鈴木流光

晴耕雨読の農家兼ライター。元国語教師。日本文化や芸術に触れることが歓び。茶の湯文化学会…

鈴木流光

晴耕雨読の農家兼ライター。元国語教師。日本文化や芸術に触れることが歓び。茶の湯文化学会会員。

マガジン

  • 茶道古文書『宗旦傳授聞書』

    千利休の孫である千宗旦が、茶の湯の心構えについて弟子に語ったことを記録した古文書です。茶道や歴史文化に興味のある方は、一度のぞいてみてください。

最近の記事

能登半島地震録(その4)忘れてはならない

 3.11の東日本大震災から13年という日あたりから、マスコミ報道における能登半島地震に関する報道がめっきり少なくなったと感じている。しかし、現在も被災地では断水が続き、2次避難先で不自由な生活を強いられている方は1万人以上に及ぶと思われる。  意図的か、さにあらずかは別にして、3月の終わり、つまり令和5年度の終わりを以て能登半島地震について一つの区切りをつけようとする「雰囲気」を感じる。確かに、前に進まねばならないのはわかる。だが、4ヶ月前までは平和な日常を送っていた家や家

    • 能登半島地震録(その3)震災ボランティア参加報告

       2024年2月11日(日)震災ボランティアに参加したので報告します。場所は中能登町でした。中能登町は七尾市の南西辺りにあります。震災発生当初から被害の大きかった輪島市、珠洲市の震災報道の陰に隠れて、中能登町の被害状況が報道に取り上げられなかったのですが、それなりにかなりひどい状況でした。  震災ボランティアの参加については全国から大変多くの方が希望しておられるらしく、ネットでの募集に対する申込み開始時間から数分で枠が埋まってしまうという状況です。理由は現地でのボランティア

      • 「宗旦傳授聞書」(3)本文1

                宗旦傳授    茶を弄ぶ事 一 夫茶を愛する事和漢とも古より最重し故に鹿苑院殿数寄の道を省略し給ひ代々これを弄びたまひ爾來其の流を汲人多しといへども平人のたやすく翫ふべき事に非ざれば利休に至つて物毎に其理をすこし博く學びてつゝまやかに知り眞を以て草に改むといへどもしかも其古風を撓本意を失はず或は飾をとゞめ法を略し侘人の弄にして樂居の興となせるとなり

        • 「宗旦傳授聞書」(2)見出し

          宗旦傳授聞書見出し  茶を弄ぶ事     茶の湯心持の事  茶の湯邪心の事   附 衣食住の事  道具色々用る事   朋友の事  數寄者に品々ある事   上中下の事  茶道の手前に好と嫌と有事   時節により茶の湯心持替る事   付 口切 兼約 菓子 不時 跡見 霄暁 朝晝 寒夜 雪中 風呂     いづれも心持格別の事  心得べき覺の事   道具取組取合心持の事  勝手に嗜むべき道具の事  膳部の事  付 茶の湯料理の事  振廽の事          膳に向ひ飯喰様の事  

        能登半島地震録(その4)忘れてはならない

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        • 茶道古文書『宗旦傳授聞書』
          4本

        記事

          「宗旦傳授聞書」(1)序文

             本書出版尓就て 此本は元と老友辻宗謙宗匠より轉寫を許されたる秘書にして容易に印刷杯に附す可き性質のものに非ずと雖も毎年夏期講習會の砌正しき古法を証明する為め本書を引用して茶道の講義を為すを常とす故に會員一同本書の轉寫又は出版を渇望す故に止むなく之を茶道の熱心家間に公にすと雖も本來秘書中の秘書に屬すれば各自本書の内容に對して敬意と尊重を望む   大正拾年第七回夏期講習會終了の翌日 於三德庵                     田中仙樵識

          「宗旦傳授聞書」(1)序文

          「宗旦傳授聞書」(0)翻刻にあたって

           千利休と言えば侘び茶の大成者として日本人の多くが知っている。しかし、その子孫となると、茶の湯を嗜んでいる方などでなければご存知ないのではなかろうか。  利休の茶道は現在、千家流茶道として三つの家が受け継ぎ、伝承している。いわゆる「三千家」というもので、表千家、裏千家、武者小路千家である。この三千家が生まれることになったのは、利休の孫に当たる千宗旦に四人の息子がおり、そのうち次男宗守が武者小路千家を、三男宗左が表千家を、四男宗室が裏千家をそれぞれ興したのである。四百年以上にわ

          「宗旦傳授聞書」(0)翻刻にあたって

          能登半島地震録(その2)~あなたは今、どこにいますか。

           ある頃から、人が生きるとは「時間」と「空間」の接するところにしかないのではないか、と思うようになった。  先日、僕はターミナル駅の中にあるショッピングセンターで買い物があったので、駅の駐車場に車で向かった。ところが、慌てていたせいか駐車場の入口を見逃して通り過ぎてしまった。しまったと思ったが仕方がない、降車場のロータリーを回ってもう一度駐車場の入口に戻ろうとして、歩道の人に注意しながら戻る道に入ろうとアクセルを踏んだ瞬間、僕は慌てて急ブレーキを踏んだ。目の前に警察官が立って

          能登半島地震録(その2)~あなたは今、どこにいますか。

          能登半島地震録 富山から(その1)

           令和6年能登半島地震について、現段階での僕自身の体験や感想を書いておこうと思う。これは自分自身への記録として書く。そして、災害発生からまだ7日目であり、現在進行中の激甚災害であり、まだ多くの方々の安否が確認されていないし、おそらく瓦礫の下で救助を待っている灯のような命が数多あることが想像されるからこそ、今書いておこうと思う。能登半島輪島市から120㎞ほどの距離に住む、北陸人としてのメッセージである。  元旦の16時少し前、村の神社での新年祭から帰宅し着替えを終えて、2階の

          能登半島地震録 富山から(その1)

          激流を流れる小舟~今年を振り返って~

           「竹有上下節」(竹に上下の節あり)というが、私にとって今年はまさに大きな節目となる年だった。  3月に35年間務めた教員を早期退職した。まだ2年余り定年まで時間が在ったのに早期退職したのは、父親と家業である農業をするためというのが一番の理由だった。85歳を越えた老父と残された時間はそれほど多くはないというのが切実だった。妻は反対だったが自分自身の中で後悔は一切無かった。  それでも経済的な事情もあり、農業と兼業できる仕事をした。4月から半年間、早朝5時から8時まで宅配便の仕

          激流を流れる小舟~今年を振り返って~

          「枯野」のうれしさ

           冬の到来と共に野山の植物は錦を脱ぎ捨てて赤茶けた枯れ色に沈み込む。何とも物寂しく冷え冷えとした風情だが、齢半白を過ぎてこの枯野の風景が何とも言えず好きになった。そんな晩秋の景色を詠んだ代表的なものが「三夕(さんせき)の和歌」だろう。  さびしさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮れ   寂蓮法師  心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ    西行法師  みわたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ    藤原定家  どの和歌も幽玄枯淡の境地

          「枯野」のうれしさ