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【実在した人物:三淵嘉子】『虎に翼』【2024前期朝ドラ110】【俳優:伊藤沙莉】

【実在した人物:三淵嘉子】

【コメント】

2024年4月10日投稿

朝ドラは、30話まで観ないと油断できず、突然化ける可能性もあるのが定説です。現時点は、続けて観たいワードを探しています。今日の第8話で、穂高先生が言ったセリフ「法廷に正解というのはないからね」このセリフに興味のスイッチが入りました。

私は今放送中の「正解のないクイズ」が好きです。正解があるクイズより100倍学べます。世の中、正解のないことだらけ、学校で暗記した学習は、入試のためにしか役に立ちません。

話が逸れますが、暗記学習のせいで、「自分で考えられない人間を増産」している気がしてならないのです。特に流行に敏感で小綺麗な女性たちや経営者。そして、SNSが本来の使われ方から外れていくこと。すべての問題の発生源に思えてきます。
今や解らないことはググれば答えが出ます。いかに早く指が動くことが賢いことになってます。学校の勉強で唯一ためになることは「考え方に気づく」こと位だと思います。話を戻します。
このドラマの面白さにコメディは不要で、「未来の法律の考え方」を学んでいきたいと思います。未来の法律とは、AIが出す正解と大衆が出す正解を想像出来る作品かどうかということ。もう戦争の話はうんざりですから飛ばして欲しい、俳優さんたちはもっと肩の力を抜いて欲しいです。では、また。

【作品情報】

『虎に翼』、2024年(令和6年)度前期に放送の朝ドラ第110作。吉田恵里香氏作、伊藤沙莉主演2024年4月1日から放送。「虎に翼」は、中国の思想家・韓非子の言葉「強い上にもさらに強さが加わる」の意味。主人公の猪爪寅子は、日本初女性、弁護士、裁判官、裁判所長、務めた三淵嘉子氏をモデルとしたフィクション作品。

【あらすじ】

昭和6年(1931年)東京。女学生の猪爪寅子は母親のはるの勧めで気乗りしないお見合いを続けていた。下宿人の佐田優三の夜学に弁当を届けにいった寅子は、教鞭を取る桂場等一郎と穂高重親に出会う。穂高から明律大学女子法科への進学を勧められた寅子は願書を提出。はるは猛反対するが、ある日桂場が寅子に「時期尚早」と言うのを聞いたはるは激怒し、その足で書店に赴き寅子に六法全書を買い与える、こうして寅子は念願の進学を許されたのだった。

【登場人物】

猪爪寅子 演 - 伊藤沙莉

五黄の寅年に生まれる。あだ名は「トラコ」。日本初女性、弁護士、裁判官となり、女性初の裁判所長も務めた三淵嘉子氏がモデル。

【実在の人物】

三淵 嘉子

1914年〈大正3年〉11月13日生 - 1984年〈昭和59年〉5月28日没、

日本初の女性弁護士の1人、初の女性判事および家庭裁判所長。

略歴
台湾銀行勤務の武藤貞雄とノブの長女として、シンガポールで生まれる。シンガポールの漢字表記のひとつである「新嘉坡」から「嘉子」と名付けられた。東京府青山師範学校附属小学校を経て東京女子高等師範学校附属高等女学校を卒業した際に、進歩的な考えを持つ父に影響を受け法律を学ぶことを決意し、当時女子に唯一法学の門戸を開いていた明治大学専門部女子部法科に入学。1935年、明治大学法学部に入学。1938年に高等試験司法科試験に合格、明治大学を卒業。1940年に第二東京弁護士会に弁護士登録をしたことで明治大学同窓の中田正子、久米愛と共に日本初の女性弁護士となる。1941年に武藤家の書生をしていた和田芳夫と結婚するが、召集先の中国で発病、1946年に帰国後長崎の陸軍病院で戦病死した。1945年に長男や戦死した弟の妻子とともに福島県河沼郡坂下町(現・会津坂下町)へ疎開し、のち両親の住む川崎市に移り住む。

1947年、裁判官採用願いを司法省に提出。司法省民事局局付を経て最高裁判所発足に伴い最高裁民事局局付、家庭局創設に伴い初代の家庭局局付に就任。1949年6月4日に初の女性判事補となった石渡満子に次いで、同月28日に東京地裁判事補となる。1952年、名古屋地方裁判所で初の女性判事となる。1956年、裁判官の三淵乾太郎(初代最高裁長官だった三淵忠彦の子)と再婚。三淵姓となる。

1956年、東京地裁判事となる。広島と長崎の被爆者が原爆の責任を訴えた「原爆裁判」を担当(裁判長古関敏正、三淵、高桑昭)。1963年12月7日、判決は請求棄却とするも日本の裁判所で初めて「原爆投下は国際法違反」と明言した。

1963年より1972年まで東京家庭裁判所判事。少年部で計5000人超の少年少女の審判を担当した。

1972年、新潟家庭裁判所長に任命され、女性として初の家庭裁判所長となる。1973年11月に浦和地裁の所長となり、1978年1月からは横浜地裁の所長を務め、1979年に退官。1980年に再び弁護士となり、その後は日本婦人法律家協会の会長や労働省男女平等問題専門家会議の座長を務めた。

1984年5月、骨肉腫のため69歳で死去。



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