見出し画像

これ陰謀論ですから

─ 日本よい国、ヨイサ、ホイサ♪


日本がこんなにも素晴らしい国だったなんて知りませんでした。今、日々新たな動画があがってきて、日本の良さが外国人目線で語られています。

食では、寿司・天ぷら・お弁当などなど、若いフランス人女性がその美味しさにぞっこんとか、韓国人高齢者がラーメンの味に目を丸くする様は、われわれをくすぐるものがあります。
先般の東京オリンピックの時、五輪村ダイニングルームのメニューの豊富さとか、報道関係者向けの弁当が安過ぎるとか、外国の方々の驚きのコメントがありました。それがすぐ日本礼讃に結びつき、そこにK国やC国の嫉妬視点の記事が絡んでくれば、「日本すごい教」のお出ましとなります。

町がきれい、治安がいい、財布を落としてももどってくる、トイレはきれいでウオシュレットを使ったら、すっきり、すっかり、日本大好き人間のでき上がり!特に、新幹線時刻の正確さには脱帽で、車内やホーム清掃員の一糸乱れぬ仕事ぶりにはリスペクトそして喝采。他国から見て日本の当たり前が突然持ち上げられ、注目を浴びているように感じられます。

さらに、大リーガー大谷翔平や、プロボクサー井上尚弥など、スポーツ会における世界レベルの活躍だけではなく、とにかく明るい安村へのUKのはしゃぎようなどが、「日本すごい」に拍車をかけているかに思われます。ゲームやアニメの世界的人気、YOASOBIの楽曲の世界的ヒットなどもそれを押し上げることに寄与しているようです。

世界一の新幹線を写しとる撮影者さんの技量を
リスペクト。ありがとうございます。

ちょっと調べてみると、テレビ番組でも様々な日本礼讃が放送されているようです。単なる自画自賛は免れないのですが、世界的投資家の富豪ウォーレン・バフェットが今年来日、日本企業と接触し投資先としての可能性を評価しているといったこともあります。そこに、見離されたC国が「わが国の方が優位でしょ」などと、呼べど叫べど袖にされているようです。

遡れば、文化人類学者のレヴィ・ストロースが「日本は比類がない」などと言ってくれちゃったりするものですから、ね。日本文化の特性や、その長さ・持続性を指摘しているようです。

日本は比類がないか?

「日本すごい」風潮は特に昨今際立っているように感じられますが、それを厳密に挙証するデータ的なものがあるわけではなく、実感的にそう感じているだけです。

確かにそのたぐいのネット動画はおもしろく感じられます。日本大好き欧米人が、日本の歌手や歌について、新鮮な驚きで評価するその様は、まさにわれわれとしても新鮮な驚きにさらされます。外国人の視点を通じて、その歌や歌手を再発見するといったことにつながるケースも少なくありません。これは、動画の企画・演出・プロデューサーのうまさ、ということなのでしょう。こういうある分野(ここでは広い意味でのJPOP)での、異視点での文化的掘り起こしは、私たちが気づかなかった魅力やすごさを教えてくれるように思われます。

しかし、日本の街はホントにきれいか?財布を落としたら絶対にもどってくるか?日本中津々浦々にウオシュレットが普及しているか?東京五輪の食事に実はいろいろ問題がザクザクあったのでは?もし、「日本すごい教」が昨今の傾向としてあるとしたら、それは仮説としても、憶測が生じてもきます。

レヴィ・ストロースといえば

何てたって構造主義ということでしょう。すごいですよね、それまでの哲学的思考をブッ飛ばしてしまったわけですから。古くはアリストテレスからサルトルまで、形無しです。この刺激を一身に受けて、「なんちゃって構造主義」や「にわか構造主義」や「ぱくりコウゾー主義」モードが、私の中に生成されつつあります。

                                     *

構造主義にとっての構造とは、単に相互に関係をもつ要素からなる体系というだけではなく、レヴィ=ストロースの婚姻体系の研究にみられるように、顕在的な現象として何が可能であるかを規定する、必ずしも意識されているわけではない、潜在的な規定条件としての関係性を意味する。

                                     *

ちょっとウィキペディアから引用させてもらいましたが、何かしびれます。抽象的な表現がステキ過ぎます。宮台真司先生や、苫米地英人先生の世界に一歩近づいたような気分になってきます。冗談は休み休み言うにしても、一体、今何が起きているのでしょうか。「日本すごい教」の裏に何があるのでしょうか。

テレビは全く見ないので具体的な番組内容は知りませんが、日本礼讃番組と括れるものなら、ひとえに視聴率アップがめざされているのですから、広告スポンサー獲得による収入が期待されているわけです。単純には、旅行会社やJRなどの企業がスポンサーにつきそうなものです。
また、ネット動画では、ユーチューブ等が主たるプラットホームになろうかと思います。今誰でもが簡単に動画番組を制作、投稿、公開できることは、今さら言うまでもありません。私が思うにはユーチュバーは、自分の好きなネタ、かつ多く見られる再生回数の上がる番組を作ろうとする筈です。そのことが広告収入につながるからです。
既存のテレビの場合でも、ネット動画でも、
制作者の広告収入の点では、わかりやすい構造となっています。ここにあるのは、経済的構造です。資本主義社会ですから、当たり前のことです。これをコウゾー主義と言っているわけではありません。でも、マルクスの言う「下部構造」ということではあるのかもしれません。

「靖国で会おう」と言って散っていった、先の世代の人々を忘れるわけにはいかない…

人はみな利益や収入の最大化を求めて、そこを契機として行動しているようです。今月八月は、78回目の終戦記念日です。このジリジリとした炎熱は、当時の季節感や空気感と同期しているように感じるのは、私だけでしょうか。硫黄島の死闘や、「失敗の本質」で顕にされたインパール作戦や、真珠湾での重大な過誤等々を思う時、いや、そんな壮大な話にしなくても、当時二十歳の命を国に捧げた私の叔父を思う時、容赦ない暑さも目頭の一滴を凍りつかせるに十分です。みんな金の亡者に成り果てて、また、時代の閉塞感に絡め取られるばかりで、ドンヨリした支配的空気に流されまくりで、自らの意志をドブに捨て去っているかのようです。

お米の国の日本弱体化政策の支配は、日本人が戦後復興に無我夢中だった分あまり意識にのぼらなかったのかもしれませんが、78年後のこんにちに至って、骨の髄まで染み込んでいることが歴然と明確になっているようです。日本学術会議の学者と呼ばれる先生方はじめ、日弁連の弁護士先生方、日教組の先生方、政治家の先生方、皆さん自分の国家観を骨抜きにされてしまっています。お米の国の磨ぎ汁は、日本人のお口に合うものでしたから、その悪しき影響など思いも及ばず、気がつけば、そもそもお米が主食でありそれが歴史的かつ、この国特有のものということで疑念をもつこともなく、決して解毒できないところまで来ています。確かにお米の国は、この国の「上部構造」の支配に巧みであったと振り返ります。もちろん「下部」もですけど。

今進んでいると思われるのは、一般国民の支配です。みんな「日本すごい教」に踊らされているかに見えます。くさぐさの日本人がついに覚醒することのないよう、気持ちよくさせられているばかりです。

若者は、矢継ぎ早に繰り出される新米の味に酔いしれ、魂を抜かれ、疑問を忘れ、ついでに希望も捨て去っています。高齢者は、自分たちはこの国の現制度の中で逃げ切れるとの
底意を秘め、子や孫の世代の世には目をつぶり、地域のボランティア活動に精を出すことでお茶を濁しているかのようです。一部の人々は、子供たちを戦争に行かせてはならない、憲法九条を守ろう、九条を世界遺産に!などと、仕事や子育てから解放された有り余る時間の使い方に、とんでもない勘違い、病に罹患しているように見えます。親の世代の戦中・戦後の辛酸の名残を肌で感じつつ、絹ならぬ米で作られたコクーン体制にどっぷり糠漬けに漬かった腐臭を発しています。

日本という国、日本人を知悉した上で、いわば浸透させやすい構造を踏まえつつ、そこにイデオロギーを流し込む。それは、仕掛ける側のイデオロギーであって、受容する側には意識させないようにする。それが無力化政策の真髄です。分断化もコロナ前から蔓延しちゃっています。

日本無能化政策は仕上げ段階に

操られた政治家とともに、お米の国から原作シナリオを常に拝受して情報を垂れ流し、あるいは故意に封殺して、米国広報機関としてのマスコミの生命も、老い先はだいぶ短くなってきました。それと呼応するかのように、
インターネット時代が台頭してきてグルグル社のプラットホームが地球を席巻しています。これを文字通りグルグル巻き、と言うとか。猫も杓子も動画を制作しウェブにあげまくります。放送が衰退し、通信がC国の洪水のように溢れかえるとともに、読売、朝日、
毎日なども、傾きつつあります。この大きな転換の潮目に、「日本すごい教」が浸透してきているように見えます。これ、かの国が仕掛けてない?「陰謀か?」いやいや、「陰謀論だよ!」

A「米穀はおいしい、日本人で良かった」
と、反米君。
B「米国は、いい国だよ、日本のSECOMもやってくれているし」
と、親米くん。
A 「米穀という日本の風土に根ざしたもので、根本的に支配を進めているよ」
B 「米国より、C国がヤバイんじゃないの」
A「C国はわかりやすいだけだよ」
B「超限戦の国だよ、孫子の兵法があるよ」
A「米国としては、日本がアジアを束ねて有色人種としてまとまるよりは、C国に、日本を呑み込ませた方が、御しやすいのでは」
B「いやいや、日本を手懐けておいて、C国の防波堤にしたいんじゃないの」
A「こういう場合のセオリーは、どっちに転んでも、自らが勝ち残れるようにしておくことさ」

「あなたの?におこたえ」されて、?が
深まるばかりです

思想的な分断政策も、戦後から当初から織り込まれていたと見ることができます。と言うほどには一枚岩ではない性質が絡んではいますが…

赤い思想よりこわい、無色の支配

今手元に、先日街頭で受け取ったK党のリーフレットがあります。要点を引用しつつ、手短に述べます。これは、「あなたの?におこたえします╱党綱領と規約の話 2023」のタイトルから始まります。各ページごとのテーマが立っていて以下の通りです。

・日米同盟╱アメリカのいいなり続けていいのか
・安保条約╱なくしてこそ平和なアジアに
・平和なアジア╱すでにある「平和の枠組み」を強める
・日本と中国╱緊張と対立をどうしたら?
・自衛隊╱海外旅行の戦争で血を流させない
・共産主義╱人間の自由が花ひらく未来へ
・天皇の制度╱現在も将来も「憲法」にもとづいて
・改革の進め方╱選挙の審判ふまえ、一歩一歩
・民主集中制 ╱異論を許さない?まったくの誤解です
・党首╱直接選挙じゃないと非民主的?

われわれには思想信条の自由があるので、K党を支持する人がいても、それはしかたのないことでしょう。しかし、上記に書かれていることを信じられる精神とは、おつきあいできません。
反政府、弱者救済で、この国を救えると思っているこのおめでたさは、見上げたものです。上記10項目はきれいごとのオンパレードで、どうしてこうも嘘をつけるのか、頭が下がります。もちろん、嘘が見える人にはきれいごとではなく汚穢ごとです。「嘘をつくのはK党の始まり!」というか、政治に嘘はつきもので、この点では現政府与党も、嘘を垂れ流しているわけですが、国民としては、彼らがめざしているものを真に見極めるリテラシーをもたなければならない、そこが問われていると思うのです。上記リーフレットの核心は、党首が替わらないことを言い訳しているだけ、とお見受けしました。

私は、表現の自由のない国なんてお断りです。今、共産主義国家は中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバの五つだけのようです。K党は暴力革命も辞さないことを歴史的に明言していて、警察にマークされています。すでに、マルクスがブルジョアだったことはわかっています。ありあまる資金的背景があるからこそ、大英博物館図書館に通い詰めで自説を研究できていたことは、バレバレでっせ!もちろん、ウキペディアにもそこは書かれていません。K党のトップも大邸宅にお住まいらしいと伝わっています。

この商品に罪はありません。赤い思想と
狐の行動には怪しむべきものがあります

救世主のような口振りで、党として合法的政治活動を行なう輩は、まだ比較的見極めやすさがありますが(それでも乗せられる情報弱者がいる)、特に政治活動という形態をとらなくても、もっと凄まじく、恐るべしと思うのが、昨今の「日本すごい教」の蔓延です。
「必ずしも意識されているわけではない、潜在的な規定条件としての」をここに見るのは素人の考え過ぎレベルのことでしょうけど。

日本人の無意識に入り込んで、政治家はとっくに、そして国民のしもじもまで、この国を完全に腑抜けにしてしまう、見えざる手は、
着々と浸透しています。K 国の若者が国の反日教育によって、日本悪し、憎しに染まって、歴史認識の無知をさらけ出しているのを見て哀れむのと同じように、「日本すごい教」を仕掛けている某国の政治家の背後で暗躍しているお金持ちたちは、せせら笑っているでしょう。これ、陰謀論と忌避する感覚、気持ちはわかるのですが、本質的には、陰謀はないとしても、陰謀によって仕掛けられたと同等の構造にはまっていることが、問題なのだと考えています。戦後78年、核を使われて敗戦し、頼りない首相に、歳費で仏旅行する国会議員、官房副長官の怪しい問題をスルーするマスコミ、この国は、いつの間にか腐りきってしまっています。国民は分断にまみれて猿のように踊っているだけ。なんとも、おめでたい国民国家それが日本です。

世界に伍していけるような人物があれば、それを封殺するようなことも決行する「陰謀論」ではなく、正真正銘の陰謀は確かに存在する、と考えられます。有り余る富を得た人たちは、富、名声、快楽、すべて入手したらもう何もすることがなくなって、果てにはこの世界を動かすことだけが人生のよすがであり、行動のモチベーションとなっているのではないでしょうか。マーケティング界の「見えざる手」のことではなく、世界を動かす見えざる意志が、蠢いているように私には感じられます。

結論としては、陰謀も、陰謀論も、誰が仕掛けているかの主体に意識のベクトルが向いている思考であって、われわれは、無意識下の潜在的な規定条件としての関係性を対象化しないことには支配から抜け出せない、と言うことかもしれません。★


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?