見出し画像

今年も終わりますね

あと残すところ1日。

この1日という日は、風のように軽いけど、
経過時間と共に、身体には酷くこたえる。

たかが1日、されど1日。

そんな時間に、追い回され、追いかけた、1年でした。

実のところ、時間に追い回される日々は、しばらく続きそうですが、
一旦、今年は今年で区切りを。

みなさまは、どんな1年でしたか?


今年は、学位の取得について、よく考えさせられました。

自分自身に対しては、もちろんのこと、
とりわけ、後輩たちを見て、そんなことを考えさせられました。

『学位を取得して、どうしたいか?』
『何のために、学位を取得するのか?』

その根幹にある、『なぜ、大学へ進学するのか?』

私の調べにはなりますが、
この明確な理由を説明できる学生は少ないです。

答えに困った学生は、就職に有利だから、と答えます。
正直で良いのですし、なんら悪いことではないと思います。

しかし、それが研究や実験を疎かにする理由には、なり得ません。
その上、あまり就職には関係ないと思います。
ただ、その枠組みの広さだけを取っているだけだと思います。

やっつけ感、やった感だけ出せば、卒業単位がもらえる。
それが通用するのは、学生だけではないかと私は思っています。

だから、私は自問自答し続けます。
『私は、何のために学位を取るのか?』
『なぜ、大学に進学したのか?』
『大学とは、研究とは何か?』

厳しいことも後輩に言います。

好きでもない事をずっとさせられるのは、苦痛でしかないと思います。
その上、自分、あるいは、両親などが、
自分のために、学ぶ時間をお金で買ってくれている訳です。

その時間は、学ぶためであり、好き勝手するためではないと思います。

好き勝手したいならば、大学進学以外の手法は多くあります。
わざわざ、嫌なことをし続ける必要がないものだってあると思います。


一方で、、、
研究に関心をもってもらえない、そもそもの大学環境の問題もあります。

前者は、ブラック企業と同様、ブラック研究室と称され、
まことしやかに囁かれたり、まあ、色々とあります。

今年の流れがどこまで続くかは、分かりませんが、
私は、心のどこかで、
大学の研究室や研究チームの組織運営体制、
ひいては、科学研究の位置づけに対して、
近い将来、大きいメスが入る時が来るのではないか、と思っています。

なにか確信じみた表現ですが、根拠はありません。

どちらかというと、ある種の願いも含まれています。
教員側も、学生側も、疲弊した環境を、どうか改善してほしい。

教員と学生、あるいは、教員と教員(学生と学生)、
大学だけでない、人の間で起こる、ハラスメントもあります。

そして、みなさまご承知の通り、
それは"教育"や"人間"、"規則"で、
必ずしも早期に是正されるとは限らないことも。。。

大学だけでなく、
人が集まる場所では、
どこの環境でも当てはまる事になってきた、と思います。


多様性の時代だからではなく、
人として嫌な事、自分にとって嫌な事に対して、
我慢するのではなく、逃げ続けるのではなく、
正面、そして、多角的な視点からも、向き合い、訴え続けねばなりません。

私は、来春から一旦離れることを決めました。
それは、どうすれば、この環境を変えることが出来るのか、
を考え続けるためでもあると考えています。


今年最初にアイコンを変えた時のように、
立ち向かう姿勢を、来年も変えずに、
飛翔できればな、などと、
ありふれた言葉で、今年は締めさせていただきます。


>みなさまへ

今年は、みなさまには、本当にお世話になりました。
表しきれない感謝をここに改めて。

ありがとうございました。

そして、みなさま、良いお年をお迎えください。

wisteria<


サポート以上に、フォローして頂けると、大変、嬉しいです!