やなぎのとなり

2009年頃うつ病と診断され、継続中。 新たに解離性障害と診断。 入院歴有(2021年…

やなぎのとなり

2009年頃うつ病と診断され、継続中。 新たに解離性障害と診断。 入院歴有(2021年) 地元を離れ新しい土地で生活していく中で始めた記録(日記?)を投稿します。うつ病の人がどんな事を考えるか、たった一つの答えでも発信できたら…と思います。 私の隣には必ずやなぎを。 #うつ病

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うつ病患者の方々、支えてくださる方々へ

まず第一に、私はうつ病患者です。 ですから、うつ病側から見ているものにしか思えないかもしれません。 でもこれは、私の本音です。 読んでいただけたら、幸いです。 うつ病患者を支えてくださる方々、いつも本当に凄いなと思います。心からありがとうございます、そう思っています。 今まで出来ていた生活、体制、崩れて大変だと思います。それこそ、自由にしていいよ、今までがんばっていたものね、と労ったら、本当に自由奔放に動かれてしまう。 相手を思って、できる時に返事してね、なんて言ったら本

    • 子どものまま生きた私

      たどり着いたのは、最近の出来事や岸見先生のお言葉、友人、やなぎくんとの会話だったと思います。 紐づいたものは最近の出来事だけではないけれど。 私は、自分を認めることができずにいました。 実際すべてを認められたわけではないと思います。 でも今までの中で大きな気付きだったと思います。 最近の夢の中でずっと、私は誰かのために行動して、誰かのために言葉をかけていました。 夢ですから、実際にはあり得ない「能力」があったりしました。例えば、メタルグレイモンに変身できる、とか。 毎日

      • ひとつ進むために

        やなぎくんの結婚式参列で訪れる場所に、一緒について行きました。 当日、スケジュールには「16:30」と書かれているのを確認して帰りを待ちました。 結果として、連絡がなく、夕ご飯をどうするかの共有ができずに放っておかれる形で寂しくはありましたが、私としては普段会えない級友たちとの時間を楽しんでくれたらそれで良いと思った出来事でした。 帰宅した次の日、やなぎくんはお休みをとりました。 私は友達から電話が来ることを伝えましたが、長い時間やなぎ君を放っておく状態にしました。 やなぎ

        • 傍観者

          私はSNSが好きです。 というより、ネットを使うことや、今まで繋がることができると思わなかった方々と繋がることのできるシステムが好きです。 しかし、それも今となっては、今までの「好き」とは異なる形になりました。 今までは、こんなシステムが!と思えば手を出してきました。そしてネットで繋がった方々との楽しさを満喫していました。 些細なキッカケでした。 「となりがまたネガティブ発言してるぞ」と陰口した、という話を人伝に聞きました。 自分のフォローしている方がアカウントを作り直し

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        • 医療保護入院
          50本

        記事

          好きという感情

          私は昔から一度好きになった相手 (友人でも恋愛対象になった人でも…) なかなか嫌いになることができません。 虐められてきても、パワハラを受けようとも、いびられようとも、嫌な思いがあっても、蓄積していても、 「もしかしたら…」を捨て切ることができません。 だからなのか、なにか誰かとの付き合いの中で拗れが生じた場合、「仲直りする」ことを選びます。 どちらが悪いとかではなく、「自分はここが悪かった、ごめんね。だからあなたと仲直りして、今までみたいに仲良くしたい。」 と伝えてきま

          言葉にできない

          タイトルのまさに文字通り「言葉にできない」自分の感想があります。 数学教師のもげき先生のセリフに というものがあります。 私自身「言葉にできない」というのをできるだけ無いようにしたい、そう思っています。 ⠀ ただ、今まさにこの本を読んで、文字通りの言葉にできない感想がありモヤモヤとしています。 ただがむしゃらに文字を打ってもあまり意味のない事とも思います。 が、今ひとつ、自分の分かる言葉で表すものがあるとするならば、 「もげき先生はきっと精神的に大人である。」 という

          抱負のような

          「 #かなえたい夢 」 ⠀ というハッシュタグを見つけて、箇条書きでも良いから抱負みたいなものを書いてみようと思いました。 ◉ 立ち止まってもいいから、少しずつ「今」を見られるように。 ◉仮置きがいっぱいになっても良いから、自分が考えたいことを少しずつ。 ◉一週間のうちで、もっと学びを得られるように。一つずつ一つずつ。 まず一番意識するのは、この3つです。 次は、やりたいなと思っている事などです。 ⠀ ◉できるだけ沢山の本、よりも、一つの本への解釈を深めながら読みたい。

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          振り返りとは…

          楽しみにしている投稿が本日もありました。 ありがたいです。お忙しい方、考える方が、日記をつけてくださっています。 私は岸見一郎先生の書籍や日記を読んで嬉しく思います。 私にとって、大きな転機は一昨年の入院です。 今までなら悩むだけ悩んで、解決策まで歩みを進められずに苦しみました。 「こうしたい」が「叶わないこと」であると思って。 でも今の場所に引っ越し、やなぎくんと一緒になり、入院したことにより、「何を見ようか」という意識が加わりました。 加わった、というよりは、そう思える

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          傾聴とは

          傾聴のことを話ている方がいて、自分は傾聴できてないむず〜ってなってらっしゃるんだけど、その方が言ってる事って傾聴じゃない気がしてて…「同感」だと思うのです 聴くふり、うんうんてただ聴くだけ、一緒に怒って一緒に悲しんでって言うのは、同感だと思うのです それで傾聴って共感のことを言うと思います 共感て何かって話だけど 私も解釈が合っているか分かりません でも 同感というのは、相手と同じ感情や考えに対して同じリアクションをするとかだと思うんです 「何それ?!むかつく〜!!!

          無能からの思考

          まだうつ病は治っていません。秋口から体調を崩してからというもの、寒くなるにつれてどんどん悪化傾向にあるようにも思います。 謎の吐き気や気持ち悪さに加えて目眩を伴いながら重い頭痛もやってきたりします。 症状の中で、体に細く小さな虫が這うような、ざわざわした感覚があり、最近ではその症状がよく見られるようになりました。 が、断薬したかった薬は一旦断薬してみようという結果になって少し安心すると共に、断薬する事で起こるような弊害がないように祈っています。 今日は、断薬や自分の症状の話

          無能からの思考

          短気は〇〇

          私はよく「優しいね」と言ってもらえることがあります。 個人的にはこの「優しい」が使われる場面というのは、褒めなければならない中で「敢えて出すならば」といったような時が多く感じられます。 もちろん純粋に「優しい」と思ってくれている方々はいます。 今話したのは褒めてもらえる部分の一つを挙げましたが、仲の良い人に「私は短気だよね?」と聞くと往々にして「そうだね」と返ってきます。 「優しくて短気」「短気で優しい」 どちらの言葉にしても矛盾しているように感じます。 そこで私は「

          あなたの求めた答え

          「あなたの求めた答え」 って、言葉にしたり、聞いたりしたことありませんか? 私は生きてきた中で何度聞いてきたか分からない言葉です。 シチュエーションは様々ですが、個人的にはあまり「よい」言葉として認識ができません。 親から 「お前の求めている答えにならないからと言って文句を言うな」 「お前の求めている答えばかりが正解ではない」 …etc 友人から 「あなたの求めた答えになってる?」 全部、私には納得のいかない何かがあります。 例えば 愚痴を聞いて欲しくてダラダラと友

          あなたの求めた答え

          昨日コメントに返信をいただいて舞い上がっていたところ、やなぎ君から「認知されたと思い込んだファン」と言われたので、自身にも向けて訂正をしようと思います。【事実は返信をいただいた】だけ。【認知された訳ではない】分かってます大丈夫です。知ってます。ただ舞い上がるのは許してください。

          昨日コメントに返信をいただいて舞い上がっていたところ、やなぎ君から「認知されたと思い込んだファン」と言われたので、自身にも向けて訂正をしようと思います。【事実は返信をいただいた】だけ。【認知された訳ではない】分かってます大丈夫です。知ってます。ただ舞い上がるのは許してください。

          書こうと思う事が愚痴となって出てゆく。近々にあった事なのだ。悔しく悲しい思いもした。だから仕方がない。そうとも思う。なぜパートナーと差別され、見下されなければならないのだろうか。あなたは私を頼るではないか。距離が近過ぎるからお付合いはあるが、お前は私の駒に過ぎないとでもお思いか?

          書こうと思う事が愚痴となって出てゆく。近々にあった事なのだ。悔しく悲しい思いもした。だから仕方がない。そうとも思う。なぜパートナーと差別され、見下されなければならないのだろうか。あなたは私を頼るではないか。距離が近過ぎるからお付合いはあるが、お前は私の駒に過ぎないとでもお思いか?

          意を決して

          生きる覚悟というものは、なかなかに難しいと感じます。 その中で、私が決めた事。 “ やなぎ君について離れず 絶対に自ら離れる事はせず どれだけかかっても やなぎ君に追いつく事 ” やなぎ君は、私にとって聖人君子であり、聡明な方。 私のお相手にはとても勿体無いと感じます。 しかし、私はやなぎくんを離したくない。 失いたくない。 私にチャンスを与えてくれた方。 私をよく知り、理解し、受容してくれる。 分からなければ話し合う。 分からなければ聴いてくれる。 そんな方を、私