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ユグドラシル


先見性を養いたい。


コロナ禍以前から、思っていたことだが、

殊更、この先の読めないコロナ禍では、

先を読まなければならない、と思う。


もちろん、このコロナ禍を含め、先読みではかれないことも多くある。

だから、頭の片隅に、予想外も予想内としておかないといけない。



だが、先を読むことは、何もなしでは、非常に難しい。

やはり、ある一定のデータと分析が必要である。

すなわち、経験によって、傾向と対策を組む必要がある。


その経験は、これまで踏んできた場数と慧眼の程度に依存すると私は思う。


どれだけの立場・視点に立ってきたか。

そして、人・物というミクロだけでなく、

社会・日本・世界というマクロの動きの本質を見抜く力はいかほどか。



私は、このことを考えるとき、樹を想像する。


自分は、樹の根幹に立ちながらも、左右上下に枝葉を伸ばしていく。

年を経るごとに、その幹や枝は太さを増していく。

途中、突然の風雨によって折られたり、

徐々に浸食していた虫や菌の被害を受けたり、

隣接する木と成長を競い合ったり。



そして、いつかユグドラシルになっていくことが望ましい。

幾つもの世界が1つの樹によって、支えられるような。




後輩のスケジュールの組み方を見て、ふと思う。

枝葉の伸ばし方も、人それぞれだと思う一方で、

それこそ、木を見て森を見ず、ではないが、

もっと奥行のある立派な樹になれ、と願う。

そのために、もっと異なる視点を考えろ、備えろ、

と心で思いながら、黙って見守る。

非常に難しく、辛いことだが、必ずできると信じている。


そして、私も、

後輩の考えもくみ取れるような、支えられるような、枝葉を伸ばし、

もっとしっかりした樹にならないと、と改めて思う。





先見性は「知る意欲」の関数である。(小林宏治)


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