ひとつ進むために

やなぎくんの結婚式参列で訪れる場所に、一緒について行きました。
当日、スケジュールには「16:30」と書かれているのを確認して帰りを待ちました。
結果として、連絡がなく、夕ご飯をどうするかの共有ができずに放っておかれる形で寂しくはありましたが、私としては普段会えない級友たちとの時間を楽しんでくれたらそれで良いと思った出来事でした。

帰宅した次の日、やなぎくんはお休みをとりました。
私は友達から電話が来ることを伝えましたが、長い時間やなぎ君を放っておく状態にしました。
やなぎ君の元へ戻ると、放って置かれている間に起きた出来事を共有できずに残念に思ったこと、寂しく思ったことを告げられました。

この時、私にとっての正しさとは、
やなぎ君を放っておいたこと、自分の非をを認め、寂しさや共有できなかった事柄を受け止めた言動をすることでした。

実際に私が選んだものは真逆のものでした。
先日の自分を放っておいたことを引き合いにして、やなぎ君に対して罪悪感を植え付けられることを確信し、やなぎ君の訴えを不当なものだとしたのです。
自分の支配下に置くことを選択しました。

世間の正しい/間違いとは関係なく、私の思う間違っていることを、いとも簡単にやってのけました。

自分の言動が誠実でないこと、非を認めることをやなぎ君に伝えようと決めました。
自分の口から伝えた方が、よりよいと思い、帰りを待ちました。
私はその日、忘れて伝えませんでした。
また次の日にも、同じように帰ってきてから、直接伝えようと思ったけれどやめました。
重要なのは内容だったからです。
メッセージで送ることは簡単に済ませる、そうイメージしていました。でも、日が経つこともよくないと思いました。
メッセージで全てを伝えました。
同じ内容ではあるものの、帰ってきてからもきちんと詳細に伝えられました。

謝罪をして、許してもらうことが欲しかったのではありません。
私がしたかったのは、自分の気持ちとやなぎ君の気持ちは別のものであり、似たような出来事があったとしても、自分の気持ちを押し付け相手の気持ちをかえりみない言動は誠実ではないと自分自身に認めるキッカケを持つことでした。

怖いと思いました。
今回の「支配下に置くという選択肢」をそのままうやむやにして「まぁいいか」で済ませてしまったら…
自分がつらいと感じ、苦しいと感じてきたものを、相手にも強いることが普通になってしまったら…
やなぎ君に誠実でありたい
いつかの自分の子に誠実でありたい
自分の大事な人たちに誠実でありたい
そう目指すものを雑に扱えるようになってしまうことが、怖いと思いました。

全て正直に話すことがよいと思っている訳ではありません。
自分の支配的な言動に対して見て見ぬふりをしたまま進んで選択していくとしたなら、自分の嫌な物事を相手にも強いる未来を断ち切ることはできないと思いました。

自分の非を認めることは、想像するよりはるかに大変です。
でも、忘れたくないことです。
自分への証拠として記録しようと思います。

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