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【伝説】

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たまたま行った、大分県豊後大野市にある内山観音。 そこに伝わる伝説に魅了されました。 これからも色々な伝説を小説風に記録していたいと思います。
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【伝説Re:01】「真名野長者伝説」⑥生と死

暫くして、般若姫が都へ旅立つ日となった。皇子の言う通り、幼い玉絵姫を長者夫婦に託し、大小の船百二十隻、千人余りが同行して豊後臼杵が浦より出航した。長者夫婦は般若姫との別れの際、一寸八分の黄金の観音像を手渡した。出航してから順調だった天気は、周防の国の平群島付近で大暴風雨にあい、多数の人が死んでしまった。嘆き、悲しんだ般若姫は、自ら荒れ狂う海の中に身を投げた。すると、海は穏やかになり、雲がスーッと消え去り太陽が輝いた。般若姫は、海から引き上げられた。しかし、間も無く息を引き取っ

【伝説Re:01】「真名野長者伝説」⑤山路の正体

山路は、立派に流鏑馬の古式を披露し放生会は滞りなく行われた。そして、般若姫の婿となり、しばらくの間般若姫と山路は幸せに暮らした。家族全員が参加している般若姫ご懐妊お祝い会の席で、突然「八幡神」が出現し「皇子よ早く都に戻るのだ天皇が危篤だ」と告げた。長者も般若姫もその場に居た全員が驚いた。山路の正体は、欽明天皇の皇子、橘豊日皇子(後の用明天皇)だった。山路は、いや皇子は、般若姫との別れが辛かったが、勇気を出して言った。「もし、生まれた子が男の子だったら連れて上京しなさい。女の子

【伝説Re:01】「真名野長者伝説」④般若姫伝説へ

般若姫誕生長者夫婦に可愛らしい娘が生まれ、玉世姫と名付けられた。 姫はすくすくと育ち、とても美しい女性になった。その噂は、都にも伝わった。姫は、内山観音の申し子として、「般若姫」と呼ばれるようになった。山路 (さんろ) ある日、長者の館に奉公人として働かせて欲しいと熱心に頼みに来た青年がいた。 名を山路と言った。 山路は、普通の人と違う何かがあった。 奉公人の管理人は、人手が不足してたこともあり山路を雇った。 山路の仕事は、草刈りと牛飼いになったが、いつも笛ばかり吹いていた。

【伝説Re:01】「真名野長者伝説」③長者誕生

蓮城法師二人は毎日黄金を拾い集めた。あっという間に長者になった。 「真名野長者」と呼ばれ、その名は遠方にまで知れ渡った。 当然、沢山の人々が黄金を手に入れようと集まって来た。しかし、その人々が見つけるものはただの石ころばかりだった。 小五郎が行く場所には黄金があった。 小五郎は、真名野長者となってから、信仰を深め、唐の天台山に黄金三万両もの大金を贈った。 欽明天皇の世、天台山より返礼として、百済の僧の蓮城法師に薬師、観音の尊像を持たせて小五郎のもとに派遣した。 小五郎は蓮城法

【伝説Re:01】「真名野長者伝説」②奇跡

炭焼き小五郎玉津姫が目覚め、身支度をして出かける。老人に案内された場所は、みすぼらしい小屋だった。老人が「小五郎はすぐに帰って来るだろう、ここで待っていなさい」と言った途端、どこかに消えてしまった。しばらくすると、手足が汚れ、ボロボロの着物を着た若者がやって来た。 姫は「小五郎さん?」と尋ねると、若者は「そうです」と応えた。姫は、三輪明神のお告げによって会いに来たこと、ここまで案内してくれた老人のことを話した。小五郎は、「私は、見かけ通り、貧しい生活なので、とてもあなたを幸せ

【伝説Re:01】「真名野長者伝説」① 出会い

玉津姫 奈良の都の久我大臣に玉津姫という娘がいた。 姫は、顔形は整っていたが、顔一面にアザが出来ており、縁遠かった。 姫は、アザを治したいと、「三輪明神」のお告げがある事を信じて、「丑の刻参り」をはじめた。お告げ ある大雨が降る日の夜、社殿で雨宿りをしていると、「豊後の国に、炭焼き小五郎という者がいる。この者と夫婦になれば、末は長者になるであろう」とお告げを頂いた。 翌年2月、16歳になった姫は、密かに都を抜け出し、豊後の国へと下った。白髪の老人 玉津姫と侍女は、ようやく豊後

【伝説】「真名野長者伝説」⑥生と死

暫くして、般若姫が都へ旅立つ日となった。皇子の言う通り、幼い玉絵姫を長者夫婦に託し、大小の船百二十隻、千人余りが同行して豊後臼杵が浦より出航した。長者夫婦は般若姫との別れの際、一寸八分の黄金の観音像を手渡した。出航してから順調だった天気は、周防の国の平群島付近で大暴風雨にあい、多数の人が死んでしまった。嘆き、悲しんだ般若姫は、自ら荒れ狂う海の中に身を投げた。すると、海は穏やかになり、雲がスーッと消え去り太陽が輝いた。般若姫は、海から引き上げられた。しかし、間も無く息を引き取っ

【伝説】「真名野長者伝説」④般若姫伝説へ

般若姫誕生長者夫婦に可愛らしい娘が生まれ、玉世姫と名付けられた。 姫はすくすくと育ち、とても美しい女性になった。その噂は、都にも伝わった。姫は、内山観音の申し子として、「般若姫」と呼ばれるようになった。山路 (さんろ) ある日、長者の館に奉公人として働かせて欲しいと熱心に頼みに来た青年がいた。 名を山路と言った。 山路は、普通の人と違う何かがあった。 奉公人の管理人は、人手が不足してたこともあり山路を雇った。 山路の仕事は、草刈りと牛飼いになったが、いつも笛ばかり吹いていた。

【伝説】「真名野長者伝説」⑤山路の正体

山路は、立派に流鏑馬の古式を披露し放生会は滞りなく行われた。そして、般若姫の婿となり、しばらくの間般若姫と山路は幸せに暮らした。家族全員が参加している般若姫ご懐妊お祝い会の席で、突然「八幡神」が出現し「皇子よ早く都に戻るのだ天皇が危篤だ」と告げた。長者も般若姫もその場に居た全員が驚いた。山路の正体は、欽明天皇の皇子、橘豊日皇子(後の用明天皇)だった。山路は、いや皇子は、般若姫との別れが辛かったが、勇気を出して言った。「もし、生まれた子が男の子だったら連れて上京しなさい。女の子

【伝説】「真名野長者伝説」③長者誕生

蓮城法師二人は毎日黄金を拾い集めた。あっという間に長者になった。 「真名野長者」と呼ばれ、その名は遠方にまで知れ渡った。 当然、沢山の人々が黄金を手に入れようと集まって来た。しかし、その人々が見つけるものはただの石ころばかりだった。 小五郎が行く場所には黄金があった。 小五郎は、真名野長者となってから、信仰を深め、唐の天台山に黄金三万両もの大金を贈った。 欽明天皇の世、天台山より返礼として、百済の僧の蓮城法師に薬師、観音の尊像を持たせて小五郎のもとに派遣した。 小五郎は蓮城法

【伝説】「真名野長者伝説」②奇跡

炭焼き小五郎玉津姫が目覚め、身支度をして出かける。老人に案内された場所は、みすぼらしい小屋だった。老人が「小五郎はすぐに帰って来るだろう、ここで待っていなさい」と言った途端、どこかに消えてしまった。しばらくすると、手足が汚れ、ボロボロの着物を着た若者がやって来た。 姫は「小五郎さん?」と尋ねると、若者は「そうです」と応えた。姫は、三輪明神のお告げによって会いに来たこと、ここまで案内してくれた老人のことを話した。小五郎は、「私は、見かけ通り、貧しい生活なので、とてもあなたを幸せ

【伝説】「真名野長者伝説」① 出会い

玉津姫 奈良の都の久我大臣に玉津姫という娘がいた。 姫は、顔形は整っていたが、顔一面にアザが出来ており、縁遠かった。 姫は、アザを治したいと、「三輪明神」のお告げがある事を信じて、「丑の刻参り」をはじめた。お告げ ある大雨が降る日の夜、社殿で雨宿りをしていると、「豊後の国に、炭焼き小五郎という者がいる。この者と夫婦になれば、末は長者になるであろう」とお告げを頂いた。 翌年2月、16歳になった姫は、密かに都を抜け出し、豊後の国へと下った。白髪の老人 玉津姫と侍女は、ようやく豊後