海で溺れた記憶がある

海水浴場の沖で溺れたような記憶がある。いつの記憶か分からない。どこのことかも分からない。それはひょっとして自分の身に起こったことなのかも分からないし、夢の記憶なのかもしれない。あるいはなにかの映画で見たものを自分の記憶であるかのように脳に焼き付けただけなのかもしれない。親兄弟とも、そのような話を私にしたことがないところを考えると、どうにも私の人生に実際に起こったことのようには思えないのだ。

私は沖に流されるスイカのビーチボールを追いかけて、夢中でクロールをしていた。手はボールに触れるが、それはクルリと私をあざ笑うかのように指先を回り、私はこれをどうしても捕まえることができない。

流れが速くなり、私とビーチボールの距離は遠くなる。私は泣く泣くビーチボールを諦めて岸を振り返った。遠く遠く、波打ち際に遊ぶ赤や青や、緑の点がかすんで見える。遠くからにぎやかな笑い声が風に運ばれて聞こえてくるようだった。私は岸に向かって、来た時と同じようにクロールをした。ずいぶん泳いだ気持ちになって顔を上げてみるが、遠く見える赤・青・緑の点の大きさが変わらない。岸までの距離が縮まっていないのである。

私は焦った。溺れるまでにそれほど時間はかからなかった。まるで水の質が変わったかのように体は重く沈もうとし、手脚の運動はこれを支えるにはあまりに頼りない。鼻まで水がつかり、これではいけないと懸命に手足を動かす。身体は一瞬フワリと浮き上がるが、助けを叫ぼうと口を開けた瞬間に、そこから身体の空気が漏れ出たように身体は水に絡めとられた。こんどは頭まで。

浮いたり、沈んだりを繰り返す。声が出ない。出そうとすると身体が沈み、水が口にかかる。

ちゃぷ。ちゃぷ。

もう岸から運ばれる笑い声は聞こえない。ただ、水の戯れる音だけが聞こえる。ああ、静かだな。こうして静かに僕はいなくなってしまうのか。誰にも知られることなく、ひっそりと。誰かに、最期に、僕の声を聞いてもらいたかったな。お父さんに、お母さんに、なにか一言でいいから声をかけてもらいたかったな。鼻がツンとして、水の中に涙がにじんだ。

そんな記憶。そんなワンシーン。

まさか子供の頃の私か。それとも夢か。あるいは私でなかったころの私、原初の記憶と言うべきものなのか。私には分からないでいる。そしてきっと、ずっと分からないままである。

(この文章はここで終わりです。もしもいいなと思ったら買ってやってください)

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