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誰も知らない木工ボール盤

持っている木工機械が壊れて、どうにも修理できない。

もう買い換えるしかないのかと、愚痴をSNSにあげたら、YouTubeを漁れば、対処法が出てくるんじゃないかとアドバイスをもらった。

えーっだけどマニアックな内容だぞ。
どうせ無理だろうと思いつつ、一応検索してみたら、何のことはない、いくつも動画がひっかかるではないか。

結果、全然見当外れのところをいじっていたことが判明し、これならなんとかなるやもしれぬと、明るい兆しが見えてきた。

まぁめでたしめでたしである。

しかしなんだな、本当に大概のことはネットに書いてある世の中になってしまった。

大学の時の一般教養のレポートで、当時住んでいた市の人口を調べなくてはならなくなり、ちょうど年末年始の休みで、図書館も市役所もしまっていて、そうなるとどこで調べればいいのか途方にくれたことを思い出した。

今なら検索一発 30秒もかからない。

そういえば、車のスマートキーの電池交換の方法も、子供の頃から気になっていたドラマの主題歌の歌詞も、みんなネットが教えてくれた。
閑話休題の正しい意味とか、ウラジオストクのスペルとか、画材のコンテと絵コンテのコンテの違いとかも、昔なら辞書なり文献なりを紐解かない限りは、そうそう得られない知識であったが、今はキーボードを叩く気力さえあれば、簡単にアクセスできる。

便利な世の中になったものだ。

だが一方、小学生の自分らが合唱コンクールで東日本大会まで進んだ時に、みんなで歌ったあの曲。
あの歌はタイトルで検索してもなんの情報も出てこないのである。

まるで最初からこの世にそんな歌は存在しなかったかのようだ。

また、コロナの時には、 ネットに大量の知見が溢れていた。
なのにワクチンがどうとか、マスクはどうしろとか、その程度のことにすら、正反対の意見がただただ垂れ流され、つまりはネットの知見の信頼性というものを毀損し続けた。

誰にでも簡単に手が届くが故に、結局素人の井戸端会議になってしまっていたのは、否めない事実だ。

見つからない情報と過剰で無意味な情報。
便利だが、不幸な世の中でもある。

閑話休題(こうやって使うのが正しいのだぞ)

手元の木工機械は、安さに釣られて購入した、台湾製のコピー製品だ。
型も古いし、そのメーカーがまだあるかどうかも怪しい。

なので替えの部品が手に入るのかどうかが、修理に成功するか否かの鍵なのだが、さてどうなるか。

もちろんネットで探してみようと思う。

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