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ふくだりょうこ/舌を溶かす

「もう一軒、寄っていこうよ」

 私の返事も聞かずに彼が入ったのはラーメン屋だった。少し前に行列ができる店としてテレビで紹介されていたのを見たので、店名だけは聞いたことがある。二十三時前という時間のせいなのか、それとももう廃れたからなのか、並ぶこともなく入店できた。彼は慣れた様子で店の奥のテーブル席に座った。

「来たことあるの?」
「うん、ひとりでもよく来てる。ここの餃子、うまいんだ」

 そうだ、翔太は餃子が好きだ。付き合い始めてしばらく経ったころ、前の晩から昼間まで気だるい時間をベッドの中で過ごしたあとに、おなかが空いたと二人で餃子が看板メニューのチェーン店に行った。餃子が運ばれてくると、彼は私の話を制して箸を手に取った。

「俺、焼きたての餃子をひとつ丸ごと頬張って、上あごの皮がむけちゃう感じが好きなんだよ。だからとりあえず食べさせて、話はそれから聞くよ」

 別に中身がある話をしていたわけでもないけれど、私より餃子を優先されたことがなんだか悔しくてヘソを曲げて見せた。そもそも彼とはそれまでこじゃれたお店にしか行ったことがなかった。なのに突然、餃子を食べに連れて行かれたことで扱いが雑になった気がして、それも私の機嫌を斜めにさせた。第一、猫舌だから、彼が言う餃子の美味しさは味わえないのに。それから六年も経てば、どんなお店に連れて行かれようと自分の好きなものを食べるし、文句も言わない。恋人の気を引こうと拗ねたりもしない。自分の機嫌は自分でどうにかできる。

 でも、今日ばかりはどうして二軒目があるのか、どうしてこの店に入るのかが分からなかった。

「店、予約しといたから」

 普段は行き当たりばったりの彼が私にそう告げたのは、二週間前のことだった。付き合って六年目の記念日。

 今まで私の誕生日はおろか、自分の誕生日さえも忘れるような人が、記念日に、店を、予約、しただと。

 半ばあきらめかけていた彼と結婚への期待がふくらむ。今年で私が二十七歳。彼は三十歳だ。あり得ない話じゃない。一生に一度のことかもしれないと、今日はクローゼットの奥にしまっていたワンピースを着た。そのワンピースがよく似合う、落ち着いたイタリアンレストランだった。

 いつ指輪の入った小箱が出てくるのだろう、それとも花束かしら。私が好きなのはチューリップなんだけど、今日はバラのほうがいい。あれはやめてほしい、フラッシュモブというやつ。絶対にプロポーズを受けなきゃいけない雰囲気にされるのは本意じゃないし、目立ちたいわけでもないの。

 そんな妄想を膨らませていたら、いつの間にかレストランの外にいた。そして、ワインのボトルを空けてほろ酔いの彼は言葉少なにラーメン屋に入って行った。私はそんな彼の前に、一張羅のワンピースを着て座っている、今。

「私、おなかいっぱいなんだけど」

 どうにかそう告げたものの、彼は分かってると頷きながら、餃子を二皿と生ビールを二つ頼んだ。全然、分かっていない。

「生お待たせ!」

 さっきまで手元にあったワイングラスに比べて、なんてたくましいジョッキの姿だろう。彼は嬉しそうにジョッキを持つと一気に半分ぐらいまで飲んだ。つられて私もジョッキを傾けた。苦い、おいしい。知ってる。

「彩香、話がある」
「…………」

 険しい表情を見た瞬間、私は愚かな自分を嗤った。

 彼が話したかったのは、私が期待していたものと逆のものだったのだと。そういえば、最近はマンネリ気味だったし、デートをすることも減った。最後に好きだのなんだのと愛を囁かれたのはいつだったか。昔みたいに足を絡め合いながら昼まで眠ることも減った。

「なに」

 どうにか声を絞り出して、話を聞く気があることを示す。さあ、なんでも来い。どんな話だったとしても取り乱したりしないから。付き合い始めて間もないころに、私の冷めたところが好きだって言っていたのは覚えているんだから。

「俺、実は」
「うん」
「座敷童なんだ」
「は?」

 待て、何の話だ。

 確か、翔太は岩手の出身だ。記憶は曖昧だけれど、座敷童は東北のほうに伝わる、妖怪だか、精霊だか……いや、そうじゃない。大切なのはそこじゃない。

「ええっと、なんだって? 座敷童?」
「そう。昔さ、母親がずっと髪を切ってくれてたんだけど、それがおかっぱで。学校でのあだ名が座敷童だったんだよ」

 なぜ、この瞬間に昔話をされているのかが分からなかった。彼のお母さんが嬉しそうに見せてくれたアルバムには、小学生のころの翔太がおかっぱ頭で笑っていた。かわいかったと記憶している。だけど、なぜ、今。

「座敷童って呼ばれるのが嫌で嫌で」
「まあ、そうだろうね」
「だから、母親に言ったんだ。おかっぱは嫌だ、坊主がいいって」

 坊主はいただけない、当時の翔太なら坊主よりおかっぱのほうがかわいい。

「でも、絶対におかっぱのほうがいいって言われた」

 そうでしょうね、お母さんは当時の翔太はとにかくかわいかったと言っていたから、意地でも坊主にはしなかっただろう。

「それでも俺が嫌だってダダをこねたら、母親が言ったんだ。翔太は座敷童なんだよ、座敷童がいる家は幸せになれるんだよ、って。だからうちは幸せでしょう、って」

 そうだったっけ、なんか商い事が繁盛するとか、座敷童がいなくなると家が傾くとか。いや、それを総じて幸せというのか。

「だからあなたはずっと座敷童でいてね、って押し切られた」
「確かに、翔太の子どものころの話は幸せそうだよね」
「だから俺やっぱり座敷童だと思うんだ。俺が実家出てから、両親離婚したし」
「うん……」

 それは翔太が自立するまで待っていただけではないのか。いやでもそれって実はお母さんは幸せではなかったのでは。

「今の会社でも、俺が入ったプロジェクトはだいたい成功するし」
「うん……この前もなんかプレゼンで勝ったって言ってたね」

 でもそれは翔太が優秀か、同じプロジェクトにもれなく優秀な人がいるかどちらかだ。

「だから、俺と結婚したら、絶対に幸せになれると思うんだよね」
「うん……そうだね」

 それは結婚してみないと分から……。

「……今なんて言った?」
「座敷童の俺と結婚したら、幸せになれると思うんだよね」
「翔太は今大人じゃないから、童じゃないけどね」
「ええっと、じゃあ、元座敷童の俺と結婚しない?」

 いや、もう、何の話だ。

「は……?」
「実はさ、今日渡そうと思ってた指輪を家に忘れちゃって」
「うん」
「もはや、カッコつけても仕方がないから、とりあえず言っちゃおうと思ったんだけど」
「うん」
「何かこう、インパクトのあるプロポーズのセリフないかなって考えてたんだ」

 だから、レストランを出てから無口だったのか。そういえば、この人は私に付き合う際も「なんというか君と良い感じになりたいんだけど、どうかな?」と言ってきた。気の利いたセリフを言われた覚えがない。なんというか、その、ヘタクソだ。

 ちょっと困ったような表情で私の顔を覗き込む。そう、あのときもこんなふうに私の顔を覗き込んでいた。

「お待たせしましたあ! 餃子です!」

 情緒を吹っ飛ばすかのように私たちの前に餃子が二皿置かれた。

「それで、どう?」
「とりあえず待って。先に餃子だから」
「え?」
「餃子はアツアツのうちに食べるべきよ。話はそれからね」

 餃子をひとつは箸でつまみ、そのまままるっと口の中に放り込んだ。熱い肉汁が私の上あごと舌を溶かしていった。

 なるほど、悪くない。

 さて。

 溶けた舌で、彼になんて答えよう。


【初出:2019年4月/ウィッチンケア第10掲載】


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