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何のためのスピリチュアルか

「スピリチュアル」というものに対する考え方は
本当に人によってさまざまだなあと感じることがよくある。
私にとってのスピリチュアルって何だろう。

20代の私にとっては、
「特殊な力で未来を予測する特殊能力によって、
 トラブルを避け、満足や得など利益だけを得て、
 ネガティブな感情を味わわずにすむ人生を保証してくれるもの」
という認識だった。
当時の私は、失敗することや惨めな思いを味わうことに
尋常ではない恐怖感をもっていたので、
なんとか「障害のない道」を歩きたくて、スピリチュアルに頼った。
だから、セラピストやヒーラーのところに行くと、
「これで大丈夫ですか?」と聞きたがった。
それは「この道を行けば失敗しませんよね?」と意味でもあった。

でも、スピリチュアルをそんな風にとらえているとき、
私はちっとも幸せではなかったと思う。
なぜなら、いつも私の心の根底にあった、
「私には何の才能もないし、誰の役にも立てないから、
 少しでも失敗したら、社会からはじき出されてしまう」
という無価値感や怖れは何にも変わっていなかったから。

リーディングなどでどんなに先を読んだところで、
それがある限り安心感は得られない。
銀座の舗装された歩道を歩いているときに、
「蛇が出てきたらどうしよう」とありえない想像ばかりしていたら、
それがどんなに安全な道だったとしても、不安で仕方ないから。
先を読むことでは安心は得られないというのがそこからの学び。

そして、リーディングは100%当たるものでもない。
人生には、どんなに避けようとしても避けられない困難が起こる。
私も、それを痛切に感じる出来事があった。
そうしたことから、自分に自信がなく経験値もないと
小さな波にすら翻弄されて、人生がより困難になるとも思い知った。
また、リーディングしてくれる人に依存して、
自分では何も決められなくなるとも思った。

つまり、「失敗しないために」「損をしないために」、
先を読もう、平坦な道を行こうとしていると、
不安は消えず、経験値の低さゆえに自信を無くし、決断力も失くし、
生きることがより困難になるということを確信したのだ。

リーディングやチャネリングなどの手法は、
生きることに役に立つ面もあるけれど、
使い方次第では逆効果であると理解した。
そして、リーディングやチャネリングなどの手法が
スピリチュアルなのではなく(実はそれはサイキックというものだった)
リーディングやチャネリングなどの手法を
「どのように、なんのために使おうとしているか」という姿勢を含めた
生き方や哲学をスピリチュアルというのだと今は思っている。
(リーディングやチャネリングと無関係でもスピリチュアルにはなれる)

今の私にとってのスピリチュアルとは、
「人生を信頼するための知恵」のようなもの。
生きることが困難だと思うときに、そこに希望を見出す力となったり、
不条理な現実を受け入れて、力強く生きようという意志をもったり、
「根拠がないけど、自分は幸せになれる、幸せになる」
と無条件に自分の人生を信じる気持ちを
心に広げてくれる人生観とも言えるだろうか。

そういう気持ちを少しずつ心の中に育ててくると、
物事が起こったときの安定感が違う。
嫌なこと、しんどいこと、心配なことは変わらずあるけれど、
若い頃に比べたら驚くほど安定していられる。
自分の不安な気持ちと一緒にいることが出来るし、
「なんとかなる」「なんとかする」という気持ちも持てるから。
占いやリーディングも昔ほどは必要としなくなったし、
利用するときのスタンスも困難を避けるためではなく、
良いことも悪いことも引き受ける心構えを持つためだったり、
頑張ってもうまくいかないときに、
「まあ、こういう時期だからしょうがないか」と、
焦りを手放すのに使うことが多くなった。
なかなかよい距離感になってきたなと思う。

スピリチュアル(もしくはサイキック)は使いよう。
スピリチュアルに限らずそうだけど、
「根底にある怖れや不安」と上手く付き合うことによって、
スピリチュアルもうまくいかせるのかなと思う。


4月のチャネリングメッセージは5日20時スタートです。


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