久保憲司/デモごっこ

「身分証明書とか、身元がわかる物は持ってないよね」と羽根木の家賃12万の1DKのマンションで僕はマサッチに聞いた。
 マサッチは何の事という感じで、「えっ」と聞き返した。
「デモにいく時は身元がバレないように何も持っていかないのが常識だよ。捕まったら完全黙秘ね。12日間黙っておくんだよ。天気の話とか、野球の話はしてもいいけど、自分の事は一切喋ったらダメだよ。12日間黙っていたら、無罪釈放されるから、何の罪にもとわれない」と僕は薄ら笑いを浮かべながら答えた。
 マサッチはとっても不安そうだ。お母さんにバレでもしたら、怒られるとでも思っているのだろうか。
「なーんてね。ウソだよ、ウソ。もう今日のデモで捕まる事なんかないよ。心配しないで。まずはデモの服装を買いに東急ハンズにいこう」
「デモの服装?」
「角棒と白ヘルに決まっているじゃん」
 と僕はプラスチック・オノ・エレファンツ・メモリー・バンドのYouTube画像を見せた。ジョン・レノンの公式での最後のステージとなったマジソン・スクエア・ガーデンでのライブだ。
 ジョン・レノンはボブ・マーレーに感化されたのかのような、塗装を落としたレスポール・スペシャルを弾いている。あのP-90のピックアップはどう考えてもボブ・マーレーだと思うのだがジョンは「チャーリー・クリスチャンのような音を出したいから付けた」とウソぶいている、あのライブだ。
 ジョンはこのコンサートですべてが変わると思っていた。このコンサートに集まった1万人が、立ち上がり、ベトナムとの戦争を続けようとするニクソンを、大統領の座から引きずり落とせると思っていた。
 しかし、結果はニクソンの再選。ショックを受けたジョンは酔っぱらって、バンドの回りをうろついていたお姉ちゃんをトイレに連れ込んで、キャバーン時代のようにやってしまった。
 ヨーコさんは、その場では「しかたがないわね」という感じで苦笑いをしていた。次の日、ジョンは謝罪の意味を込めて、写真家ボブ・グルーエンを連れて、ヨーコさんの前で土下座写真を撮らせたり、「あいすません」という曲を作ったりしたけど、ヨーコさんの怒りはおさまらず、ジョンはあの有名なロスト・ウィークエンドに入っていく。ジョンとヨーコさんは別れてしまったのだ。
 マサッチはすぐに「オノ・ヨーコ嫌い」と叫んだ。僕はまだまだ続くジョンとヨーコの物語を頭の中からかき消して、
「何を言っているんだ。今の音楽のルーツはヴェルヴェット・アンダーグラウンドだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがなんでできているかと言えば、ジミー・リードのブルース、ボ・ディドリーのロックンロール、そしてフルクサスのアヴァンギャルドだ。そのフルクサスのメンバーと言えばヨーコさん。しかもヴェルヴェット・アンダーグラウンドの実験的な部分を担っていたジョン・ケールの師匠と言えば、ラ・モンテ・ヤング、その彼女だったのがヨーコさんだ」とまくしたて、「ラ・モンテ・ヤング知っている?」とマサッチに聞いた。
 マサッチは現代アートが好きな普通の女の子でフルクサスの事は僕以上に知っているが、ラ・モンテ・ヤングの事は知らないだろうと思った。
「ラ・モンテ・ヤングと言えばえんえんと同じ音を出し続ける事に命をかけていたドローン・ミュージックの元祖、変なチューニングでそんな事をやっていたんだ。ソニック・ユースが変なチューニングをしているのはラ・モンテ・ヤングの弟子だからだよ。そんな偉い人だけど、現代音楽なんかじゃ食えないから、ヘロインの売人をやっていたんだ。そのヘロインをロンドンまで運んで、ビートルズの面々を中毒にしたのがヨーコさんだぞ、コールド・ターキーだぞ」とうれしそうに喋り続けていたが、マサッチはどんどんと怒った顔になってきた。
 ヤバい、このままいくと「あんた、また、そんな事言って。自分の売人という仕事が正しいって言いたいんでしょう」と怒られるのがわかってきたので、僕は「とにかく東急ハンズにいこう」と誘った。
 マサッチは怒りそうなところをぐっとこらえたような顔で、「ハンズはダサいから、ロフトにしましょう」と言った。
 そうなのだ、俺たちはこんな事で喧嘩している場合ではないのだ。あの大事故以来、日本で初めてのノンポリによる反原発デモが行われるのだ。しかも高円寺で。なんで高円寺かという話は後でまた書かしてもらうとして、僕は「オッケー、とにかくロフトにいこう」と東京無線を呼んだ。
 タクシーから何百回も見た井の頭通りの光景を見ながら、いつも考える事を考えた。売人という仕事はいけないかもしれないが、平均年収が200万しかない世の中で、学歴のない奴にドラッグの売人以外、稼げる仕事があるのだろうか。僕はこの仕事を20年以上やっているが、一度も捕まらない。それはなぜかというと、扱っているマーケットが警察の狙っているのと完全に違うからだ。警察は日本で起こったレイヴ・シーンの事なんか何もわかっていない。この新しく生まれたドラッグ・マーケットについて、奴らはまだ気づいていない。
 ヤクザや関東連合の連中もそろそろこのマーケットに関わろうとしているが、あいつらもまだエクスタシーという新しいドラッグを見つけて、自分で楽しんでいる状態だ。それまでシャブしか知らなかったあいつらは、今はエクスタシーをやって、アホみたいに汗を流し、水をガブガブ飲んで、クソみたいなゴア・トランスを聞きながら踊っている。
 どれだけ遅いんだ、と思う。でも、ついに関東連合みたいな奴らが入ってきたので、そろそろ、この仕事から足を洗おうかなとは思っている。レッドブルが流行ったんだから、自分なりのオーガニックなエナジー・ドリンクを作ったら、成功するんじゃないかなと思ったりしている。
 ペルーかボリビアにいって、マテ茶とかを仕入れて、なんか適当にナチュラルな成分を入れれば、レッドブルもびっくりするようなビジネスが展開できるかな、と考えているうちに、タクシーは渋谷に着いた。
 ロフトに角棒は売ってなかった。ロフトから歩いて5分の東急ハンズにいったら、そこにはちゃんと60年代の学生運動を彷彿させるような美しい角棒が売っていた。値段はいくらだったか忘れたが、800円はしなかったような気がする。さすが、東急ハンズだと思った。
 角棒を持ってもささくれが刺さらないよう、軍手も一緒に買おうと思いついたが、何事にもおしゃれなマサッチは軍手には拒否反応をしめすかな、と恐る恐る「学生運動ファッションアイテムのひとつ、軍手も買わない?」と聞いたら何ひとつ文句を言わなかった。
 ラッキーと思った僕はすかさずヘルメットも見にいこうとしたのだが、マサッチは「ロフトの方がカッコいいの、あるんじゃない」と恐れていた事を提案してきた。「嫌だー、普通の日本的な白いヘルメットがいい。学生運動といったら、白いどこにでも売っているヘルメットでしょう。ヨーコさんもジョンもそんなヘルメットに全学連とか何とか書いているんだよ。俺も反核って書く」とダダをこねたら、彼女は僕に、家を出る前にiPhoneで見せたプラスチック・オノ・エレファンツ・メモリー・バンドの映像を見せようとする。「何だよ」と言う僕にマサッチは「よく見なよ」と冷めた声で答える。
 ヨーコさんとジョンが被っているのは初期の大友克洋なんかの漫画に出てくるような日本の土方ヘルメットじゃなく、NYの工事現場で被るような、ちょっと突起が出たオシャレなものだった。僕は初めて気づいた。他のメンバーは黄色とか、赤のヘルメットなんかも被っている。そりゃそうだ。ヨーコさんたちがNYでピース・コンサートをやろうとして、日本の学生運動にリスペクトを込めて彼らのマネしようと思っても、日本の工事現場のヘルメットなんか手に入るわけはない。70年代にはフェデラルエクスプレスもない。あったかもしれないけど、1日で物が届く時代じゃない。あの偉大なピース・コンサートでは、彼らは洋物のポルノなんかで金髪のネーチャンが被っているようなヘルメットを被るしかなかったのだ。
「こんなの僕は被りたくない」と言うとマサッチは「ヨーコさんはあのフルクサスのメンバーでしょ。彼女のやる事には間違いないのよ」とさっき教えた事を言い返すので、僕は「わかった、わかった」と洋物ヘルメットを買う事にした。
 こんなのだったらディーヴォのヘルメットの方がいいと思ったけど、そんな帽子を買うために中野ブロードウェイのメカノまでいっているヒマはない、こうなればマジックでカッコよく「反核」とか書くのは中止だ。僕の友達が、渋谷でデザイン事務所をやっている。そこにいってオシャレにニュー・ウェイブ風に「アンチ・ニュークリア」とかなんとかを、黄色と赤と黒などで、デヴィッド・ボウイのイナズママークみたいにデザインしてもらうしかない。
 というわけで僕たちは東急ハンズから歩いて2分の、雑居ビルの階段を駆け上がった。
 普段は締め切りも守らずハッパなんかを吸って、ちんたらちんたら仕事しているボッカ・ジュニアのメンバーたちが、今日のデモに持っていくプラカードのデザインをしていた。
 そこで僕らはヘルメットに貼るオシャレなシールをいくつか作ってもらい、ついでに町で知り合いたちにも配れるよう、各10枚ずつくらいプリントアウトした。それを90年代の古着バイヤーが持ってたジュラルミン・トランクみたいに、ガンガンとヘルメットに貼り付けた。中野ブロードウェイにいかなくっても、1時間ちょっとでニュー・ウェイブ風反核ヘルメットができあがった。
 マサッチは「カッコいい」と言っている。僕は「カッコいいんじゃダメなんだよ。70年代安保はカッコ悪くなくちゃいけないの。つかこうへいの飛竜伝を見た事ないの? あの主人公がダサく、自分たちが投げてきた石をけなげに愛する場面がいいんじゃない。それが革命なんだよー」と叫んだところで、ボッカ・ジュニアの石坂くんに「クボケンさん、そろそろいった方がいいですよ」と言われた。
 というわけで、僕たちは山の手線に乗って、友部正人の名曲「一本道」のあの娘の胸に突き刺され、のところを歌いながら中央線のプラットフォームに着いた。じつは曲を聞いた事はないんだけど、このフレーズは最高だよね。中央線にはなんかマジックがあるよね。中央線が延びた先の国立とかも。でも、じゃあなんで僕が中央線に住まないのかというと不思議な感じもして、次は何とか西荻窪に住もうと思っているんだけど、そんなところに住んじゃうと僕のビジネスもエクスタシーからマリファナになってしまうのじゃないかと危惧している。マリファナの方が捕まりやすそうだぜ。
 新宿に着いた頃には何となく、僕たちと同じような、デモにいくような人たちがちらほらと見えてきた。クラスが好きそうで革ジャンにAマークを書いている奴ら、完全に「自分は清志郎が好き」みたいな奴ら。そんな奴らは石坂くんがデザインしたプラカードを段ボールに貼付けて持っている。石坂くんのデータはWEB上にフリーで解放されていて、誰もが好きなだけコンビニでプリントアウトする事ができるのだ。
 高円寺の駅前広場にいくと、そこには「ここはフジロックの入り口か」というくらいたくさんの人がいた。5000人くらいはいたんじゃないだろうか。原水禁や労組がやるようなダサいデモじゃない、カッコいい若者が集まっていた。「うおっー、これは世の中が変わるんじゃない」と叫んだら、マサッチに「あんたEやっているの?」と言われた。「Eなんかやってないよ」と言ったけど、僕は正直Eをやりたかった。いや、みんなにEを配りたかった。たくさんの公安がいたけど、Eを配りたかった。フレーミング・リップスのアルバムで、僕みたいなアホが世の中を変えようと、ホワイトハウスの水にアシッドを入れたら、政治家たちがデビルマンの悪魔のミサみたいに邪悪なものになってしまい、それと戦う物語があったけど、まさにそんな感じだった。こいつらにEを配ったら、フレーミング・リップスのアルバムみたいに邪悪なものにはならない、きっと天使になるだろうと思った。そして、原発を止めてくれるだろうと思った。
 こいつらが世の中を変えてくれる、と思ったのだ。それから2年経ったけど、どうだい、世の中は変わったかい。むちゃくちゃ右で頭の悪い田母神には60万票も集まって、僕はジョン・レノンのように酔っぱらって、どこかのネーチャンとトイレでやりたいと思った。最低の世の中だ。田母神に入れた東京都民60万は、いまだ自分の生まれ育った場所に帰れない14万人の事をどう思っているのだろう。昔日本に核が持ち込まれた時、たくさんの人が反対した。それは広島と長崎の人たちに顔向けができないという事だったのじゃないだろうか。あの時に「核は冷戦に必要だ」と言うようなバカが日本にいたのだろうか。
 本当にくだらねえ世の中だ。でも、ジョン・レノンも言ってたよ。「フラワー・パワーが失敗したって、それがどうした。やり続けるしかないだろう。もう1回やろう」
 僕はまだマサッチと楽しくやっているし、Eの売り買いもほそぼそだがやっている。まだまだ、これからだと思う。

【初出:2014年4月/ウィッチンケア第5号掲載】

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2010年に創刊した文芸創作誌「ウィッチンケア」。次号(第10号)は2019年4月1日発行予定! ここでは同誌にこれまで掲載された作品の一部を、寄稿者の許可を得て掲載しています。しばらくはテストランで無料公開。Enjoy!
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