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夢との対峙【GIFT再配信「羽生結弦が語る特別な一日」感想】

2023年6月30日。

待望の「GIFT」がディズニープラスにて再配信されました。
しかも高音質・高画質、未公開シーンやインタ付きで、私たちファンの元に帰ってきてくれました。

新たに追加された公演翌日のインタ「羽生結弦が語る特別な一日」、こちらが必見モノでした。
もうこれは、できるだけ多くの方が見た方がいいです。
そう断言したくなるくらい、このインタから受け取ったものは私にとって大きいものでした。

またもや長くなりそうな予感がしますが、何故そう思ったのか感想を書いていきたいと思います。

私の物語


羽生選手本人から「GIFT」について言及のあったインタはもうこれで出尽くしたのかな?と思います。

最初の配信があった時、1部と2部の間に流れていたインタ。(ライビュ会場でも流れていました。今回の配信では省かれてしまった様子。)
それから、GIFT新聞。
アフターパンフ。
そしてこの「羽生結弦が語る特別な一日」。

それぞれで羽生選手自ら「GIFT」について詳しく解説してくださっているので、私の中でこの「GIFT」という物語の答え合わせが大体できてきたように思います。

一番最初に現地で見た時の印象と、今数々の本人による解説を知った後での印象の違いがすごく面白いです。

初見では、羽生選手のスケートの素晴らしさだとか、かっこよさとか笑
そういったことにばかり目が向きがちでした。
「GIFT」の物語は完全に「羽生結弦の物語」を見せてもらっている感覚でいました。
そう、彼の半生をなぞって構成された「プロローグ」の時と同じように。

でも、こうやって数多くのインタを見聞きして羽生選手が込めた想いを知ってから「GIFT」を観ると、これは「私の物語」として捉えている自分がいることに気づきました。


その考えは、「羽生結弦が語る特別な一日」を見てよりいっそう強くなりました。

お話の中で、白い世界の「僕」と黒い世界の「僕」のことについての解説をしてくれた時、
羽生選手は言いました。


「夢って何?」と。


私達視聴者に問いかけるように。

皆、ちゃんと向き合ってないだけで、本当は自分の中に「夢」を持ってるんじゃないか、って。



「皆さん実は持ってるでしょ、そういう夢。」




…刺さりました。
この言葉、グサッと心に突き刺さりました。


ちゃんと自分と向き合ってない。
対峙してないから分からないだけだって。


…はぁぁぁ。。。。。
言われてしまった…(?)

ここまで心に刺さってるってことは、図星なんですきっと。

忙しい毎日を言い訳にして、自分と向き合ってない。

つまり、自分を大切にしていないってことです。


私は、以前「GIFT」の感想を書いた時に
自分のことを「夢に向かって全力投球した経験が乏しい人間」と書きました。
だからこの物語は、夢を追う経験をした人の心に刺さるんじゃないかと。

でもそれは違うんだとはっきり分かりました。

私は逃げていただけなのかもしれない。
「夢」を追うことをどこか他人行儀な気持ちで眺めていた、椅子に座って鑑賞するだけの「お客さん」のような感覚でいました。

今から夢を追ったってどうせ叶わない。何もかもが手遅れだから。

そんな風に、全てを諦めてしまっていたのかもしれない。

諦める方が簡単です。
嫌な自分、醜い自分、出来ない自分を見ずに済むから。

醜い本当の自分と対峙することって、とても勇気がいるし、辛い作業です。

ここまで考えて、羽生選手はずっとこんな作業を一人で繰り返してきたのかもしれないと思った時に、
私は途方に暮れかけました。

そんなことばかり繰り返していたら、精神的に参ってしまいそうだと思ったからです。
自己否定に終始してしまい、這い上がれなくなってしまう。

どうして羽生選手は「夢」を追いかけ続けることができるの?
どうやって醜い自分を受け入れてきたの?


オペラ座の怪人とユング心理学


その答えはインタの中で語られた「オペラ座の怪人」の話にありました。

一人の人間の中には怪人みたいに醜い自分もいるし、クリスティーヌみたいな綺麗な声を持つ自分もいるし、ラウルみたいなちょっと情けない自分もいる。

その中で、醜いけれども本音の自分の言葉というものは、綺麗事を言っている自分に響いている、と。
だからこそ、綺麗事を言っている存在(「夢」)は、自分に力をくれるのだと。

…面白い話だなぁと思いました。
醜い自分が足を引っ張るんじゃなくて、醜い自分と「夢」が相互に作用していることによって、前に進めているんだという考え。

そこに、醜い自分を否定し消去したいという考えは無いのでしょう。

この意味はつまり、
醜くて何も出来ない自分も、どんな自分であっても、ちゃんと受け入れて認めてあげているからこそ、「夢」が自分を鼓舞してくれるのだ。

…ということではないでしょうか?

自分なりの解釈ではありますが、羽生選手が言っていることはそういうことなのかな?と。

そういえば、「GIFT」の一場面でふと思い当たりました。

黒い世界の「僕」と白い世界の「僕」が手を伸ばし合っているところ。

どちらか片方だけが一方的に手を伸ばしているんじゃなくて、
お互いがお互いを求め合っているようにも見えます。

そうやって羽生選手は、自分の内面を見つめながら夢を追いかけているのかもしれない。


こちらの記事によると、羽生選手は「GIFT」にこめたメッセージの中でユング心理学の話を持ち出して説明しています。

この記事を踏まえ、
大学時代、選択科目にあった臨床心理学の教科書を本棚の奥底から引っ張り出してきて読んでみたら、羽生選手の言っていることとユング心理学が非常にリンクしている事に気づいたのです。

うーん。何だろう。何か、魂っていうより、僕の中では「ペルソナ」っていう。ユング心理学の言葉があるんですけど、皆さんがそれぞれ社会にいる時に、使っている自分の顔だとか、仮面だとか、そういったイメージで考えてくださると、僕にとって、こうやってしゃべってる時だって、きっと自分が見せたい羽生結弦を出してるんだと思いますし。でも、きっと話しながらも、心の中でくすぶってる羽生結弦もいるんだなって思ってますし、それはたぶん僕だけじゃなくて、皆さんが思ってることだから、何て言えばいいのかな、少しでも、自分自身が持っている、皆さんが持っている本質的な皆さんと、その「ペルソナ」の皆さんを少しでも認めていけるような、認めてあげられるような時間になったらいいなって思います。

羽生結弦さん「自分の顔だとか仮面だとか」ユング心理学「ペルソナ」例にメッセージに込めた想い - フィギュア : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

「ペルソナ」→社会的な役割、家庭、友人関係の役割のこと。仮面や衣服のようなもの。
そして、「心の中でくすぶっている羽生結弦」と「皆さんが持っている本質的な皆さん」とは同じもので、
「ペルソナ」も「本質的な自分」も両方認めてあげてほしいと、彼は言っています。

個性化の過程


ユング心理学には人の性格的内面を示す色んな用語があります。
教科書の受け売りですが、簡単に説明すると

先程出た「ペルソナ」の他にも、

「影(シャドウ)」→人が誰でも持つ劣等感のこと。
「アニマ・アニムス」→自分の中にある異性的性格。無意識の部分にある衝動や欲求の象徴。未知なるものに投影されやすい。空想や想像力、夢みる力を担っている。
「自己(セルフ」→自分を超えた存在。アニマ・アニムスの背後にあるもので、時には自分に対して命令する絶対者。

などがあります。


ユング心理学が提唱していることのひとつとして、

「人生の目標は影、ペルソナ、アニマ・アニムス、そしてセルフを自我に統合していくことである。」

と教科書に書いてありました。

これを「個性化の過程」というのですが、

まさに羽生選手が言っていることは「個性化の過程」なんじゃないか?と私は思ったのです。

自分の中の無意識下にあるたくさんの性格的内面を全て統合していくと、人生の目標に近づける。
つまり「私」という「個性」を確立できる。

統合するというのは、受け入れる・認めてあげる事なのだと私は解釈しました。

羽生選手は「GIFT」の物語を通じて、自分を認めてあげる「個性化の過程」のきっかけを私に与えてくれたのかもしれない。


一番最初に「GIFT」の物語を知った時は、羽生選手の意図が読めずに、ここまで深い話だとは思っていませんでした。

多分、とても分かりやすい語り口だし、難しい用語なんて一切出てこないし、羽生選手の声が優しすぎて笑
表面的にしか感じていなかったんでしょうね。

知れば知るほど面白い。
羽生選手の物語でもあるし、私の物語でもある。
そう思える今は、よりいっそう「GIFT」の物語が大好きになりました。

それにしても、ここまで自分の内面を掘り下げて、醜い自分と向き合うプロセスをやってきた羽生選手だからこそ、唯一無二の「羽生結弦」という強烈な個性を発揮できているんでしょうね。

そういうところに、やっぱりアスリートの精神みたいなものも感じます。
高みを目指す中で身体も精神も両方鍛え上げているところが。

その過程を惜しみなく私たちの前で表現してくれる羽生選手はやっぱり凄いです。

自分の内面を他人に見せることは、勇気のいることですから。

そこまでしてこの物語を作り上げて、私たちに見せてくれた羽生選手の気持ちが痛い程伝わってきて、胸が一杯になります。

夢との対峙



どんな自分であっても、まず認めてあげる。
自分という個性を大切にしてあげたら、もしかしたら…

大切なものが見えてくるのでしょうか。

あったかい世界にある、自分にとって大切な「夢」が、私を励ましてくれるのでしょうか…。

まだよく分かりません。

でも、実は「夢」というものは、自分の中に眠っているのかもしれない。
ちゃんと向き合ってあげたら、気づいてあげられるのかもしれない。

そう思えるようになったことは、私にとって大きな収穫だったように思います。


私の前には今、ようやく見えかけてきたドアがあります。

随分昔からそこにあったのに、見ようとしていなかったドアが。

本心によくよく問いかけてみたら、

そこにドアノブを付けたいと願っている自分がいました。

この気づきこそが、羽生選手が私にくれた、最後の贈り物だったのかもしれません。

いや、最後という言い方は少し違うか。

きっと、これからも配信で繰り返し「GIFT」を見る度に、
また新たな発見をしたり、考えたり、癒されたりしながら
私は贈り物を受け取り続けるでしょう。

私の人生において、また大切なことを教わった気がしています。

こんな大きなものを無限に受け取れるだなんて、
「GIFT」は、単なるアイススケートショーというものを越えていますね。


僕がここから見ている間に
君はたくさんたくさん、色んな色をつけてきたよね
だから、今の君は、今の色でいいんだよ
がんばってがんばって、作り上げてきたよね
簡単に壊れてしまうけれど
簡単に汚れてしまうけれど
それが、君の色だから
かっこ悪くて、傷ついて、隠していくしかなくて、
涙でよれよれになっているけど
大切にしてきた、君だから
大切な、君という、本当だから
君が大切にしなかったとしても、
僕が、大切にするよ

アイスショー「GIFT」より



こんな言葉をくれるアイスショー、他にあるでしょうか?

自分と向き合い、辛くなったとしても、帰れる場所があるから。
優しくてあったかい、帰れる場所が私にはある。

そう思えば、少し勇気を出して一歩前へ踏み出せる気がしています。


羽生選手には感謝してもしきれませんね。

こうやって感謝を伝え続けること。
応援し続けること。
そして、
自分の夢と対峙して、私自身も成長してくこと。

それが私からのささやかなお返しかなって思います。

贈り物を受け取りっ放しでは気が引けますからね。

羽生選手の気持ちを消費するだけのファンではありたくないなって、

それが今回の再配信のインタを見て一番強く感じたことです。



…と、ここまでまた長々書いてきましたが、
こんなに大きな気づきと感動をくれる「GIFT」が今配信で世界中から見ることが出来るって本当に意義のあることだと思うし、もっともっとたくさんの人たちの目に触れてほしいなと心から思います。

でも、配信だけだといつか終了してしまうかもしれないので、映像商品化してくれたら良いのに。
商品化するのは色々ハードルがあるのかもしれないけれど、いつの日か実現してくれたら嬉しいな。
発売されたら即、買います笑。


終わります。

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