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こうして繋がっていきました(1)

見えないけどいる感じ

最近『上の人(ハイヤーセルフやスピリットガイド)』から届くガイダンスが、さまざまなバリエーションの合わせ技になってきた。

「これ、どうしたものかなあ」と思うと、結構すぐにガイダンスが届くため、悩んだり考え込む時間が消えつつある。

日々『上の人』に話しかけ、あれこれ尋ねながら生活しているのだけど、常に『上の人』が目が届く場所にいる感じで、一人でいても全然aloneじゃない。

そんなわけで、私にとっていま最も大事なことは、毎日なる早でこの「つながってる(と思われる)状態」に自分を整えることだ。

この「つながり」がもっともっと深く強くなったら、いったいどうなるのだろう?日々の生活と人生は、どう変わるんだろう?あーワクワクする。

ハイヤーセルフをはじめとする高次の存在はユーモアがあるようで、つながると楽しいし、返ってくるメッセージもクスッと笑わせられるものが多いのだ。

話は変わるが、ここで一旦、私が『上の人(高次の存在)』を意識するようになり、つながっていった過程をまとめてみようと思う。
今、つながりつつある人、これからつながりを取り戻したいと思っている人の参考になればうれしい。長くなるかもしれないけど、何回かに分けるので、時間がある時に読んでください。

私はもともと、メッセージを直感で受け取るタイプの人間で、子供の頃から自分の感覚を頼りにしてきた。

しかし、思いきり他人軸だった10代半ば~20代前半には直感力が薄れ、楽しさと苦しさが入り混じる「ラビリンスな日々」を過ごした。履歴書に書く項目項目だけなら何の問題もない順風満帆さだったけど、マインド的には闇も深く、友達や仲間が大勢いるのに所在なかったなー。「誰からも好かれて羨ましい」とか、よく言われていたのに。

夢経由で届くメッセージ

その後、会社を辞めてフリーで働き始めた20代後半から、じわじわと受信力が復活。まずは夢経由でメッセージが届くようになった。

「インフルエンザに罹ったよ。しばらくお粥と水しか摂れなくなるぞ」というメッセージは「救急車両から電話がかかってくる」という夢。「その人とつきあうとめっちゃ大変なことになるよ」という警告は、追われている男児をかくまったために機動隊に攻め込まれるという夢で来た――そして警告を無視した結果、機動隊は出てこないものの、確かに面倒な事態になった。つきあう相手は選ばなくちゃいけません!

私の場合、こうしたメッセージとしての夢は、目が覚める直前に見る。そして、目覚めた時にはっきり「メッセージだった」と分かるのだ。夢のストーリーは抽象化されているから、後から起こる「現実」とは一致しないけど、自分では「あーこれだ。今、夢で言われたことが起きている」と分かるから問題ない。

正直、この「夢でお知らせシステム」は本当にありがたい。今まで何回、助けられたか分からないし、今もめっちゃ頼りにしている。

夢で私に指示したのは誰⁉

さて、次に来たのは「言葉でのメッセージ」で、当時の私は30歳くらいだったと思う。

その朝、私はベッドの中で夢を見ていた。すると、演劇の公演中に緊急事態を知らせる館内放送が流れだしたような体で、男性の声が聞こえた。
「あなたの能力を自分のためではなく、人のために使いなさい」。

その声は大音量なのに、穏やかで明瞭で……なんていうか、魂に染み入るヒーリングボイスだった。まるで教会の屋根の上についている鐘の音みたいな響き。うっとり……。

なのに夢の中の私は、即座に「やってますけど?」と言い返し、そこでパチッと目が覚めた。

「え?やってますけど、何かご不満ですか?」。
上半身を起こしながらつぶやき、同時に「誰に答えてんの?」と思ったことを今も覚えている。

これは疑う余地なくメッセージだった。
うーん、まあ、メッセージというか……催促?

具体的なことが何も分からないにもかかわらず、相手の伝えたいことが ”分かった” し、その声の主が私の魂に直接語り掛けることができる存在だということも、疑う余地がなかった。

しかし、ちょっと心外だったんですよねー。
なぜなら当時、私はいろんな著名人のインタビュー記事など書いていて、彼らの光る言葉を通して「幸せの形は人の数だけあるから、もっとみんな自由でいいし、どんどんHappyに生きていいんだよ」と、読者の皆さんの背中を押してるつもりでいた。
だから、私に役目があるなら、もうやってるわよ、とムッとしたのだ。

今、考えると、それこそ驕りなんだけどね。

のちに、この声の主は「大天使ミカエル」だと判明した。
チャネラーの友人にこの出来事を話したところ、彼女がチャネッてくれて「それは大天使ミカエル」と言ったのだ。

ふーん、そうなんだ……。
どうして大天使ミカエルが私のところに?
ていうか、大天使ミカエルって誰?何をしてる人?

当時の私の『高次の存在』に関する知識はその程度で、さらに――大変失礼なことに――友人に聞いておきながら、彼女のチャネリング結果を100%信じたわけでもなかった。だって、目に見える証拠が何もないんだもの。

実は今も「大天使ミカエルだったかもしれないし、私のハイヤーセルフだったかもしれない。でも男性の声だったから、やっぱり大天使ミカエルさんかな?」ぐらいに思っているのだが、大事なことは「その人が何者だったか」ではなく、そのメッセージが私の魂に深く響き、神社の御神木のようにまっすぐ天を目指す、揺るぎない指標として残ったことだと思う。

変わりゆく仕事内容と「感じる力」

この「大天使ミカエルに諭された」出来事の後から、各地の神社や聖地を巡るお仕事がばんばん増えてゆき、一時期は神社ライターになっちゃいそうな勢いだった。しかし、並行して風水の先生や東洋医学の先生と何年間も継続的にお仕事させていただいたり、スピリチュアル界の人々を訪ね歩く連載を書いたりもしていて、気づけば「気(エネルギー)」とか「目に見えない世界」に、膝下ぐらいまでどっぷり浸かる日々。

そして、この頃からインタビュー中、相手に集中していると、曖昧な回答や困った表情の後ろにある「実際のところ」が感じられるようになった。芸能界の人はさまざまな事情により、言えないことが多い。しかし、世間様に知らせる必要がないことまで聞かれるのが常なので、取材に苦慮する人が多いし、なかには演技する人もいる。

私の仕事は相手の「本音」や「成長」や「本人も気づいてない面白いところ」を引き出して伝えることだったから、この感じる力は、すごく役に立った。相手が言いたくない部分は言わせないで、自分の直感が正しいかどうかだけ確認するやり方は、インタビュー相手と私の心理的負担が軽くする。おかげで相手がデリケートな状況にある場合でも、取材は楽しくなった。

「引き寄せ」って簡単♪

思い出しても、本当にこの頃、楽しかったな~。
望んだことはだいたい叶った。「この人に会いたいな」「ここを紹介したい」「こんな連載やりたい」と思えばその仕事が来るし、「〇〇が欲しい」と思えば手に入るし、いい友人知人に囲まれているし、「出張中、猫を預かって欲しい(良い環境で)」と思えば、快適な一軒家にお住まいの犬猫友達が手をあげてくれるし、ほんっと恵まれていたのだ。

なにかこう、ネガティブな出来事をよせつけないオーラに包まれている感覚があって「私は魔法を使うコツをつかんだな」と、思うことさえあった。

当時は「つながる」とかなんとかは全く考えていなかったが「自分の軸が真っすぐになってる、ズレてる」という感覚はあり、日ごろから気をつけてもいたから、大きくブレることはなかったように思う。

ところが、あることをきっかけに状況は一変する。
突然、パンドラの箱が開いたのだ。

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