森岡亜由美

不思議なこと、霊的なことを、たくさん体験した幼少期を経て、 スピリチュアルな仕事をする…

森岡亜由美

不思議なこと、霊的なことを、たくさん体験した幼少期を経て、 スピリチュアルな仕事をするようになりました。 ここでは、シンプルな人生を創るための、 家や家族や自分自身に対する考え方について綴っていこうと思います。

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  • 片づけとこころ ~家は箱庭~

    片づけられない人の心理を始め、家や家族について様々な視点から書いてみました。

最近の記事

片づけには「保留」という選択肢が必要

一般的な片づけの方法として、 モノが多くて散らかる場合、 3つの箱を用意して、モノを仕分けする。 ひとつは、「手放すもの」。 もうひとつは、「残すもの」。 もうひとつは? それは、「保留するもの」。 要か不要かでいえば不要だけれど、 捨てたら後悔するかもしれないと思って踏ん切りがつかないもの。 そういう「割り切れないもの」を、 「答えを出さずに取っておく」のが「保留するもの」箱だ。 基本的な決まりとしては、 「保留するもの」箱は期限を決めてしまっておき、 期限

    • 「捨てて後悔しませんか?」

      「捨てて後悔しませんか?」 捨てられない方からよく聞かれる質問で ベスト3ぐらいに入るのがこれ。 私の答えは「するときもあるし、しないときもある」かな。 捨てるときはもちろん「後悔しない」と思ってそうしてるけど、 しばらくたって「残しといてもよかったな」って思うことはある。 でも、それは 「まあ、仕方ないよね、捨ててしまったものは」 ですむことだ。 残しとけばよかったと思うきっかけになったものごとも、 それがなければどうにもならない、ということは、ほぼない。 手持ちのも

      • 自分の居場所を作りたいなら

        自分には「居場所」が無いと感じ、それを欲している人によく会う。 聞けば、その人たちの言う「居場所」というのは、 ありのままの自分を無条件に受け入れてもらえて、 存在そのものを必要としてもらえて、 なおかつ自分がそこにいることを許されている と感じられる場所のことだという。 興味深いのは、 住む家も、働く場所もあり、 夫や子どもも友人と呼べる人もいるのに、 「居場所がない」と感じる人がいるということだ。 物理的に身を置く場所や属するコミュニティが たくさんあるにもかかわらず

        • 何のためのスピリチュアルか

          「スピリチュアル」というものに対する考え方は 本当に人によってさまざまだなあと感じることがよくある。 私にとってのスピリチュアルって何だろう。 20代の私にとっては、 「特殊な力で未来を予測する特殊能力によって、  トラブルを避け、満足や得など利益だけを得て、  ネガティブな感情を味わわずにすむ人生を保証してくれるもの」 という認識だった。 当時の私は、失敗することや惨めな思いを味わうことに 尋常ではない恐怖感をもっていたので、 なんとか「障害のない道」を歩きたくて、スピリ

        片づけには「保留」という選択肢が必要

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        • 片づけとこころ ~家は箱庭~
          15本

        記事

          捨てるときの心の痛みを引き受ける

          「私だって捨てるときには心が痛むよ」 と言ったら、たいそう驚かれた。 なんのためらいも、葛藤もなく、 捨てることができると思われていたらしい。 確かに人より手放すことに抵抗はないけれど、 さすがに、「痛みゼロ」ってのはない。 使い切れずに捨てるものには お金や資源を無駄にしたと思うし、 焼却処分が難しいものを捨てるときには 環境に負荷をかけたと思う。 後悔や罪悪感はどうしたって生じる。 それを「ゼロにする」は、 ありえないことだと思っている。 ありえないことを求めても仕方

          捨てるときの心の痛みを引き受ける

          捨てるのがしのびない財布の手放しかた

          先日、10年使い込んだ財布を手放した。 こんなに長くひとつの財布を使ったのは珍しいかも。 そのくらいデザインが気に入っていたし、 使い勝手もよかった。 さすがに古びてきたのもあって新調することにしたが、 困ったのが、古い財布の処分。 私が住む逗子市のルールだと燃やすごみとなるが、 これだけ長年使ってきたものを、 ゴミ袋に入れてポイで終了ってのはなんか抵抗がある。 なんか、無慈悲な感じがする。 そこで思いついたのが、お焚き上げ。 財布ってお焚き上げしてくれないのかしら? と

          捨てるのがしのびない財布の手放しかた

          そこにとどまり、最後までやりきるということ

          家を片づけるには、自分で決めたひとつの場所にとどまり、 そこの片づけを最後まで(キリがいいところまで)やりきる力が必要だ。 例えば、家全体を片づけたいときでも、 まず一か所、キッチンならキッチンをやると決め、 そこがきっちり片づくまで、 他の部屋のことが気になってもぐっとこらえて、 キッチンにとどまり続けられるようにするということ。 テレビなどの企画で、何人もの手をかけられるなら、 数時間で家全体を一気に、という片づけかたもできるだろうが、 普通はそうもいかないので、一ヶ所

          そこにとどまり、最後までやりきるということ

          覇権争いの場としての家

          「家を片づけたいのに夫がそれを阻む」というケースは珍しくない。 ・せっかく私が片づけて何もないスペースを作ったと思ったら、  夫がこれ見よがしに自分の荷物を置いてくる。 ・夫が趣味の道具で戸棚をいっぱいにするせいで、  リビングが片づかないし、私好みの空間からほど遠くなる。 ・共有のクローゼットに夫が自分の服を大量にしまいこんで  少しも捨てようとしないので、私の服をしまえなくて散らかる。 ・夫が捨てられない人で、夫の荷物で部屋がひとつ埋まり、  子ども部屋を作ってあげたい

          覇権争いの場としての家

          自分を愛するってどういうことかわからないなら

          セルフネグレクトという言葉がある。 ネグレクトは親が子の世話を放棄することを指す。 世話とは入浴や着替え、食事などのほか、 掃除や片づけも含まれる。 自分を健康に活かすために必要なこれらの行為を怠ることが セルフネグレクトだ。 (ちなみにセルフネグレクトの背景には精神疾患などがあり、  性格の問題ではない) 「世話する」というのは愛情表現のひとつ。 幼児にとって、満足な食事が与えられ、 清潔で気温にあった衣服を着せてもらい、 衛生的で安全な空間に居させてもらえることは、 養

          自分を愛するってどういうことかわからないなら

          旅に出るとモノが増える

          旅に出るとモノが増える、とパッキングをしながら思う。 コロナ禍で外出が制限されていた頃、 私のインナー下着(ヒートテック的なやつ・以下インナー)は 上下3枚ずつ(3組)であった。 毎日洗濯するので最低上下2組あればいいんだけど、 ちょっとそれでは心もとないので、予備を1組持っていた。 それで充分事足りた。 けれど、旅に出るとそうもいかなくなる。 今回、仕事で3泊4日の出張に出るのだが、 スケジュール的に宿泊先で洗濯してる余裕はない。 となると、インナーは上下3組必要となる

          旅に出るとモノが増える

          ていねいな暮らしをしたいなら

          「ていねいな暮らし」って言葉が流行ったよね。 自称「片づけられない」人からも、 「家を片づけて、ていねいに暮らしたい」という言葉を 何度聞いたかわからない。 「ていねいに暮したい」と思っている人は意外に多いみたいだ。 で、そこでポイントになるのが、 「ていねいに暮したい」人が想像する「ていねい」の中身なんだが、 聞いてみるとどうやらそれは、 掃除、洗濯、料理など、すべての家事を手を抜かず、 きっちりやることであることらしい。 毎日すべての部屋の床に掃除機をかけ、雑巾がけもす

          ていねいな暮らしをしたいなら

          仮住まい感覚が片づけを阻む

          「散らかる」という状態は、 必ずしも怠惰さがもたらす結果ではないのだと思う。 「片づけようと思うけど、できない」 というのにはその人ごとに様々な理由があるのだ 家にまつわる仕事を通じて知った。 「仮住まい感覚」はそのひとつ。 それは「『ここはほかでもない私の家だ』という感覚の薄さ」だ。 これまでお会いした「片づけられない」方の中で 「仮住まい感覚」をお持ちだった方が住んでいた家には、 ・賃貸(特に気に入ってない物件のとき) ・パートナーがすでに住んでいた家に後から入居し

          仮住まい感覚が片づけを阻む

          「捨てる」と同じくらい大切なこと

          片づけたいと思っている人はモノを「捨てる」ことにばかり目がいきがち。 でも同じくらい大切なのが、 「モノを家に入れないようにする」ということだ。 実は個人的には、こちらの方が大事なんじゃないかと思っているくらいだ。 片づけられない、家が散らかっていると口にする人は、 「捨てる」ことへのハードルがすごく高いだけでなく、 「モノを家に入れる(買う)」ことへのハードルがすごく低い。 ほんとうに低い。 ・パッと目について惹かれたものを直感的に買う。 ・始めたばかりの習いごとのため

          「捨てる」と同じくらい大切なこと

          「片づいた部屋=心地よい部屋」ではない

          散らかっていることに悩む人は、「片づきさえすれば家は心地よくなる」と思いがちだ。 でも、そうではない。 「片づけること」は「心を満たす」ことに必ずしも直結しないからだ。 それは、「悩みがなくなる」ことが「心が満たされる」ことに直結しないのと似ている。 例えば、会社での悩みの種だったモラハラ上司が異動になった(悩みの解決)としても、 自分の仕事にやりがいを感じ結果に満足できるかどうかは別の話であるように、 幸福になるためには、「悩み」を解決するのとは別に、 直接的に心を満たす

          「片づいた部屋=心地よい部屋」ではない

          「嫌いではない=好き」 ではない

          今してる仕事は好きですか? お付き合いしてる彼のこと好きですか? 今の自分のこと好きですか? そんな質問をしたときに、 「嫌いじゃない」 という声が返ってくる。 特に困ったこともないし、 苦痛を与えられてる訳でもないし、 すごく嫌なわけでもない、 という意味での「嫌いじゃない」。 「嫌いじゃない」という答えには良いも悪いもないんだけど、 「嫌いじゃない」は「嫌いにならない最低限のラインはクリアしてる」であって、 「好き」ではないということは自覚しておく必要がある。 それ

          「嫌いではない=好き」 ではない

          「すっきりしたい」という言葉から見えること

          片づけられない人に、片づけのゴールとして「どんな家にしたいですか?」と聞くと、必ずこう答える。 「すっきりした家にしたいです」 100%これ。 びっくりするくらいみんな同じだ。 一方で、それを聞いた私の方は、少し道のりが遠くなることを覚悟する。 それはきっと「すっきり」が、 「とにかくおしゃれになりたいんです」 と言うのと同じようなものだからだ。 めざすところが、ゴールが、あいまいすぎる。 どの程度のおしゃれ感か、どういう方向性のおしゃれか、わからない。 だから、自分が

          「すっきりしたい」という言葉から見えること