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人手不足は効率化のチャンスだ~世界初のオートメーション化で日本を躍進させた伝説の男~

高度経済成長時代に経済界の一線で活躍した方々が経済界から引退してしまった今こそ、あの頃の様子を知る必要がある。当時も人手不足の時代だった。いや、人手どころか、金も物もない時代だった。アジア諸国は更に貧しく、彼らを連れてきて、安い労働者として使う事も、やろうと思えば出来たはずだ。しかし、当時の日本人は、そんな道を選ばなかった。現代では、人手不足だから移民が必要だと、モットモらしい御託を並べる政治家や経営者がいる。しかし、この失われた30年間に躍起になった事と言えば、安い人件費を求めて中国に進出しただけだった。
その道は日本を豊かにしたか?
答えはNOだ。
生産を信じられない程、効率化し、世界に打って出た男たちが、かつて日本にはいた。そんな男達の物語を語りたい。

戦後、経済復興の中で真っ先に生産の効率化を図ったのは製鉄業だった。1950年代、圧延や鋳造の工程を連続化することに成功し、鉄の大量生産を可能にした。『素材は国家なり』とは、長谷川慶太郎先生の言葉だったが、全ての製造業に鉄は不可欠であり、製鉄業の躍進無しに、自動車産業の躍進も、造船業の躍進もあり得なかった。そんな製鉄界の話から始めたい。

【かっこいい男達】
この「銑鋼一貫方式の大工場」を決意したのは、川崎重工から製鉄部門を独立させて誕生させた川崎千葉製鉄所の初代社長:西山彌太郎だった。この銑鋼一貫工場建設のためには、当時の金額で163億円が必要であり、西山は、その半分を政府に支援してもらうべく、当時の大蔵大臣:池田勇人に願い出たのだった。資本金がたった5億円の川崎千葉製鉄所には巨額すぎる額だった。163億円とは、現代では1600~2000億円に相当する。
 西山は池田隼人に、『製鉄こそ日本産業の将来を決する鍵であり、この工場は、その発展の夢を実現するための一大方策である。』と主張。
池田隼人は笑いながら『君の言う通りだ、しっかりやってくれたまえ」と即座に同意した。
金も物も多くの人命も失ったが、魂は捨ててなかった。
それはボロボロの日本に、一筋の光がさした瞬間だった。
しかし、邪魔する者が現れた。。

西山彌太郎:https://twitter.com/OTE_WALK/status/1418896518778523648/photo/2
池田隼人:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA#%E7%94%9F%E6%B6%AF

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