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自分の人生に責任を持つということ


自分を受け入れることは責任を持つということ

前回までの記事を読んでくださった方はお分かりかと思いますが、一言でいうと私はずっと「自分を受け入れましょう」って話をずっとしてきました。

それを砕けた言い方で「自分贔屓」と表しているのですが、今回はちょっと厳しい話をします。もしかしたら、上から目線で腹立つわーって方もいらっしゃるかも…ごめんね?
私自身もこれを身をもって体験してきたんです。だから、本当にこれは知っていて欲しいのね。これを抜きに自分贔屓は成り立たないのですわ。
じゃあ、いきますよーっ!


ずばり、自分を受け入れるってことはね、自分の人生に責任を持つってこととイコールなんです。

ここで言う責任というのは自分で稼いで貯金だってできてますよ。とか、家族養ってますよとかそう言う生活面・社会的な面での責任とはちょっと違います。
自分の内側に、生き方に責任を持つ、腹くくるってことです。

人から評価されたことで自分を判断して、位置付けして、他人の言葉を主軸に生きるのは楽ですよね。だって考えなくていいもん。わかるわかる。頷きすぎて首もげそう(笑)

それに、あの人がそう言ってたもんって責任もなすりつけられるんですよ。だって、私が言ったんじゃないもんって。

一方、自分を受け入れて、大丈夫、良いところも受け入れ難いところもオールOKだよってした後、何か行動したとします。その行動って自分で決断したことだと思うんですよ。

他者が介入していない決断には当然、自分自身で責任を負う必要があります。人のせいにできないんです。

さ、私はもう大丈夫、自分を受け入れてる!と思って、何か行動を起こした。でもそれによってトラブルが起こった。このトラブルは誰のせい?そうだ、あの時理解を示さなかった誰々のせいだ!

こう思ってしまっていたら、それは自分どころか他人も受け入れられていない、ただの責任転嫁。出直してらっしゃい!ってことになっちゃうんです。

失敗した自分が悪いんだと自分を責めなさいってこととも違います。
失敗したらなぜ失敗したんだ?どこをどうしたらよかった?と現実的な側面と自分の内側に焦点を当てるべきなんです。

スポットを当てるのは外側の世界ではない。あくまで自分。それが私が思う自分の人生に責任を持つってことです。

ブッダ曰く…

ブッダの言葉にこんなものがあります。

「人は自分が思った通りの人間にしかならない」

ディテールはちょっと拾えてないかもだけど、こんな感じだったはず。
自分贔屓の練習を始めた時に読んだ本に書いてあって衝撃を受けました。
だって、お釈迦さまが言ってんのよ?(笑)

じゃあ、この言葉と自分の人生に責任を持つって何の関係があるのって話です。

人は思った通りの人間になる、つまり私は私を受け入れて「大丈夫」と思った。つまり私はどこまで行っても「大丈夫な人間」になったんです。

大丈夫な人間が起こした行動は、大丈夫な結果をもたらすと思いますよね。
て、ことは何かトラブルが起こっても「大丈夫」なんです。大丈夫、私はこのトラブルすらも回収できるって自信と、行動への責任を持っているってことなんです。

屁理屈って思いましたね?思ったでしょ?(笑)
でも、結果的にはそうならないとおかしい。だって、大丈夫になった私が「やっぱり○○のせいだー!」って憤る方がなんでだーっ!って言い返したいくらい。

屁理屈と潜在意識系の話を持ち出してきたなと思った方もいますね?
なんと思ってもいいんです。だって、経験したらわかるから。
私は自分自身に向き合って、行動しました。この行動は完全に自分の責任だ。いいことも悪いことも丸っと全部回収してやる!
こんな勢いで私は生きています。

こういうことを誰でも見られるnoteに、恥ずかしげもなく書いてる時点で責任負ってると思いませんか!?(笑)

責任を持たないことで得られるメリットとデメリット

私たちには選択の自由があります。パンを食べるのかご飯にするのか、黒い服を着るのか赤い服を着るのか、何に関しても自由に選べます。

誰かの意見に任せて、それを受け入れて生きるのか、それとも自分に主軸を置いて生きるのか。それは個々人の自由。誰が何と言おうと、私は誰かに指示してもらいたいの!もう決めるとか嫌なの!って人はそれがその人の正解なんだからOK。

自分の人生に責任持たないことで得られるメリットは、人に指示してもらえるから考えなくていい。迷わなくていい。人のせいにできる。怠惰でもOK、だって他の人が何とかしてくれるもん。

逆にデメリットは?自分の「こうしたい」が消される。あの人がこう言ってることが正しくて自分の選択はNGという感覚になる。自分の意思がないから、意見を求められても何も言えなくなる。自分で自分がわからなくなる。


これ、ぜーんぶ私の数十年間にわたる実体験。ほんと、まさにこんな感じです。決められないから、人に任せる。他人の評価が正解。ほら、うまくいかなかったじゃんって言える。
でも、その代償が大きかった。自分がわからない。何が好きで嫌いなのかすらわからない。髪を切るか切らないかも友達や親に意見を求めるほどだった。

全ては自分への自信のなさ、否定的な観念が始まり。それが根を張って、木になって、結構な月日を重ねて、決められないから人に任せて、人のせいにする。結果、自分を取り戻すのに何年もかかる。

これ、しんどかったよ。

責任を持つ=自由になる

何度も言っているので、耳タコとは思いますが、私がここで言う責任とは「自分贔屓」をしたことで受け入れて、負うべき責任を指します。

何があっても自分は大丈夫。だから、何が起こっても私は丸っと受け入れるよっていう責任です。

責任という言葉は重く聞こえますが、本当に自分を受け入れられていれば、至極当たり前のこととして受け取れます。だから、怖がらなくて大丈夫!

他人の意見や価値観という枠を取っ払って、自分を確立すると全てが私になる。そうすると考え方や行動の枠が広がっていって、自由の幅も広がる。その分、責任も増すけれど、その頃にはその責任を取れるくらいの力を取り戻しているはず。だから、大丈夫。

私もまだまだ他人を気にして、外側の動きを伺うことがあります。まだまだですね。でも、それでも大丈夫、それも踏むべきステップさと受け入れています。


上から目線でごめんなさい。でも、知らなかったじゃ済まないことなので、これだけは長々と偉そうに書きました。嫌いにならないで(笑)

この責任は重い。だって世界一愛しい自分を最高に幸せにするための責任だもん。だからこそ、この責任は死ぬまで負っていきたいと私は思っています。


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