見出し画像

修羅の巷 考察 #神サイ

この考察を読むと分かること
・曲名がなぜ「修羅の巷」なのか?
・なぜジャケットが夜桜なのか?
・マニュアル通りの手つき手順でいい〜
の表すものは?
・曲中における柳田周作の感情の移り変わりはなにか?
・ラスサビに唯一ある
「狂ったように咲く火花」の意味とは?
・この曲のメインメッセージはなにか?

歌詞

生まれながらにしてずっと
比べられてきた半生記を
喉の奥掻き毟って
なかったことにしてくれ

→人と比べて自信がなくなり、劣等感が消えなかった今までの人生を終わらせて、なかったことにしたい。

枷のないアウトサイダー
ギリギリでも生きていたいな

→制限がない無法地帯であるこの世界で、
ギリギリでも、生きていたいな。

一か八か丁か半か
神のみぞ知る運命

→丁半
ツボ皿で振られた二つのサイコロの出目の和が、丁(偶数)か、半(奇数)かを予想する賭博
→神のみぞ知る運命
→サイコロの目で決まる偶然ではなく、神が決めた運命がある

→神はサイコロを振らない(偶然より運命)

栄光なんてくだらない理想に
縋ってたい
→くだらない理想である栄光に縋りついていきたい。

無様にいこうぜ
愚か者と嘲笑われたって
堕落のlonely knight
Falling down
背負う罰とpast

→後ほど詳しく書きます。

堕落のlonely knight
=堕落した孤独の騎士

華やかなレッドカーペット
地に足つけ掴んだ栄光
夜桜掘り起こす過去
埋まったままの諸行無常

→地に足つけて頑張り続けて栄光を掴んだ。
夜桜を見た時に過去を思い出した。
過去=比べられてきた半世紀
→自信をなくし劣等感に苛まれる過去を思い出した。

「埋まったままの諸行無常」
→埋まったまま?
夜桜の下に埋まっているものはなんだ?
→散った桜の葉っぱたち

→それを見て諸行無常を思い知らされた
諸行無常=どんな物事、命にも必ず終わりがくること。

要約すると
→散った夜桜を見て自分を重ねた。
栄光を掴み華やかなレッドカーペットを歩いたけど、自分にも、必ずいつか終わりが来て、儚く散り、地面に埋まってしまう=死んでしまう

(綺麗な桜の木の下には、死体が埋まっているという表現をした短編小説もある。その本では散った葉っぱを人の人生が終わった、人の死体が埋まってると例えている。)

ブラックアウト暗い視界に
フラッシュバックする後遺症に
グラグラグラ目眩を邁進
風見鶏は南に

→突然視界が真っ暗になり、過去のトラウマがフラッシュバックしてきた。
グラグラグラと目眩がひどくなっていった。

風見鶏の向きが変わる
=態度がコロコロ変わる人の例え

「風見鶏は南に」
→北から南に逆になる
→態度、考えが真逆になる
→今までは栄光を目指してたけど、フラッシュバックによって、ポジティブから真逆のネガティブな考えに変わっていく。(堕落)

Why me?
痛むたびhighになってdive
気分はどう?

→なんで俺なんだ?(神に対して)
頭が痛むたびにハイになっていき、
もっとのめり込んでいく。堕ちていく。
気分はどう? (神に対して)

無機質な抱擁で
マニュアル通りの手つき手順でいい
満たしてくれbaby
Falling love
残るkissの味

→感情がない無機質なものでもいいから、人の感触が欲しい。
お店で仕込まれたマニュアル通りの手順でいいから、僕を満たして欲しい。
愛に堕ちていく。キスの味が残る。

自由も正解も
安らぎもない修羅の巷で
→自由もなく、正解もなく、心の安らぎがない、修羅の巷で

無様にいこうぜ
愚か者と嘲笑われたって
堕落のlonely knight
Falling down
背負う罰とpast
狂ったように咲く火花

→無様にいこうぜ
周りに愚かだなと笑われたって
「孤独の騎士」となって、
堕ちていったとしても

「背負う罰とpast」

「罰とpast」
言い回しが似てると思ったドストエフスキー著の
「罪と罰」を引用して考えてみる。

そもそも
「罪」と「罰」の関係性は
「罪」
罪悪感があるから「罰」を受け苦しむというもの。

柳田周作にとっての「罪」
罪悪感は、比べられてきた半生紀

→人と比べて自分が劣ってると劣等感に苛まれ、
こんな自分は生きてて申し訳ないと思ってしまうこと。(過去のSNSの発言から推察)

「罰を受ける」
→フラッシュバック、目眩に襲われること

以上より
「罰とpast」
=フラッシュバックと劣等感まみれの半生紀

「背負う罰とpast」
→劣等感まみれの人生を思い出し、過去のトラウマがフラッシュバックしてしまう後遺症を背負っていること。

一番最後の歌詞

「狂ったように咲く火花」

ラスサビにだけ唯一登場してくるフレーズ

僕はこう解釈した。

綺麗にライトアップされてる夜桜。
その下に埋まっている散った葉っぱたちを見た時、一瞬、視界が暗くなって過去をフラッシュバックした。

そして、目眩で視界がバチバチバチする。
その状態で夜桜をもう一度見てみたら、

ライトアップされた綺麗な夜桜が
「狂ったように咲く火花」に見えた。

それがジャケットの写真

→綺麗なはずの夜桜がまるで「修羅の巷」(争いの絶えない場所)と化していると思った。

・曲名が「狂気の夜桜」とかではなく、「修羅の巷」である理由

→「修羅の巷」と化してるのは「夜桜」だけではない。
ラスサビ前の

「自由も正解も
安らぎもない修羅の巷で」

→この世界もそうだ。
→柳田周作が今いる音楽業界も「夜桜」のように華やかであり、人気になると「栄光」を掴めるが、それはいつか必ず終わる、堕ちる時がくる。(諸行無常)

だから、不安になるとどんどん堕ちてしまう。劣等感に苛まれ、トラウマがフラッシュバックして後遺症に悩まされる。

それでも、

無様でもいいから、

堕ちまくって、

どんなに弱ってしまってもいいから、

「夜桜」が「狂った火花」に見えてしまってもいいから、

その十字架を背負って、(背負った罰とpast)

開き直って、

この狂ったくそみたいな世界で、

修羅の巷で、

闘え。

それがメインメッセージだと解釈しました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?