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えせ評論(ホックニー展によせて)

ホックニー展を見に行ってきたので、今日はちょっとマニアックな考察をしてみる。
ただしわたしは大学時代に西洋美術史の単位をとっただけで、特にその方面に深い造詣のあるわけではないので、これから書くことは、まぁ素人の戯言である。

イギリスというのは、ヨーロッパのなかでは島国の片田舎で、こと絵画に関しては18世紀頃までずっと不毛の地であった。
それまでは、ホルバインとかヴァン・ダイクみたいなイギリスで活躍した画家も、実は皆外国人なのである。

だからイギリス美術界には長らくコンプレックスがあったのではないかと思う。

19世紀になると、イギリス初の絵画の世界的スター、ターナーが出てくるわけだが、じつは彼も例外ではない。
いささかこじれていているが、こんな逸話があるのだ。

彼は巨匠となった後に匿名で自分の作品を母国のアカデミーに出品して、審査員が酷評するのを眺めていたのだという。
そして、最後に「それはわたしの絵です。やはりあなた方にはわからないと思いました」と言い放った。
要は、自分だけは大陸の本当の美術に通じていると言いたかったのだろう。

たいへんに困った奴だが、まぁ逸話としては面白い。

そんなわけで、イギリスから世界に発信されるアートは、なんというか、当人たちの意識も相まって、クセというか傍流感が強いとわたしは思う。

何しろターナーの次に美術史上に出てくるのが、あのラファエル前派だ。
ジョン・エバレット・ミレーのオフェーリア
あれなんか、絶対に美術の主流たりえない厨二病臭ぷんぷんではないか。

やがて20世紀に至って、フランシス・ベーコン(かの哲学者ベーコンの子孫)、ルシアン・フロイド(あのフロイトの孫)、デービット・ホックニーと続く人物画を中心とした巨匠たちの系譜がある。
3人ともそれぞれ素晴らしいが、前者ふたりにはやはり同じ匂いがする。

同性愛、異性愛の違いはあれど、ベーコンとフロイドについては性にまつわる、ヒリヒリした不穏なイメージに、ざ・イギリスを感じるのである。
(ベーコンが闇落ちした貴族の末裔、フロイドが亡命してきた心理学者の孫といった出自からして、もう完璧なのだが)


一方、ホックニーはだいぶマイルドだ。
この人は自分の同性愛的傾向を隠していないし、作品にもそういった部分が色濃いが、それでも絵をみていて心が不穏になることがない。(同性愛が不穏だといっているのではない、念のため)

かなりバランスの取れた性格なのだろうと思う。
あくなき制作意欲をみても、この人の根本にあるのは、プロテストではなく、単純に描くことに対する愛である。

あるいは200年かけて、イギリス美術界がようやくコンプレックスから脱しつつあるのだろうか。

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