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宮崎智之/極私的「35歳問題」

 この原稿執筆時点で、ぼくは35歳である。一般的に考えて、そこそこの年齢になった。しかし、場所によってはまだ「若手」なんて呼ばれ方をしたりする。偉そうに人生や仕事を語るには、未熟すぎるということだろう。悔しいというより、ほっとする気持ちのほうが大きい。週刊少年ジャンプは、日にちが変わった瞬間に買う。結婚して、離婚し、また結婚しても人生はあまり大きく変わらない。いくつになっても大人になった気がしないのだ。

 2017年10月16日、父がこの世を去った。71歳だった。もともと体が強くなかった父だっただけに、家族としては判断がつきにくいものの、「人生100年時代」なんて盛んに叫ばれている昨今の状況からすると、やはり早いお別れだったのだと思う。

 学生運動に没頭し、何度か留年した後に苦労して就職した父は、昔の人にしてはやや遅れて母と結婚した。ぼくは、父が36歳の時に生まれた子どもだ。つまり、父がぼくを授かった年齢と、父が亡くなった時のぼくの年齢とは、ほぼ一緒なのである。
 思えば奇妙な偶然だ。ぼくの視点からしてみると、父はまるでぼくにバトンタッチをするかのように、亡くなっていったような感覚がある。父が36歳の時にぼくが生まれ、ぼくがその時の父と同じ年齢になる直前で父は旅立っていった。しかも、それと同じタイミングで、ぼくは二度目の結婚をした。否が応でも重ね合わせて考えてしまう。
 仮に、ぼくが父の年齢まで生きるとしたら、ちょうど人生の半分を終えたことになる。父がぼくの「父」となった同じ年月を、これから歩んでいくのだ。もちろん、もっと長く生きるかもしれないし、もしかしたらもっと短い人生かもしれない。それは誰にもわからない。しかし、35歳という年齢と、父が亡くなった年齢を対照させて、そこに意味を見出してしまうのは、人間の性なのであろう。

「35歳問題」という言葉がある。議論のきっかけとなったのは、村上春樹の「プールサイド」という短編小説だ。主人公の男は自分が35歳になった時、人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した、と語り始める。「決心」という言葉にも言い換えられている。いずれにしても、元水泳選手だった彼は、35歳という年齢は、レースに例えると、思いっ切り壁を蹴ってターンするタイミングであることを悟ったのだ。
 東浩紀も小説『クォンタム・ファミリーズ』のなかで、この「35歳問題」に言及している。人生には、なしとげたことと、これからなしとげられるであろうこと、そして、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》こと、という三つの要素がある。そして、前者二つと後者一つのバランスが逆転するのが、35歳あたりだというのだ。つまり35歳以降の人生は、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》という仮定法過去の亡霊を背負い、一緒に生きていくことになる。

 父は亡くなる数年前から、入退院を繰り返していた。80キロ以上あった体重はみるみるうちに減っていき、肌の色も悪くなっていった。しかし、頭は冴えていて、よく本を読んでいた。ところが最後の入院の時には、もう本を読む気力もなくなっていたようだ。ぼくが編集した本も、病室の窓側に飾り、その表紙を眺めるばかりだった。
 誰もがそうなのだろうが、ぼくも父の死に目に関して後悔が残っている。忙しいことを理由に見舞いに行っても時間そこそこで帰ってしまっていたが、今考えれば父と話すこと以上に大切な仕事なんてあったのだろうか。人並みに仕事することが父への恩返しだと思って自分を納得させていたものの、本当にそれが正しかったのか自信が持てない。決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことが父にとってなんだったのか。仮定法過去の話を、父はぼくに一度もしたことがなかった。ぼくを授かってからの35年間、父はどんな思いで生きていたのか。そして、それまでの36年間は、どんな若者だったのか。

 吉田健一は随筆「余生の文学」のなかで、若さゆえの苦悶を、自分になにができるかわからない状態にもかかわらず、それでもなにかやってみたいと思うことにある、としている。一方、年を取るということは、自分の限界がはっきりすることであって、そのぶんなにかするにあたり、狙いが定めやすくなる、というのだ。若い頃は、なにができるか自分にもわからないまま、とにかくなにかやってみたいという思いを成就させるしかない。若さ特有のぎこちなさは、そうした限定されないがゆえの焦燥からくるものなのだという。
 つまり、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》仮定法過去の亡霊に捉われる必要はない、ということだ。なしとげられなかったことが多くなってきたがために、逆説的に人生の照準が合わせやすくなる。それを自分の限界だったと考えることは、吉田的には悪いことではない。むしろ、もしかしたらこれからなしとげられる《かもしれない》といった不確かな未来の仮定からくる若さゆえの居心地の悪さによって、人は身動きが取れなくなる。だから、過去を足がかりにして現在を歩むのが大人なのだ、と。
 ぼくの知っている父は、「家庭人」であった。しかし、もちろんそれが父のすべてではない。おそらく、吉田の言う若さゆえの苦悶やぎこちなさも、かつては持っていたはずである。そして、ぼくが生まれた頃に、きっと父も「35歳問題」に直面したはずなのだ。だが、今ぼくが考えていることを、父に確認することは、もう二度とできない。

 最後に一度だけ、一日かけて父の看病をした。その時にはすでに意識が混濁していて、ぼくの言っていることが伝わっているのかわからない状態だった。しかし、ぼくはなにかを直感するように、仕事がなんとか軌道に乗っていること、二度目の結婚をこれからするが(父の意識があるうちに婚約者を紹介することができた)、今度はなんの心配もいらないことを、何度も父の耳元で話した。父はただ真っ直ぐぼくの目を見ていた。
 父は背中を痛がり、その度に体勢を変えてあげた。いつも看病している母なら上手にするのだが、ぼくは勝手がわからず、なかなか父の苦痛をとってあげることができなかった。「ごめんね、役に立たないで」と小さい声で呟くぼくに、それまでほとんど反応しなかった父が、大きく首を横に振った。結局、それが父とコミュニケーションが取れた最後となってしまった。数日後、父は家族に看取られながらこの世を去った。

 父が亡くなった瞬間、35歳のぼくは「子ども」ではなくなった。もちろん、母は存命だが、「父親」を失うことの意味は、長男のぼくにとって思ったよりもずっと大きい出来事だったようだ。しかし、だからと言って「大人」になったという実感はまだない。

 とはいえ、父が亡くなってから、ぼくにも小さな変化が起きた。ふとした瞬間、父を思い出すことがあり、数分間じっと一点を見つめて考え込むことが増えたのである。仮に、36歳で子どもができたら、同い年でぼくを生んだ父の気持ちが少しは理解できるだろうか。そんな妄想もするようになった。
 行き場のない思いをどう処理したらいいか持て余していた時、実家から借りてきた父の写真に手を合わせてみることを、ふと思い立った。幼いぼくを抱いている写真だ。手を合わせると、不思議と気持ちが落ち着くような気がした。自分のなかに起きた小さな変化に、ぼくは少し戸惑った。
 それまで、個人的には、宗教とは無縁の人生を送っていた。なんの根拠もないが、一生無縁なのではないかと勝手に信じ込んでいた。だからこその戸惑いだ。そもそも、ぼくのやっていることが、「宗教」と呼ばれるものなのかもわからない。ただ単に写真に手を合わせているだけであり、そこに信仰はない。手を合わせる形式が、仏教式のそれなのか、キリスト教の祈りのポーズなのかも、とくに決めていなく、その時々によって変わるくらいだ(身内には仏教徒もキリスト教徒もいる。父と信仰の話をしたことはない)。しかし、少なくともその行為はぼくを仮定法過去の呪縛から解き放ち、「現在」をしっかり生きる足がかりを掴もうとするものだと感じる。
 父の人生における《かもしれなかった》ことは、ぼくにつながっているのだと、写真に手を合わせると自然に思えてくる。それは、ぼくを縛り付けるものでは決してなく、むしろ自由にするための「限定」である。限定と意識することによって、ぼくがぼくであり、ぼく以外のものではあり得ないという当り前の感覚を、より正確に持つことができる。父とつながっていることで、ぼくは自由になれる。当然、こう考えることは、勝手な思い込みかもしれない(なにせ、もう二度と父に確認することはできないのだから)。しかし、そうした分厚い過去からの流れの上に自らを置くという感覚は、「大人」になった実感を抱かせるとまではいかなくても、ぼくに確かな変化をもたらした。

 父の写真を前にして、ぼくも35歳を人生の折り返し点とすることを心に決めたのだ。

 こんなことを考える。
 ある病院で、ぼくはベッドの上に横たわっている。上手く喋ることができない。耳は聞こえるものの、それに対して反応する力は、もうすでにほとんど残されていない。
 さまざまなことがあった。前半の35年間と比べると確かに変化は少なかったかもしれないが、そのぶん手応えもあった。父のことを少し思い出す。父は亡くなる前、どのようなことを考えていたのだろうか。同じ年になっても、本当のことはわからない。
 残されていく者たちのことも考える。彼らに、ぼくはなにか残すことはできたのだろうか。ぼくは、残されていく者の目をじっと見つめる。ただ真っ直ぐに見つめる。
 その時、ぼくはなにを思うのだろう。後悔はあるのか。死の恐怖はあるのか。それとも安らかな気持ちで最期を迎えられているのだろうか。自由のきかない体で、ぼくは一体なにを思うのだろうか。仮定法過去の総量は、今ピークを迎えている。ぼくは、どのような気持ちで、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことに想いを馳せるのだろう。人生の照準を合わせることを覚えたぼくは、今のぼくが思っているよりも、死ぬことが怖くなくなっているのかもしれない。それとも今と同じように、いくつになってもじたばた落ち着きのないままなのだろうか。

 ぼくは、残されていく者の目をじっと見つめる。あの時の父と同じように。目の前には、いつのまにか膨大な量となった仮定法過去の世界が広がっている。ぼくは、あの時の父の目を忘れることができない。父が見ていたものを、ぼくもいつか見る。

【初出:2018年4月/ウィッチンケア第9号掲載】

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