小川たまか/夜明けに見る星、その行方

 仰向けで眠ることのできない女がいた。上を向いて寝ると、あばらの下からスッと何かを差し込まれる気がする。たとえば槍。もしくは大きな魚の歯。ときには人の手であばらを持ち上げて、めくられるような気がすることもあった。
 そのたびに、まずは片手を腹のあたりに置いてみる。これで槍の侵入を防げるはずだ。しかし数十秒もたてば、「これでは足りない」と不安になってくる。両手を重ねてみるが、心もとない。それどころか、置く場所を少し間違えると、自分の手が凶器となってあばらの下に潜り込むようで恐ろしい。横向きになって腹をおおい、最終的には顔を横に向けたうつ伏せの姿になって、やっと人心地つく。本当はまだ恐々としているのだが、他に対処の方法もない。
 寝間着の着心地が悪いのだろうか。確かに、腹のあたりを締め付けるゴムが気になる。そう思ってネグリジェを着てみたが、今度は下着の紐が気になってくる。結局のところ下着を脱いでも、最後にはネグリジェさえ脱いでも同じだった。
 全裸でうつ伏せになった女はぽつんと一人で考える。「ああ、上を向いて寝たいものだな」と。
  
「仰向けで寝るのって恐ろしくない?」
 女がそう話すと、大概の人が不思議そうにする。そして、「この女は何か面白い話をしようとしているのだろうか」という顔をする。女はできるだけ真面目な顔で、どれだけ自分にとって槍や歯の侵入が恐ろしいことなのかを話す。もしかしたら同じように悩んでいる人がいるのではないかと思うのだ。しかし、女が深刻そうに話せば話すほど、「面白い感覚だね」と言われるだけだった。
 女は思う。確かに不眠症の方が辛いだろう。自分の場合、いくら気になってもうつ伏せになれば眠れるのだから健康上の問題はない。毎晩、「上を向いて寝たい」と思って仰向けになるが、もぞもぞと体を動かしながら二十分もするとうつ伏せになっている。
 そういえば猫や犬は、寝床でよく何度も座り直したりする。自分もあれと同じ調整を毎日しているのかもしれない。そう思えば大したことではない。

 ……でもやはり。やはり上を向いて寝たい。上を向いて寝るのは大変気持ちが良いことなのだろうと思っている。

 女はこれまで何人かの男や女と寝てきた。人がどんな風に眠るのかを知るためだった。親や兄弟たちが仰向けで寝ることはすでに知っている。それでは他人の場合はどうなのか。
 女が寝た男や女は、全員が仰向けで寝ていた。寝ているうちに体勢を変える場合もあるのだが、それでも仰向けの状態で入眠し、仰向けで覚醒する。 
 驚いたのは、寝ているときの表情だ。みんな健やかな顔をしている。微笑を浮かべている者さえある。そしてすっきりとした顔で起き、爽やかに「おはよう」と言い、家に招いた方がコーヒーを淹れて、飲み終わったら別れた。誰からも二度と連絡が来ることはなかった。

 朝が来て昼が過ぎ、夜になる。いつしか春が夏に変わり、夏に秋が近づき、秋を冬が覆う。一年、もう一年が過ぎるうちに、女はやがて自分の年齢を忘れた。無理に人を誘って寝ることも、人の誘いに乗ることも、いつの間にかやめていた。親兄弟も遠くで満足に暮らしていると聞くだけで、心を揺らすことはない。一日一日をただそのまま見送ることに慣れ始めていた。上を向いて寝ることへの願望も今は薄れ、遠くで輝く星のようにただ眺めるだけになった。

 ふと気付くと、隣に太った男が寝ている。思い出してみると、確か数ヵ月前に拾ったのだ。久しぶりに暖かくなり、道端に咲いていた花を摘んだ日のことだった。全てのことがどうでも良いと言うくせに、女が先に帰ろうとするとさみしそうな顔をする男だった。
 なんだろう、面倒くさい。でも悪くはない。何度も食事を共にするうち、家にいつくようになった。

 この男も、やっぱり仰向けで寝ている。なんと幸せそうな顔をして寝ることだろう。
「おーい、おい」と呼びかけてみるが、起きそうもない。久しぶりに女は、仰向けで寝ることへの渇望を思い出した。
 布団を取ってみると、男は左手を腹の上、右手は体に沿わせていびきを繰り返している。肩の力がすっかり抜けて、腹はいびきに合わせて上下する。グー、ガー、グー、ガー。その腹に手を乗せてみるが、男は起きない。あばらの位置を確かめ、腹をなでる。丸い腹に合わせて、女の手も上下する。グー、ガー、グー、ガー、グーグー、ガーガー、グーグー、ガーガー。
 男の腹は少しずつ、だんだんとふくらんだ。一息ずつ空気を吸い込んでいくのか、ぷっくりと餅のようにふくらんでいく。あっという間に、天井につきそうなほどになった。
 まだ大きくなりそうな気配がある。男は起きない。

 ぷちりと。女は慌てるでもなく、人差し指で男の腹をつついた。すると腹はみるみるうちに萎む。萎みきると、女の手のひらにはちんまりとなった男が乗っかっていた。女の手の上で、まだいびきをかいている。
 
「おーい、おい」
 女が声をかけると、男は目をさましてにっこりと笑った。

「俺はさ、もうずっとここにいるよ」
 そして目を閉じ、また眠ってしまった。

 そうか、この男はもうずっとここにいるつもりなのだな。理解すると女は、男を腹の上に置いて、そのまま眠った。

【初出:2016年4月/ウィッチンケア第7号掲載】

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