ごとごと

根無し草の、徒然年記。 日記ほど、月ほども書かない。 が、たまにかく。ー"土…

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根無し草の、徒然年記。 日記ほど、月ほども書かない。 が、たまにかく。ー"土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう" ー天空の城ラピュタ

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週報240326

今週の自的ホットワード  大熊町 原口拓也 利島 原田マハ*藤井保 石見銀山 NHK 群言堂  阿部家 松場忠*井上岳一 中村ブレイス  今週は民藝を切り口に、インスタのフォローをたどった。 見つけたのは作り手のことを伝えたいという素敵な洋服やさん、藤枝のARTSCAPE。それから古くから静岡で個人作家を応援している喫茶侘助。 アートスケープは群言堂みたいなお店。 静岡をまとうことのできる衣を購入した。 侘助にはまだ行っていないが、どこに行ってもすごいと聞く。 気が向いたら

    • 藤森照信

      https://brutus.jp/fujimori_architecture/?heading=3&gallery=4-1

      • エゴと協調の狭間にあるもの

        一人ひとりが自分らしくある先にある社会。 自分が納得の行く形を貫く。 それは確かにエゴで、自己満足な側面がある。 そして、その道が後悔ないかは前もっては決まっていない。 協調性が求められてきた日々の先に、大人になるにつれて逆のことが求められる社会。 協調性は誰にとってのなにか。 国にとっての統率しやすさ故か。 人々にとっての支え合いのためか。  エゴは誰にとってのエゴか。 仮初の協調性よりも、よほど協調的で、多分定年後も続く関係性で、よほど持続可能なのではないか。

        • 東海道新幹線の色

          東海道新幹線の色 そう聞かれたらあなたは何色を思うか。 私はあの、空色ほどは薄くない、空をバックにしても確実にその姿をみせる富士の青と、そこに降り積もる雪の青と思う。 東海道の象徴の色と思う。 はたまた海と白波の色 空と雲の色 ーいくつか思いつく。 青いのに冷たくない、あの青 白いのに、消して無ではなく始まりのようなあの白 今日の日の出前の街の色もそんな色だった。  新たな一日へと明るくなって行く、街の青。 宇宙から見た大気と水の色、すなわち地球の色か。

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        • ふと、かんがえる
          6本
        • ふと、おもう
          2本

        記事

          変わりゆく祖父母宅

          ところどころ枯れる軒先の花々。 高齢者用の玄関スロープ。  中学のとき仕事体験で介護施設にあった風呂椅子。 手すりのついたまるで病院の備品のようなベット。 祖父母の家のどれもが、確実にその時が来ることを告げる。 高校に通い、塾にこもり、 大学へいき、旅をし、 就活をし、週五日、月20万そこそこの金をもらう。 一方で家族はもちろん、祖父母やましてや曽祖父母と過ごす時間は減った。 別におかしなことではないと思う。 みんなそうだし、誰だってそう。 失うものに比例して、新し

          変わりゆく祖父母宅

          うまくできなかった。その理由。

          その原因は、23年生きて分かった。 自分に素直じゃなかったんだ。 うまくできるようになれる人が羨ましくて、 自分らしさがある人が羨ましくて、 少しでも自分もそうなれるように、できるふりをして、 できもしないのに。 そこに目を背け続けた私に、最大限の優しさをくれたのが、 あの人たちだった。 小・中・高の先生、そして大学の教授。 それから誰よりも母と父、そして妹。 できるようになりたい。何でも、誰よりも。 でも、それはつらかった。あまりにも。 日々生きていくと、いろんな人

          うまくできなかった。その理由。

          こころ、ときめく方へ。

          中学校の先生に、10年ぶりくらいに会った たった一年しかお世話になっていないのだけれど、 僕にその人は、こころときめく方へ一歩踏み出す その楽しさを教えてくれた。 小学生の頃の僕は、クラスの端にいた。 そして、適当に過ごしていた。 家に帰ってはゲーム。外に出ては野球。 来る日も来る日も、心躍る日々はやってこなかった。 そんなある日。転校をし、そして中学生になろうとした時だった。 中学校に小6の私は招かれて、聞かされたのは『青葉の唱』 圧倒的中学生のパワーを全身で

          こころ、ときめく方へ。

          就活生に告ぐ 気楽になれるぜ

          就活生に告ぐ。特にうまくいっていない就活生よ。 君のやりたいことはなんだ。 ちなみに、僕にそんなものは(あまり)ない。 てかそんなもの、就活にそんなに必要ないってことは読めばわかる。 僕は社会人一年目。新卒でふつーの会社に入った社会人。 そんな僕から、就活で上手くいっていない君に一つだけ言えることがある。 世の中の、常識っぽいものに縛られる勿れ。 いいか、要はただの自己紹介だ。 世の中には大きく二つの人間がいる。 ひとつは、やりたことがあって、人生で一貫してき

          就活生に告ぐ 気楽になれるぜ

          自分の不都合

          昨夜、彼女と喧嘩した いや、僕が傷つけた  一緒に住みたい、わがままがとまらない 思ってもないこともいった 不用意な冷たい言葉があふれる サッポロを飲みかけて、そのまま寝た 朝、頭はまだくしゃくしゃ 昼、予約してた美容院にいく 待合室の太陽が温い 前回のことを覚えててくれて、過不足なく話す インテリアのこと、近くのいいお店のこと、 カメラの話、とかした。 最後のマッサージが気持ちいい 街角の花がかわいい 空は本当に澄み渡っている 氷見の寒ブリが入ったという 近くの魚

          自分の不都合

          僕の中に強烈にやりたいことや意志はない。

          僕の中に強烈にやりたいことや意志はない。ただあるのは、人の話を聞くことと、それを書き留める力にすぎない。とはいえそういう性格と一方で、凝り固まった価値感はともに存在している。脱過剰消費的なところが強いのと、現代社会が強いる転勤や夫婦別役割定義などの自分の周りにある、何らかの不幸をもたらす負のエネルギーや慣習と呼ばれるようなものへの反抗心だ。だからこそ柳田國男や柳宗悦の民藝運動にひかれたのだと今なら理解できる。 そうだといえば、そんなの最強の副キャプテンではないかと彼は言う。

          僕の中に強烈にやりたいことや意志はない。

          地元の駅ビルに元々AKOMEYAが入っていたのだが、今度その目の前に中川正七商店ができるらしい。どうなっていくのだろう

          地元の駅ビルに元々AKOMEYAが入っていたのだが、今度その目の前に中川正七商店ができるらしい。どうなっていくのだろう

          生きがいと死にがいと朝井リョウ

          ぼくは生きがいを求めていた。 でもそれは死にがいを求めているということだった。 初めて死ぬということを意識したのは、5歳くらいでひいおじいちゃんが無くなった時だった。なぜか泣いた。思い出もどれくらいあっただろう。多分みんなが泣くから泣いた。そして死を始めて間近で見た。 その次に強く感じたのは多分、東日本大震災。一万数千人という人が無くなって、それでも大きく変わらない自分の日常に気が付く。 それまでの間にもちろんありを踏んじゃったり、買っていたカブトムシが死んじゃったり

          生きがいと死にがいと朝井リョウ

          もし、お金を使うならば…

          もし、お金を使うならば、誰かと一緒の時間に使おう もし、お金を使うならば、時には一人の時間に使おう もし、お金を使うならば、その対価を分け合おう もし、お金を使うならば、何かの種を買ってこよう もし、お金を使うならば、見たことのない世界を見に行こう もし、お金を使うならば、明日が豊かになるように使おう もし、お金を使うならば、それでも時には今の為に使おう もし、お金を使うならば、それで自分がどれだけ満足するか考えよう もし、お金を使うならば、お金を使わされてい

          もし、お金を使うならば…

          久々に親と話す。それもまっすぐに。

          LINE! 「おばあちゃんが危篤になった」 LINE! 「今日はこのあと病院へ行くことにするから、もしこれるなら連絡をくれ」 LINE! 「みてるか?」 LINE! 「とりあえず仕事が終ったら向かうから、いけるなら連絡くれ」 ーーーー 5月2日。世の中はゴールデンウィーク真っ盛りだ。彼女の家で旅行の計画を立てていた私のもとに、突然灰色の知らせが届いた。 後から振り返ればなんとなく今日は落ち着かない日だったような気もしてくる。おばあちゃんといっても私からすれば曾祖母で、ほと

          久々に親と話す。それもまっすぐに。

          面白いも、おもしろいも。

          やぁ、久しぶり。 なんか気がついたら某ラジオの方にもバレてるこの日記。何でバレたのかわからないが、気が向いたので書いてゆく。 前回のぬか漬けの記事から2ヶ月が経った。その間、富山に行ったり、家の壁についうっかり大穴を開けたり、大学を卒業したり、社会人になったりの激動の2ヶ月だった。 さて、前回までを振り返ったが記事が長いな。読む気がしなかなってくるので、これからは簡潔に行こうと思う。 さぁ、前回は”面白い”と”おもしろい”がぬか漬けの中では違うって話だった。あれから色々

          面白いも、おもしろいも。

          好いものはやっぱり好かった。

          先日富山県氷見市という、日本海に面した冬のブリが有名な街に行ってきた。それも1週間ほど。今回はその時に感じた”好いものはやっぱり好い”についてなぜそう思ったのか振り返る。 エピソード1 そもそも別に氷見市には縁もゆかりもなかった。ただインスタのストーリーに流れてきた、総務省のふるさとワーホリという国内型のワーホリで、記事を書きながら旅ができる仕事を探していて見つけた。それが氷見だった。 エピソード2 そして実は今回が2度目の氷見滞在である。前回はコロナ前の2020年2月に

          好いものはやっぱり好かった。