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私たちが目指すゴール~聖も俗も統合する~Zorba the Buddhaと言う生き方

さて、Zorba the Buddha(ゾルバ・ザ・ブッダ)とは、和尚ラジニーシが自らの教義に置いて説き、彼自身が探求し、実践した生き方であり、目指すべき「究極の統合」として解説されています。

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https://www.osho.com/ja/highlights-oshos-world/zorba-the-buddha

ゾルバがぶった…では無い (ぶったね! 親父にもぶたれたことないのにっっ~!でも当然無いwww)

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ぶったのはブライトさんです

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私はミルねぇさん派です…(鼻から牛乳)

ジルバ…とは社交ダンスのことで…って、ちゃうやん。抱きしめてジルバでなく、ゾルバね、スパイのゾルゲでもなく‥‥(って、しつこい)。

元になったのは、「その男ゾルバ」ゾルバ

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とは言うものの、この映画(原作となる文学)のゾルバという親父そのものだとちょっとなっ… ラジニーシは何もこのオッサン(ゾルバ)の生きかたまんまを模倣せよと言っているのでは無く、あくまで全身全霊で生きることを楽しみ、この物質世界を生き生きと生きる人を象徴する言葉として、ゾルバというアイコン的な名称を用いているだけのこと…だったりします。

ちなみに私はラジニーシは苦手ですっっ。嫌いと言うのではないけど、決して好きではない。言っていることは解るし、納得出来ることもあるのだけれど、当人がダメ。受け付けない人物。和尚タロットは使っていますし、30年前には彼の信者たちが、日本でのニューエイジブームを先導していたこともあって、サニヤシンの人たちと知り合う機会は多く、幾人かの友人もいたけれど… ラジニーシ自身は邪が強すぎてダメっす。だったら、サイババ(頭がソウルトレインな人)の方がマシって感じですかね。

前置きはさておいて。

これから書くことはちょっと文章と図形で説明しても、解りにくいことになります。他の知識などを理解してからでないと…と言うのはありますし、口頭で直接説明しないとイメージしにくいと思います。なので、とりあえず書いて置く…と言うような内容。基本、霊的真理の教義に関しては、口伝で教えるというのがお約束で、相手を選んで伝えるのが本来の在り方なんで、その辺り説明不足が否めないこと、ご容赦下さいな。言葉(ロゴス)と言うよりも、文章と言う書き言葉、手法だけで説明するには限界があるのです。

過去の記事で、私たち人類がこの世に誕生した目的(経緯と存在意義)とか、ゴールに至る最終目的みたいなことは書きました。で、最終目的に関しては「六次元の身体」を完全体(完成体)に成長させることで、エレメンタル・マスター(ポケモン・マスターでは無い)になって、ワンネスに帰属しながらも魂に回帰することなく(自我を失うことなく)、個別の意識(及び記憶)を保持・所有した状態のまま、全体性の中の個として存在し続けることというのも書いたかと(多分)。

で、六次元の身体を成長させるためには、五次元と四次元の身体を使って、この二つを成長(ランクアップ)させないとダメだし、五次元と四次元の身体を使うだけでもダメで、この二つの身体を成長させるためには、三次元の身体を用いて三次元の世界に…五次元と四次元の身体を用いて創造したことを(現実的なレベルで)表現しないとダメなんですね。

五次元(ノエティカル界)思考の世界…智慧/思索思考する
四次元(サイキカル界) 感情の世界…愛/心・想いで示す
三次元(マテリアル界) 行動の世界…力/行動で示す⇒現実と言う表現舞台

五次元の身体は思考を使って鍛えないと成長しませんし、四次元の身体も感情・心を使っていかないと成長しません。そして、愛と知恵を行動(言動)で表現していくこと…すなわち愛と知恵が伴った行動をとること。これをしないと六次元の身体は成長しません。頭の中で計画して考えるだけではダメで、喜怒哀楽の感情を味わうだけのもダメで、何の考えも想いも無しに行動だけするのもダメってことです。また、思考はあっても愛の無い行動はダメだし、想いや感情だけで行動するのもダメですし、愛のある考えだけを妄想したり頭の中で温めることだけして、実際に行動(表現)しないこともダメってことです。

自分の理想がなんであるのかを知りなさい
そしてそれを実行しなさい
何もしないよりは悪いことでもした方がましである
by エドガー・ケイシー

この辺りは、五次元や四次元の身体の成長、六次元の身体の育成方法(解脱するということ)についての解説になりますが…

次に私たち人間がこの世に降りてきた時のスタート地点と目指すべきゴール、終着点についての解説です。これについては、まだ記事としては触れていなかった内容というか、説明していなかったかと。


★図A

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この図の説明ですが、1~7までの数字の軸がスピリチュアル的な成長の段階と過程を表わしていて、A~Gまでのアルファベットの軸が社会的な成長の段階と過程を表わしています。本来、社会的な成長とスピリチュアル的な成長は同時に成されるのが理想です。両方の成長が促進されてこそ、人としてのバランス、人生のバランスも取れるのです。

けれど、社会的な成長だけを重視して、スピリチュアル的な成長を軽視している人の方が世の中的には一般的というか主流で多いですし、スピリチュアル的な成長だけを目指して、社会的な成長を疎かにする人も相変わらず減りません。

余談ですが、このスピリチュアルな成長と社会的な成長をバランスよく成長させている人は、スピリチュアルな分野(宗教や精神世界)よりも、経済界に多く見られますね。例えば、松下幸之助さんや稲盛和夫さん。海外だとアンドリュー・カーネギーとかね。斎藤一人さんもそうですし。みなさん、愛ある智慧を行動して、世のため人のためになることを自らの幸せと心から感じて考えることも出来て、実行もしている、未来への展望を現実社会にきっちり反映させることが出来ている人たちと言えます。

精神世界や宗教的なジャンルの人たちは、スピリチュアル的な成長のみ重視して、物質的なものを否定したり、世俗的な幸福や満足を疎かにする傾向がありますから。実際のところ、物質的な世界でいかに唯一無二の自己を表現するか…が私たち一人ひとりに与えられたミッションで、物質的なレベルでの自己実現をしないことには、解脱も悟りも得られないのですがね。そうでないと、六次元の身体は育たないし。

山に籠ってお経を読んで、サイキカルな力を手に入れたり、自然界や神仏と心を通じ併せたり、ワンネス体験や至高体験や空の概念を体得し、無条件の愛や菩提心や不動心を手に入れることが出来たとしても、それは利己的な満足で感覚の取得でしかなく、霊的な成長では無いんです。社会的な成長がそこにはありませんから。社会的なことを「何もしていない」という事で、個人的な体験をしただけで終わってしまうのです。霊的な身体は確かに鍛えられはいますが、六次元の身体の成長の糧にならないのですね。そこには三次元においての、外に向かっての行動(表現)が無いから。自己満足で自己完結して終わってるんです。

そのような状態を会得できた後に、その体験をした自分を現実社会においてどう生かしていくか…そこまで落とし込んでやらないとね。

ようするに、インプットだけでなく、アウトプットが大事でそこまでしないとインプットしたことにもなんないって感じですかね。


で、こんなこと書いたら一部の人から総スカン食らいそうだけど、空海さん(釈迦の弟子だったときに、ウルベーラ・カッサパだった人ね)はあの人生でまだ輪廻転生を卒業してませんでした。あともう少しのとこにはもちろんいましたが。だから入滅・解脱はしてないんですよ。あの人生ではまだ一歩手前。うん。あの人生での恋人(皇極天皇の生まれ変わりだった女性)から、代々の女系天皇に伝えられていた、とある力の玉を盗んじゃったからねー それがマイナスPoint。アナンダでさえ、玄奘三蔵として転生していますから、つまりはそういうこと。釈迦は釈迦としての人生がまさに49段階の49にいた人で、あれが人としての最後の人生。サーリープッタは後に日本に聖徳太子として転生していますが、解脱してから人の人生をあえて選択している部類かな。ジョシュア(キリスト)はちょっと特別枠の人で、人としてこの世に生きたのは、あの人生一回切りになります。まあ、信じなくていいですよ。この辺りは戯言として受け止めて頂いて。


さて、話戻って。

図B

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左下の星のところがスタート地点。私たちが絶対存在から離れて、一筋の光として分離し、大天使の五種類のイデアのうちのいずれかを通り、人間のイデアを通って、7次元に人/魂=霊として個別の意識と自我を所有した存在となり、身体の管理者たる同胞を伴って、本体(ホームとも言うべきパーマネント・パーソナリティ)と言う個別化した存在になった後に、五次元と四次元と三次元の身体に自らを投影し、この現実世界(地球)で人間としての原初の人生を生き始めた最初の瞬間・スタート地点ですね。この辺り、かなりはしょって説明しているので、頭の上「??????」かも知れません。

目的地であり、最終ゴール地点である場所は右上の六芒星のとこ(GOALと書いてあります)。ここが六次元の身体が成長した時点で、行くことの出来る、目指すべき場所。スタートとゴールを結んでいる赤い線のラインは、スタートからゴールまでの最短距離たる道。五次元と四次元の身体の成長度合いでもある、49段階を、最短のコースで上るというか、ステップアップ出来た場合の距離でもありますね。(一つの人生で、順調に一つずつレベルアップ出来れば、50回の人生で六次元の身体を成長させられ、輪廻転生も50回だけになる)

とは言うものの、実際にはこの最短コースを辿れる人はほとんどいません。ゼロと言ってもいい。なので、G-7エリアに行きつくまでに、みんなあっちこっちをうろうろしています。もしくはいつまでも同じ場所に座り込んでる感じ。※落第はないけど、留年はあるので<人生学校&地図

スピリチュアルなことばかり追求する人は、ひたすら7…上ばかり目指し、社会的な成長はAとかBとか、D以下のところでうろちょろしているし、社会的というか世俗的なことばかりな人はスピリチュアルはおろか社会的な成功軸のDあたりに執着していたりとかね。

そんな風に皆さん、寄り道というか、遠回りをして、なかなか最短ルートを選ぼうとはしません。けれど、それがその人なりの人生を作るし、経験になるし、蓄えられる経験値の違いで個性であるとも言えます。

とにもかくにも、社会的(物質的)な成長も大事だし、スピリチュアルな成長も大事。その両方の足並み・成長が揃ってこその人間的な成長なのですね。どっちかを疎かにしているうちは、人生に満足は得られません。達成感も無いと言うのかな。モノやお金はあっても、心は虚無で精神的にも感情的にも満たされず孤独で寂しい…とか、精神的かつ霊的なことを追求して、物質的なものをないがしろにし、世俗的なもの社会性を無視して生きても、人として生まれた意味や意義を示せず、自らの神としての仕事を放棄していることになり、ミッションに反して生きているということになる。

だからこその「ゾルバ・ザ・ブッダ」と言う生き方。

それは享楽的な生き方をしろという意味ではなく、この物質的な世界において…現実社会というキャンパスに、自らの「生」を表現し、人生を完成させ、この宇宙で存在するただ一人の自分という唯一無二の個性・存在を表現して生きろという話。生あることを楽しみ、生を謳歌し、満喫しなさいってことね…人間は人間として生きるために生まれたのだから、人が人であること、物質的なモノや肉体的な感覚・快楽を否定するなかれって話。物質社会においては、物質を用いて「智慧」や「心」を表現していくことが大事。それはもちろん、物質社会の身体である肉体も大切にすること。見えないもの(思考・感情)を見えるもの(言葉や行動、そして物質)に表していくこと、形あるものとして命を与えていくことこそが重要で、かつて万能の神という存在であった私たちが、万能の力を手放して3つの次元(3界)に3つの身体を持って生まれてきたことの意味と理由もそこにあるのだから。

真っ先に考えなければならないのは自分のことである
理想を掲げ、理想のために喜んで行動しなさい
耐えなさい 今自分が立っている場所から始めなさい
頭で考えるばかりではいけない
まず勇気がいるような理想を持つことによって
その理想のためならば
不可能と思われることにも立ち向かう大胆さで行動しなさい
by エドガー・ケイシー

この続きや補足など、書き足りないことや説明不足なことがあったら、もしかしたら書くかも知れないし、書かないかも知れないですww 今はまだ未定。

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