飲めるような、温かいドリンク3本分くらいの額のサポートをした。添える文章をなんとか140字以内におさめて、やっと送信できると思ったら「お子さん方とホッとできる時間を持てるよう、ホットドリンクのお金を送ります」というダジャレが紛れ込んでた。恥ずかしくなったがそのまま送信した。
 その後、ふざけていると思わせてしまったら申し訳ないと不安になっていたが、翌日、はるさんからこれまた温かいお返事をいただけて、こちらこそ本当にありがたいと思った。そして、はるさんをサポートして本当に良かったと思った。
 サポート機能、初めて使ってみたけれど、素敵な機能だ。

 でも、今の自分にできることって、サポート以外に何があるんだろうと思ってた。
 そんな中、はるさんと実際のつながりがある方々が立ち上がり、はるさんを助けるためのnoteアカウントを作られたことを知った。

 私もわずかながらの額をサポートさせてもらった。
 そして、もちろんこれからも、何かあれば手助けしたいという気持ちでいっぱいである。

 はるさんには本当に、どうか幸せになってほしい。お子さん方と穏やかな生活を送れるようになってほしい。

 今は、祈ることしかできない。
 けれど、note記事を通じて「応援しています」と伝えることができる。
 そして、きっとまたほんの少しの額になると思うけど、サポート機能でお金を送ることもできる。

 noteの力を信じたい。
 やっぱり、noteを続ける。
 私にも、noteに居続けることで、なにかできることがあるかもしれないから。
 はるさんだけじゃなく、他の誰かが困ったときでも、助けたいと思ったら、いつでも助けに行ける場所にいたい。
 きっと、それも、今の私にできることの一つだと思う。
 

もしサポートをいただければ、とても嬉しいです。自分の幸せ度を上げてくれる何かに使いたいと思います。