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【003-言葉】放たれた言葉は人のモノ。

こんばんは。やのっちです。

ここ数年、私は「言葉」というものをよく考えるようになりました。
意味もそうですが、その意図、内容などよく考えるようになりました。
そのきっかけが、コピー(キャッチコピー)です。
いつの間にか、1つの趣味になり公募やコンテストに出すようになり、
少しずつで結果も伴ったりするようになりました。

国語嫌い、読書なんて皆無な学生時代。

今でさえそうですが、学生時代なんてほぼ言葉とかには興味なく、国語の点数は悪かったですし、読書なんてほぼしたことありません。

そんな私ですが、どうしてか「言葉」を創ることは好きでした。
中学校の時、学年で応募した創作詩では2年連続優秀賞を取ったり、自分で物語を書いたりするのが好きだったりと、学ぶ勉強というよりも、創造や創るという側面からの「言葉」っていうが好きでした。

きっとそれが大人になり、少しの知恵と経験値が合わさり、より創作意欲が高まってきているのだと思います。

「言葉」って、楽しいと思うようになりました。

放たれた言葉は、もう人のモノ。

しかしながら、言葉って難しく、その表現1つで人を不快にさせたり、追い込んだり、傷つけたりもしちゃいます。子ども達のSNSではそういうトラブルが多く、イジメにも発展する社会問題にもなっています。

使い方1つ、表現1つ…それだけで言葉は変わってしまいます。

「自分はこういうつもりではなかった…。」
自分が意図する言葉が、相手にとっては違う意図で受け取ってしまい、ケンカや言い合いになることもあります。それは私だって、若い頃の彼女や友だち、職場の人たちとそういう捉え方の違いで悩んだこともあります。

しかし数年前、仕事の講座でお呼びしたファシリテーションの先生がこういう似たケースのお話をして、こう言いました。

「口から出た言葉や送った文章とかは、もう放たれた時点であなたのモノではなくなり、受け取る人のモノになるんです。」

そっか…そうだったのか。
いつまでも自分が言った言葉や送った文書が自分のモノと思うから、それを勘違いされたり悪いように捉えられたりしてたから、嫌な気分になっていたけど、既に自分のモノでなく、その人のモノだとすると、その人がどう感じ、どう捉えられても問題はなく、それが当たり前なことだと気づきました。

だからって、自分の言葉に責任はないとは思わず、
より一層、口に出す前に、送る前に、よくよく相手の事やその言葉の事を考え、相手にとっても、私の想いがちゃんとそのまま届くようにしようと思うようになりました。

「言葉」って難しいですね。

だから考えるのが楽しくなり、より多くの人に想いが届くような「言葉」を創っていきたいと思っています。

2021.6.22

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