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未知との遭遇

わたしが花粉症というものを知ったのは、40年くらい前、正確には1982年のことである。

当時わたしは、大宮の駅からずいぶん離れたところにあった美術予備校に通っていたのだが、そこでNという男と一緒になった。

彼は大宮からはやや遠くの、県下有数の進学校を卒業していて、そういう学校に時々いるタイプの、一般コースからドロップアウトした秀才であったが、ひょうきんで気のいい男で、皆とも仲良くやっていた。
まぁごく一般的な受験生である。

それがもう受験も目前のある日のこと、ボロボロになりながら、教室に入ってきたのだ。

真っ赤な目をして、鼻をすすり、涙を流していたから、誇張ではなく本当にボロボロであった。

何があったのか?
当然そこにいた皆がいぶかり、問いただしたわけだ。

そして、その場で彼の口から説明されたのが、「スギ花粉症」だったのである。


花粉症がいつからあるものなのかは知らない。
しかし当時そのような概念は、まだまだ世の中に浸透しておらず、われわれは目の前のNの様子が信じられなかった。

彼の症状は気温の変化に反応するらしく、暖房の効いた部屋に入ったり電車に乗ったりするたびに、突然に発症したのだが、
そのあまりの苛烈さに、驚きを通り越して、呆れてしまったものだ。

さっきまで普通にしていたのが、いきなり目を真っ赤にして涙を流し、鼻水にまみれる。

今になって考えてみると、彼の症状はとびきり重い部類であったようだが、いずれにせよ当時のわたしは初めてみる花粉症を、全く未知の感染症を見るかのごとく、奇異と驚嘆を持って認知したのである。


ところがその翌年くらいから、花粉症は爆発的に認識されだした。

日本中に患者があっという間に増えたからである。

自分の周りも、Nの後を追うように、一人また一人と発症した。
ニュースでも報道されるようになり、対処法だの予防グッズなどが話題にのぼるようにもなった。

なぜ1982年が境であったのだろう。

戦後に大量に植林された杉が飛ばす花粉の総量が、あの時期レベルを超えたからだろうと考えるが、あまりきちんとした論考を見たことがない。

ただ本当に花粉症は突然現れ、あっという間にポピュラーになった。

今ではあまりに当たり前になっているので、こういうことは書き残しておこうと思う。


蛇足だが、わたし自身は40年間発症していないが、逃げ切れるだろうか?

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