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エセ科学と心霊科学と非科学的事象

エセ科学って言う言葉があります。理数系が苦手な私のことだから、どこまで上手く説明出来るのか解らないのですが…(間違っていることを言ってたら誰か突っ込みをお願いします)

科学にとって重要なのは再現性。実験など、同じ条件下において誰が試みたとしても、同じ結果が出るものでないと、その事象が事実であると立証されたということにはならないし…学説として認められないわけです。数学でもそうですね。その方程式を使うことで、必ずいつも同じ答えに行きつかないと(数値が導き出されないと)、その方程式の証明が出来ないわけです。※真実はいつも一つ!って何処かの漫画のセリフみたい

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さて、こちら。当時話題になったので、覚えている人もいるかと思います。私は本を買いませんでしたけれど、子供向けの配布本を頂きまして、そちらを持っています。あと、カレンダーが素敵だったので買いましたかね。

そして、レイキでの講義の時、アファメーションなどの有効性を説明する際に使わせて頂いています。人間の肉体の大半は水分ですから。使う言葉の大切さ、言い方によって反応が違う…などと言うことを説明するのに解りやすいのです。

とは言うものの、この「水からの伝言」「水は答えは知っている」に関しては、やはり賛否両論色々ありまして、支持される一方で疑似科学エセ科学としても批判・否定されていたりします。

そうですね…言葉が波動を持っていて、それが影響を与えるものだということを物質的なレベルで説明するには、とても良い視覚的な代替物なのですが、科学的かと言うと、違いますよね。

同じ条件下の元で、他者が同じ実験をして、同じ結果が出た…という事実がないのですから。つまり立証されてないわけです。他の科学者さんたちが同じ実験をして、このような同じ結果を出せていないということ。

複数人…異なる人々によって幾度かの実験を行って、毎度同じ結果が出ないと、それが本当だという立証されたことにはならない…ので。

そういうものは他にもたくさん存在しますよね。健康法とか医学に近いものが特に多いかなあ。とくに「藁にもすがる思いで奇跡を求める人」に対してアプローチする分野において。お水とか健康食品とか? 薬事法とかJAROに引っかかりそうな、そんなもの。宗教絡みで販売されているものなんかも、そうか。

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まあ、でも…それを言ったら、エネルギーヒーリング(氣に関すること)もエセ科学なんですけどね。スピリチュアリズムも日本語に置き換えたとき、心霊科学という言葉を用いてはいるけれど、科学では無いわけです。何故って、再現性が無い分野だから。まず、無理。誰がやっても同じ結果、答えを導きだすことは出来ない。

霊的な事象はまず再現できません。他人がやって、その人と同じ結果を出すことは出来ないし、それを行った当人でさえも、同じ結果を出すことは皆無とまでは言わないまでも、ほぼ不可能。だから現代科学とは相いれません。

まあ、心霊科学(スピリチュアリズム)は啓蒙思想であって、哲学みたいなものか。生まれ変わりを前提とした前世療法もヒプノセラピーも、立証する手立てのない「if…もしも…だと仮定するならば」の仮説に基づいた、民間の心理療法にしか過ぎません。

その意味で、スピリチュアリズムとかサイコセラピーとかの霊的な思想に基づいて行われることすべて…エネルギーヒーリング全般も前世療法も、科学とは対極にある非科学的かつ非常識な方法論なんですよね。して、宗教も非科学的ではある。

でもまあ、言えているのは科学は万能では無いということ。現代の科学が過去から未来に到るまでにおける史上最高のレベルという位置付けではないし、科学がこの世のすべての問題を解決してくれるわけではないし、人の心を救えるわけではない。それもまた真理で事実です。科学を用いて解明出来ていないことも多々あるわけですし。予算の問題とか、それを研究する人がいないってのもあるわけですが。

過去には科学も過ちをたくさん犯してきました。死にそうになっている人、体力が落ちて弱っている病人から血を抜くとか、水銀が不老不死の薬であると信じられた時代もありました。地球が自転しているという事を宗教的圧力に負けて認めなかったり、手洗いの重要性を解いた医者を嘲笑したり、壊血病の有効的な予防策を提唱した人物の意見を無視したり、罪作りなこともたくさん。捻じ曲げて解釈していることもあったし、意味不明なことが信じられている時代もあったわけです(錬金術とか)。

でも同時に迷信や神の御業だの悪魔の所業だと言われてきたことを暴いて、罪を擦り付けられてきた人の冤罪を晴らし、人々の生活と文明の発展に光明を齎すこともたくさんしてきました。科学の発展無くして、人類の未来はありません。私たち人類にとって、とても大切な学問であり、欠かすことの出来ない分野です。そして、今はまだ科学で立証されていないことでも、これから証明されていく可能性はあるわけです。

だから科学的分野に対する研究予算をケチる国家は、まず衰退するのです。研究者の育成(教育と支援)ももっと積極的に行わないといけません。海外の研究機関や研究者とも提携して、共同研究なども進められるべきで。日本はその意味でしくじりました。海外の研究者たちを優遇して招き入れた結果、成果を本国に持ち帰られるだけだったり、予算をケチった政策によって、感染症研究も遅れに遅れました。有能な研究者は海外に流れるばかりです。

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とは言うものの、エセ科学や非科学的な事柄でも、役に立つことはある。物は使いようと言ったところ。すべてが不利益を生み出すものばかりでは無く…エセ科学はエセ科学なりに、非科学的な分野は非科学的なりに、有用性のある部分と賢く付き合っていけばいいのではないのかと私は思ったりします。ただ、エセ科学は科学の代用には成り得ませんけれど。そして、エセ科学と正当な科学は、きちんと区別されるべきものだと思う。エセ科学は科学の真似、科学と名乗ってはいけないということで。

だがしかし、科学では説明のつかない、対処できない事象や問題を、エセ科学や非科学的な思想や方法論が解決していることがあるというのも、紛れもない事実なのです。

でもって…

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この本を覚えている人もいますかね。私は友人にギフトしてもらいまして。とても綺麗な写真だなあって感動しました、ハイ。

で、これは写真で「撮った」もので、本当に「写した」ものだとの触れ込みでしたけれど、後に「加工写真」だったことが判明しましたよね。

今で言うと、フォトショ職人って感じ? コラ画像・写真って言うか…まあ、それになりますかね。

私的にはこの写真が本物(カメラで写したもの)であるかどうかは、正直どうでもよくって…ただ私が視ているモノ(醜悪なものでなく綺麗なものの方ね)、心の目で捉えているビジュアルイメージが写真としてここにある…と…三次元の世界に具体的に再現されたもの…と言う事でとても感動したんです。

はい。美しい綺麗なエレメンタルってこんな感じ、こんな風に見えてるよって、同じものが視えない人に説明するのに、解りやすいサンプルっていいますかね。事実そうでした。だから、まあ…捨てる必要は無いし、その意味で使えるアイテムなので、持っていたんですね。

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生霊とかは実際こんな感じに視えることが多いし。まあ、これはマリア像ですから優しいお顔をしていて、そこがまったく違うとこですけどねっっ

で、今回この本の話を書くにあたって本を探したんですけど、見つからない。どうも誰かに貸して戻ってきてないみたいで、トホホ 悲しい

なのでネットで写真を探させて頂き、拝借しました。でも、これしか無かったりしてっっ汗

そんなわけで、写真としては加工モノで、本物の写真と謳ってしまったが故にインチキと呼ばれて叩かれてしまったものですが… 三次元の物質では無いもの、四次元とか五次元のモノがいわゆる「視える」人にとって、どんなふうに見えているのかって言うのをかなりリアルに再現してくれた、加工写真ではありました。

うん。普通に「作品」として、発表すれば問題なかったのに。心の目で捉えている世界、視えているものを写真で表現してみましたー…だったら、これまで絵で表現された世界と同じで、創作物として地位を得られたかもなのになあ…どうして「本物」としちゃったかなあ…と残念に思うばかり。

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