見出し画像

テレビを見なくなって2、3年くらいたった

現在33歳、家にテレビはない。
妻もテレビは見ない。

テレビを見なくなって2,3年は経つけど、
もうテレビなんて買わないのではないかと思ってしまう。
なんなら、この世からテレビが絶滅してもなんの支障もない気がする。

最近のテレビタレントは全くわからない。フワちゃんで止まってるし、インスタにダウンタウンとチョコプラがたまに出てくる以外本当に過去のテレビタレントを見ない。
あと中田あっちゃんはYouTubeで結構きく。でもこの人はもはやテレビタレントの域を超えている感じ。

昔はテレビしか見ない人だったけど、もはや懐かしいというか、そんなんもあったなぁみたいな感じだ。いろいろ好奇心を刺激してもらったとは思うけど、無駄に心を刺激された感もある。

テレビのおかげで楽しい学生時代を過ごせた気もするけど、テレビのせいで家族と話す時間があんまりなかった感じもする。みんなご飯食べてる時もテレビしか見てなかったね。だからなのか、親とか兄弟の顔を直視する経験が少ない気がして、今でも慣れてない。

今はスマホばっかりだけど、ご飯の時はスマホ置いて喋ったりする。こっちのほうが純粋に楽しいし、大事な話とかもちゃんとできてると思う。あと今みたいにブログとか書いてて楽しい。

あとは、テレビがどんどんでっかくなって、テレビのデカさがステータス感もまだあるけど、もう置くとこないよな〜ってなる。
コードとか邪魔だし。すごいホコリがたまるイメージ。

この前九州の人に会った時、こっちの地元の番組が九州でやってるらしく、その話を自分にされて、すごい戸惑った。
番組名しか知らない状態だったのでなんとか頑張って話を合わせたものの、最終的に
「それ誰が出てるんですか?」
とこっちが聞いてしまった。

これがテレビ離れってやつか。

テレビ離れって言われて結構経つけど、自分がすごい離れてるのを今になって実感した。いや、むしろ先に行っているということか。これはこれで言われたら若干ウザそうだ。

学生のころは、友達との話題やネタはほぼテレビだったので、すごい楽しませてもらった気がする。
他人同士を結びつけてくれた功績は素晴らしいと思う。だけど、共通のテレビ番組で知り合った関係って、根本的な価値観が一致していないことが多いような。

要は、誰かの好きな番組に対して、もう1人がただ合わせているだけみたいな。楽しい番組で盛り上がってる時は、楽しい時間を過ごしている感じがするから、この空気感壊したくないし、まあいいや的な。

しかしだ、盛り上がりを重要視するあまり、この番組好きなら当然この番組内コーナーも知ってるよねみたいな感じにもなる。知ってるよねマウントとでも言うべきか。
しかし、そんなこと言われても、なんかわからない、、という時ももちろんある。だが、

いやそれは知らん。

とは言えなかった。
言ったらおしまいだった。なんか負けた気がするし、空気悪くなるし。興味ないくせな話合わせてきたみたいに思われるし。

しかし今は違う。誰がなんのアプリでどんなインフルエンサーのなんの動画を見てるかなんて全く予測不可能だ。だから言えてしまう。

「それ誰?何それ?」

そして聞けばみんな教えてくれると思う。なぜなら昔はよく言われた、
「そんなんもしらねぇのかよ」
というのが全く通用しないからだ。

逆に今の時代、
「そんなんもしらねぇのかよ」
なんて言ってしまえば、ハラスメントになり得るし、すぐに友達候補から逆に外されるだけだ。

情報過多から、テレビがマイノリティになってスマホが普及して、個々の情報源の予想がつかなくなった。世間を巻き込む流行りもだいぶ減った。オリンピックですら観てない。

つまり、思いやりのない人が流行りを知ってるだけのマウントを取れなくなる。流行りや話題に興味のない人が一方的に傷をつけられるということが少なくなって、そもそも知らなくても堂々としていられる。そしてお互いがどういう価値観でどのような情報を取り入れているのか、理解し合えることが当たり前になったら、より良いと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?