谷亜ヒロコ/今どきのオトコノコ

 大学なんて行かなきゃ良かった。こんなアホな私立大学。まさか全部奨学金にしろと親が言うとは思わなかった。この先どうやって返していけばいいのか。世の中にはそんなアホ親ばっかりだと思っていたら、そうではない人間もいるらしい。
「送っていこうか」
 帰り道、同じ大学の長谷場にそんなことを言われたが、彼なんて恵まれている。車も持ってるし、家もある。俺なんて自分の家なんか友達に見せられない。俺が住んでる団地は、いつも薄汚れている。白い壁に上から真っ黒な絵の具をかけたみたいに垂れ下がった割れ目が入っていて、窓の四角い枠からは、みみず腫れのような不吉な汚れが広がっている。「俺の家ここだから」なんて、どんな顔して言えるだろう。言えるわけない。いくらinstagram のフィルターをかけてもおしゃれには見えない。せめて新しいアパートだったら、マンションだったら……。子供の頃からずっと思ってきたことだ。いつか引っ越しするだろうと思ったが、生まれた時からこの団地に住んでいる。そして今後も引っ越すことはないだろう。うちの親は、ここで死んでいくのだ。玄関の狭いこの部屋で。玄関は靴が五足も入ればいっぱいで足の踏み場もない。だから必ず帰ってきたら、俺の28センチのスニーカーを下駄箱の上にあるダンボールに入れる。玄関だけでなく下駄箱も小さ過ぎるからだ。そして玄関を入ると、横のトイレからプ〜ンとおしっこの臭いがするこの家で、たぶん俺も死ぬ。

 きっと長谷場はそんなことないんだろうな。
 大学二年生になってから何となく長谷場と仲良くはしているが、こいつのことは基本的に好きじゃない。家族で外食をしに行った話から、母親が宅配で取っているというやたら値段の高いこだわりの食べ物の話になった。彼の家では5キロの無農薬の米4300円なるものを食べているという。うちはいくらの米を使っているんだろう……と俺がつぶやくと、「おれってほら、セレブの家じゃない?」と冗談半分に言った時は、「あぁ、こいつ死ねばいいのにな」と思った。すぐ後に「まあ、死ななくてもいいか……」って救ってあげる、俺。やさしい。
 だって飲みに行ったり、つるんだりする友達は必要だ。俺は利用しているつもりでこいつと付き合っているんであって、自分の弱みなんて死んでも見せたくない。貧乏な自分は見せたくない。そんな俺は嫌だ。嫌だったら嫌だ。

 長谷場の「送っていこうか」を途中で振り払い家に帰ってきて、すぐにPCの電源を入れ「貧乏、イヤ」と検索してみる。すると秒殺で、テンション高めのいきり立っている人々がどんどん出て来る。「私は友達より貧乏じゃない」「貧乏すぎておやつはいつも小麦粉をやいたヤツ」「生活がギリギリ過ぎてホームレス寸前」……。
「ホームレス?」なんだか探しているものが見つかったような気がした。渋谷や新宿にゴロゴロいるあれか? 次にホームレスで検索をかけてみると、うちから近いところの多摩川沿いにいっぱいいることが分かった。しかもそいつらは何だかえらい豪邸に住んでいる。高床式のような手作り住居は、南の島にあるみたいな呑気さ加減だ。
 将来、俺もホームレスになる恐れがあるような気がしてくる。このまま大学を卒業しても、ブラック企業に勤めるのが関の山だ。毎日満員電車に乗って、朝から晩まで働いて、疲れてバックレて、行くところがなくなって、路上に寝泊まりする。そんな将来が安易に想像出来る。かといって、起業したりして闘うなんてことは出来ないんだ。闘いたくない。誰とも闘いたくない。自分とも闘いたくない。そんな俺はホームレスがピッタリなのかもしれない。

 十一月に入ってすぐの晴れた土曜日だった。
 思いきってJR南武線に乗り、俺は平間駅で降りて、iPhone 片手に多摩川側を目指した。さえない商店街と住宅街を抜けていくと、すぐに土手が見え河川敷が広がっている。
 川に沿って歩き始めると、少年野球をやっているのが見えた。一生懸命なかわいい子供の声は心地よく、そのサウンドに惹かれて川に近づいていくと、オヤジ二人がゴルフをやっていた。赤い文字で「ゴルフ禁止!」と書かれている看板の前で堂々のゴルフ練習。俺は散歩している風を装い、二人のオヤジ達にそれとなく近づいてみる。どちらの顔を見ても、将来こんな感じにはなりたくないぶくぶくと脂肪がたまっている顔だ。二人ともサラリーマンの休日。同じようなダボっとした洋服でお腹を隠して、顔がでかい。こういうふてぶてしさがないと、ここでゴルフなんて出来ないんだろう。そこへ見たこともないほど姿勢の良い男がやってきた。
「こっちの方が飛ぶって〜」
 ゴルフのクラブを持って突如現れたのは、のろのろとスイングしていたオヤジたちとはあきらかに違う。鍛えられた肉体に作業着風の紺色のジャケットにズボン。長髪に載せた野球帽の下に隠された顔は、どこか昔ながらの男らしさが漂う。初老にも見えなくもないが、俺の親父と同じ50歳ぐらいにも見える。さらによくよく見ると、顔の色の黒さが尋常じゃない。この人はここで生活しているんではないだろうか。俺は心細さと、その裏腹の興味が先走る。この男がホームレスかどうか、正体が知りたいのだ。将来ホームレスになるかもしれないから、ここはきっちり見てみよう。そう決心した時、ゴルフオヤジたちがクラブを取り替えるためこっちに近づいた。
「ありがとう、さすが分かってるね」
 へらへらしながら、オヤジたちは新しいクラブを受け取り、今まで使っていたクラブと交換した。笑顔のオヤジたちはまた多摩川に向かって、打ち始める。「ナイショー」にしか聞こえないけど、「ナイスショット」ってことなんだろう。男は、クラブを持ってさらに川辺に進んだので、俺も跡をつけてみる。すすきや雑草がいっぱい生えた中のちょっとした小道を突き進むと、中学生の時使っていたようなコインロッカーがあり、鍵を開けると、中には、ゴルフクラブがピッシリと入っている。その数、100本近くはあるのではないだろうか。なんだ、それは? という顔をしているのがバレたらしく、男が言った。
「これはね、ここでゴルフしてる人たちに貸してるの。あと置いてあげてる分。こうしておけば、ここでゴルフする時に手ぶらで来れるでしょ」
 よく見ると、ゴルフボールもたくさん箱に入っている。男はここでゴルフクラブを管理する商売をやっていたのだ。
 さらに生えっぱなしの雑草の間にはきちんとした小道があり、きれいに整備された畑がある。ネギと大根だけは、出ている葉っぱから分かったが、他は何だろう……、そう思って思いきって、男に聞いてみる。
「あのー、すいません。ここに生えてる野菜は何ですか?」
 間抜けな質問になってしまった。しかし男は普通に、
「ジャガイモだね。こっちはネギ。そんでもってこっちはレンコンね」
 柵に囲まれた畑の中にはブルーシートで作られた小さなプールがあった。中を見ると、葉っぱがにょきにょきとひしめきあってはえていた。これがレンコンなんだろう。レンコンって?
「レンコンは多摩川の水で作ってるんですか?」
「まさか、危ないから多摩川には入らないさ。レンコンは雨水でやってるんだよ」
「野菜たくさん食べられますね」
「あぁ、野菜を食べないとね」
 にっこり笑った口元に歯は見当たらない。
「ここに住んでるんですか?」
「そう」
 あっさりした肯定。同時に、イメージしていたホームレスを否定された。
 街で見かけるホームレスのような違和感はない。どちらかというと、俺のほうが異分子。あぁ関係ないけど、人間歯がないというだけでなんてまぬけなんだろう。俺はホームレスになってもゴミを漁る必要はない、そして歯医者だけには行こうと心にメモをした。どんな時も多摩川は右に向かってたぷたぷと流れているだけ。男はこっちのことなんて気にしていないように、ベンチに座ってタバコを吸い出した。洗濯物と混ざって、なぜかコンビニ袋とゴミ袋が干してある。その横には木をつなぎ合わせた貧乏な長屋のような小屋が建っていた。こういう家に生まれた方が思いっきりグレられて良かったのかもしれない。
 しばらくどうしていいか、立ち尽くしていると、さっきゴルフをやっていたオヤジたちが帰ってきた。
「今日はもう疲れたから帰るわ」
 そういって、ゴルフクラブと一緒に千円札五枚くらいを渡している。男は無言で金を受け取っていた。俺はまたどうしていいか分からなくなり、目が泳いでいたんだろう。ゴルフオヤジの濃い顔の方から助け舟を出された。
「あんた、この家の中に興味あるんだろ。見せてもらいなよ」
 優しい声だった。意外にいい人なのかもしれない。
「はい、見てみたいです」
 俺は素直にそう言うと、男は「そんなことか」みたいな顔をして、家の凹みの扉に指をさして開けてくれた。家の中をそっと覗き込むと、日本酒のボトルが綺麗に横に何十本も並べてあって、奥にはカセットコンロが直置き。そして部屋の半分以上は、ベッドが占めていた。ベッドといっても、木の台の上に布団と大量の毛布を敷いてるだけだ。なぜか天井を見ると、頭が出る程の穴が開いていて、風がぴゅーぴゅー入ってくる。
「あの天井の穴は、どういう役割りなんですか?」
「あれか。あれね、そこで野球やってる子供たちに、穴を開けられたんだ。あのね、昼間出かけている時に穴を小さく開けて、夜中に消化器と花火をぶっ込んできたんだ。それで穴があんなに大きくなったよ」
「あそこの子供たちが、ですか?」
 男が深くうなずいた後、遠くに目をやると、少年が無邪気に野球をやっている。
 立ち尽くしたまま、また川の土手を目指そうと思って足を動かした瞬間、足下にボールが転がってきた。
「すいませーん!」と野球少年が手をふる。俺はそのボールを少年がいる反対側の多摩川に向かって力の限り思い切り投げ、二度と振り返ることなく、土手をのぼり河川敷をあとにした。背中にはあんぐりと口を開けた少年の顔が見えたような気がしたが、知るか。駆け出したら止まらない。あまりにも急いでいたから、平間駅に着いて、本当は立川行きに乗りたかったのに、階段を登って隣のホームに行くのすら面倒になり、改札入るとすぐ来た川崎行きの電車に逃げるように飛び乗った。そのまま川崎で降りて空を見上げると、真っ黒なでかいカラスがたくさんいるのに気付く。そういえば多摩川にカラスなんか一羽もいなかった。多摩川には名も知らぬ綺麗な白い鳥がいるだけだ。
 カラスを避けるように地下街に入ると、たまたま見つけたL&Lでスパムムスビを買って食べた。どういうわけか、スパムムスビからはおしっこの臭いがしたけど、死ぬ程美味しい。そういえば、ホームレスからは嫌な臭いが一切しなかったことに気付く。どうやら俺はおしっこの臭いから逃げられないようだ。

【初出:2014年4月/ウィッチンケア第5号掲載】

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