週報240326

今週の自的ホットワード 
大熊町 原口拓也 利島 原田マハ藤井保 石見銀山 NHK 群言堂 
阿部家 松場忠*井上岳一 中村ブレイス 

今週は民藝を切り口に、インスタのフォローをたどった。
見つけたのは作り手のことを伝えたいという素敵な洋服やさん、藤枝のARTSCAPE。それから古くから静岡で個人作家を応援している喫茶侘助。
アートスケープは群言堂みたいなお店。
静岡をまとうことのできる衣を購入した。
侘助にはまだ行っていないが、どこに行ってもすごいと聞く。
気が向いたらいこう。

全てのきっかけはアトリエぬいや。ありがとう。
好いつながりには、いいつながりがあることの再確認。

休みの日に聞き流していた山水郷チャンネル。子供に楽しいと思ってもらえるような大人たちがたくさんいる街。島根。その姿勢かっこいい。

NHKでは石見特集。過疎地と子育て。お年寄りは子供の声が聞こえることが嬉しいという。ほんとうに、素晴らしいなと思った。

山水郷チャンネルがそれを分析するに、群言堂はそういう石見の人たちの暮らしを支えるという点、すなわち場が先にあることが違いという。
場が先に合って、その為に企業が存在していることが場を後付けた無印やもはや場のないユニクロより地域貢献をしようと思った時の大義名分や説得力が違うと見ていた。確かに。

この地域があってこそ、結果としてこの地域を支える存在に僕らがなっていると言える強さよ。
いや、でも思うに場の規模感の話でしかないとも思う。
世界、日本、みたいに大きな場で見れば僕らにだって場はあろう。
ただし、その場に対する納得感や暮らしの中での実感が乏しいから、なんであんな街にお金を使うのかとなると思う。

なんか思うに、無印は役に立てればどこでもいいようにもみえよう。
実際そうでもあろう。それは中々理解されないかもしれない。
でも非常に現代的でもあろうと思う。
まるで新興住宅地に生まれ、ふるさとらしいふるさとを持たぬ人々のよう。
僕はどちらかと言えば後者だと思う。ふるさとらしいふるさとは僕にとって一つの憧れであり、幻想だ。現実の僕はどこかひとつの地域に肩入れをするのに見合う文脈は持っていない。
でもだからこそ、できることもあろう。
どこでもないは、だからこそ誰にでも、どこにでもとなりうる。
その可能性を信じたい。

この週報には結論はない。人もまた土壌だという考えのもと、酸いも甘いもなんでも気付いたものは取り込んで、消化してみてから意味が見えればいいとおもうという考えに基づく。大抵は最初は消化不良だけど、ゆくゆくその効能に気付くのだ。もしくは化学変化するのだろう。
そうして、土地は豊かになっていくのだと思う。

また来週。



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