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勝ち筋が無い部署にアサインされた話

(昔の営業職時代を振り返っているだけの駄文です)

 森岡毅さんの書籍「苦しかったときの話をしようか」の中で、絶対失敗すると感じたプロジェクトのリーダーにアサインされた章がありました。こちらを拝読していて、私自身も23年の営業職の中で「勝ち筋が見えない部署にアサインされて10か月で解散となった悔しい出来事」を思い出しました。


その機会は、会社(卸売業)に新卒入社から10年目にやってきました。その1年前の入社9年目で東京支店長になったところまでは良かったのですが、支店長初年度の9月に会社がとある非上場の食品メーカーに買収されました。それまでは東証一部上場企業でありながらも、創業家が約5割程度を保有するという状態でしたが、創業家が持株の全部をこの非上場の食品メーカーに譲渡してしまったのです。今から15年くらい前でしたからメーカーが卸を買うというスタイルも珍しく、社員の動揺も大きかったことを記憶しています。新たに親会社となった非上場食品メーカーの経営陣は一部の要職を外部招聘。新しい営業本部長が着任。また、従来はフランチャイズ(FC)展開をして商品を卸売していたのですが、FC展開以外の販路で卸売販売する事を目的として戦略子会社も設立されたりと、目まぐるしく変化をしていきました。


私は、そんな変化の中でも変わらずに東京支店の支店長をしていたのですが、突然営業本部長が「法人開発課」をつくりたいと。その課長をせよという辞令を受けました。話を聞くと「FC展開以外の販路で自社商材を卸売りしてBtoBビジネスをしていきたいと思っている。マーケットとしては東京が一番広いから東京支店長をしているあなたにやってほしい。」というものでした。FC展開以外での事業は戦略子会社をわざわざつくって稼働させていたところでした。戦略子会社は社名も変えていました。これはFC加盟企業様から要らぬ摩擦を避ける為です。そこまでしているのに、わざわざFC展開している社名を使ったままで、BtoBをする意味が分からずに何度も営業本部長に確認しましたが的を得ない回答と買収した側の何とも言えない圧力で押し切られました。じゃあメンバーはどうするのか?社内の誰かを呼べるのかを営業本部長に聞くと、既に転職で獲得しているという。しかも2名と。どんな人材かと会ってみると一人は当社出戻りの50歳くらいの男性。。。。もう一人は私より2歳年上の男性。私は当時31歳でしたが、人材的にもやりにくいと思いました。何故なら二人とも同業他社からの転職で且つ同じ会社から当社に来ている。その二人同士知り合いという事です。出戻り50歳は、私が入社10年目である事から「もっと昔はこの会社は〇〇だった」とマウントを取りたがる。私自身はBtoB法人営業はやった事がなくFC展開の中での営業経験でしたから、知識・知見ではどうやっても彼らには勝てない。社内の内部統制フローもフランチャイズ販売を最適化して作られたものなので、BtoBビジネスには最適化しておらず社内システムの変更からスタートする事になりました。

まとめると、
・法人営業の勝ち筋も見えず(戦略なき組織)
・メンバーも?な人材
・当社グループ内に戦略子会社という”敵”がいる
・社内の内部統制フローも融通が利かない
・社内でも「何故、法人開発課?必要?戦略子会社あるのに」と言われる

という、たまらない環境で仕事をする羽目になりました。本当に辞めたかったのですが、結婚して直後という時期であった事に加えて、外部招聘の営業本部長の鶴の一声や、転職組の人材の不運など、生え抜きで10年やってきて、こんな外部の事情で辞めるわけにはいかないという、今考えるとかなり屈折的な気持ちで耐えていました。こんなちっぽけな気持ちで良く耐えられたものだと今になって思います。

EC販路の案件を獲得出来た時も、「ECは戦略子会社の担当だから(案件を譲れ)」とこれまた親会社から来た社長に言われて譲る事をしなければならない。「とにかく頑張って売れ、新しい販路をつくれ」だけで何の前提条件もなく、提示してほしいと言うと「考えて頑張れ」だけ。

当時本気で「この会社は俺を消そうとしてわざと法人開発課をつくったんじゃないか?」とまで思うようになりました。1月に法人開発課が稼働して半年で”出戻り50”は高血圧だから云々で大阪支店に異動。(異動願いも私に言わずに営業本部長に話してそこで話が決定するという営業本部長にも違和感がありました)残った1人とやるも成果が出せず、ようやく生え抜きの別の事業部長が「さすがに法人開発課を何とかしないと」と営業本部長と会社に進言し、法人開発課という課は約10か月で無くなりました。法人開発課を解消すると言われた時、自分がどうなるかはさておいて、ほっとしたのを覚えています。


もし私が法人開発課から異動となり、別の社員が法人開発課に配属されていたのであれば、「法人開発課をつくった戦略」は間違いではなく、人選配置ミス=「私の能力不足」と言われかねないですが、法人開発課自体が無くなった事でギリギリ首の皮一枚つながったと思いました。その後、私はどこに異動したか? 私と部下はこの戦略子会社に異動となりました。つまり2人ともBtoB事業に適性が無いわけではないという評価です。もう一人の転職組はともかく、フランチャイズビジネスしかやっていない私は以前の営業職に戻されてもおかしくなかったのですが、法人営業を戦略子会社で引き続き職位も課長職で降格なく続ける事になりました。


営業本部長のヒラメキ案に付き合わされました。今から振り返るとたった10か月間でしたが、当時はこれからどうなるのか?と本気で悩んだものです。サラリーマンひとりを潰す事って簡単だなあと思います。もしいつか私が組織戦略や人事戦略を考えて表明する立場になったら、本当に考え抜いて肚を据えて行いたいと思います。それだけの責任が伴う事を自らの体験で身に沁みました。戦略子会社に異動後も、得意先があまりにも厳しい為に前任者が鬱になった案件を引き継ぐ等、なかなか厳しい状況が続きました。よく耐えれたものです。色んな事を懐かしく思い出しました。

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